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ミステリー・オブ・ラブ(ホ)

高田馬場はさかえ通り、通りの喧騒から少し離れた一角にラブホテル・チーニョはひっそりと佇んでいる。
受付の老婆から鍵を預かり、205号室に入室した栗田智晴は、白鳥杏子のスマホがWiFiに自動接続したのを見逃さなかった。

***

智晴は童貞である。
そして杏子は、智晴の初めての彼女だ。

智治は中高を鹿児島の受験特化型男子校で過ごしてきた。
有り余る性欲を抱えながら壮絶な受験戦争を勝ち抜いた彼は、本当にもう、彼女が欲しくて仕方なかった。

テニスサークルやオールラウンドサークルといった、陽キャの群れに飛び込んだところでなじめないことは理解していたので、学内最大手の漫画研究会に潜り込んだ。

半年にわたる活動――および水面下で勃発していた彼女・彼氏争奪戦――もちろん参加者の大半はだいたい初めてのお相手探しだ――を経て、めでたく同期の杏子と付き合うことになったのである。

智晴は205号室のソファに腰かけ、険しい表情をしていた。視線の先には円卓がある。その上には、二台のスマホ、大学生が買うにはやや高価なブランド物のショルダーバッグ、205号室のルームキーが雑然と並んでいる。
「絶対に来たことあるじゃん……」
智晴は頭を抱え、ひとりごちた。

人と人が付き合ってしばらくもすれば、お互いの性経験をそれなりに開示することもある。
智晴が己の童貞を告白すると、杏子もまた恥ずかしそうに(そして迂遠に)処女であると言った。
そして「そういうこと」に興味がないわけではないし、相手が智晴で良いこともそれとなく言ってくれた。
智治はそれがたまらなくうれしかった。ついにセックスができるという感慨が70%であったが、残りの20%は、他人とセックスができるほどの関係構築をできたことに伴う自己肯定感の高まり、そして最後の10%はたがいに一生に一度の最初のセックスという思い出を分かち合えることだった。

だが。
杏子のスマホは、ラブホテルのWiFiに一発でつながった。
初期設定から変えていないと思われる、英語の大文字と小文字と数字がランダムに20桁つながった煩雑極まりないパスワードを、彼女のスマホはすでに知っていたのだ。導き出させる結論は明白である。
(いやいやまさか。落ち着こう)
とリモコンを手に取りテレビをつける。
夜のニュース番組だ。若い女性の首から下が映っている。テロップには『SNSで急増中!? “パパ活”の実態とは』とある。
「(変声で)デート一回で3万とかぁー。ホテルでその倍とか。これも楽勝で変えちゃいましたー」
と女性がショルダーバッグをカメラに向ける。

杏子のそれと同じ型だ。

「……あ? あああぁっ!??」
「どうしたのともくん?」
振り返るとバスローブ姿の杏子が立っている。
少し丸い頬を上気させ、奥二重の目を恥ずかしそうに細めている。
その表情が、そして胸元の白さが智晴の戸惑いを鎮めていった。

シャワーに打たれながら智晴は
「……よし」
とつぶやいた。
顔を上げ、水を止める。

***

智晴と杏子がベッドサイトに腰掛けている。智晴もバスローブ姿だ。
「……私の、隠し事」
「うん。ここに来たこと、あるんでしょ」
杏子はばつの悪そうな顔でうつむく。智晴は杏子の両手を取った。
「見過ごせなくてごめん。でも、杏子を疑ったまま、こんなことしたくないよ。大丈夫、どんなことでも受け止めるから。僕は本気で杏子が好きだから」
智晴は杏子から目を逸らさない。
杏子、目をぎゅっとつぶり、智晴を見つめ返す。
「実はね……ここ、私の、パパ……」
続く言葉を想像し、思わず智晴は目を伏せる。

「私のパパがオーナーなの」

「……え?」

「だから、時々フロントに行ってたの。色んな人が来るから、面白くて」

「……うん?」

「受付におばあちゃんいたでしょ」

「うん」

「本当に私のおばあちゃん」

「はああああ?」
緊張が解けた智晴はそのままベッドに倒れこんだ。
高田馬場のラブホの所有者の娘なら、羽振りがいいのも納得だ。
「隠しててごめんなさい!」
「何だよ、それぇー!」
智晴は大の字になって手足をバタバタしている。
器用に智晴の胸元に収まり、上目遣いで杏子が問う。
「変なこと考えた?」
「うぐうう……」
杏子が智晴の胸にほおずりしながら笑う。
「でも勇気出して訊いてくれて嬉しかった」
ようやく夜が始まる――そんな予感を覚えながら、智晴は最後の疑問を口にした。
「でもさ、ここじゃなくても良かったじゃない。気まずくないの?」
「だって……」
杏子、智晴の耳元に顔を寄せる。
生温かく、湿った息が智晴の耳をかすめる。





「その方が興奮するんだもん」  


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