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2日目にして滑り込みセーフ?

あぶない。あと数十分で日付が変わってしまう、と慌ててお風呂から上がって、服だけテキトーに着て、ドライヤーもせず濡れた髪のまま、スマホでnoteを書いている、今。

今日は、訳あって久々の再会を果たした恋人と、ビッグスワンで行われたアルビレックス新潟 対 鹿島アントラーズの試合を、約2万7千人の観客の内のふたりとして観戦してきた。

アルビレックス新潟は、4点を失点したまま、1点も返すことは叶わず、負けてしまった。

サッカーリテラシーのほぼない私だけれど、アルビサイドから終始、熱い視線を送ってしまった一人として、とても悔しく感じた。
なにより、「鹿島アントラーズ、強い!」と思わされてしまったことが、私なりの悔しい所以だと思う。

そんなゲームを観戦していてふと、二年前に動画配信で観ていたW杯のことが蘇った。
(鹿島アントラーズの10番 柴崎岳選手が出場していたというのもあるかな)

ここからは、2022年のW杯のときに思ったこと。


W杯を観ていると、PKを外してしまって、崩れ落ちる選手を見たりする。

いろんなものを背負って戦って、崩れ落ちてしまうことがあっても、それでも競技を続けて、数年後の舞台でまた姿を見せるのには、
「強いな、人間ってああも強くあれるものなのかな」と思ってしまう。

そんなことを考えているうちに浮かぶのは、川口晴美さんの「閃輝暗点」という詩。
W杯を観ていて受け取ったものがまるきり表現されているように感じる。

まだ自分なりに解釈がつけられていない部分もあるし、この詩の真意を捉え損ねているかもしれないけれど、

この詩からは、
詩の中に出てくる主人公の生きる信念といったらたいそうなものかもしれないけれど、そんなものを感じる。
人はみんなこうやって生きていっているのかもしれないなぁ、なんて。

勝っても負けても夜は明けて、
生きていく中で突きつけられる、なにかに対して「かなわない」という痛みは、
そこに具体的な他者は存在しなくて、自分しかいなくて、
倒すべき悪い敵なんかいなくって、
その痛みを抱えて生きていって、
そのなかで生まれていく別のいちにちを待って、今日もまた眠る。


こんなところまで書いて途絶えてました。
大学2年生の私。

なにが言いたいのかさっぱりわからなくなったところで、ちょっと手抜きした感じで終わってしまおう。
今日はここまで。
もうおやすむじかん。
日付をまたいでしまったなー。悔。

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