そんな勇気も無いくせに。
昨日、駅の改札を出て歩いていると
大学生らしき女の子たちが前を歩いていました。
平日の昼間、楽しそうに話をしながら
まさに今のトレンド!というようなおしゃれな服を着て、可愛いヘアスタイルで。
ふと違う方に目をやると
カップルがカフェの前で手を繋いでメニューを見ていました。
「いいなぁ…」。
つい羨ましくなってしまった私ですが、
その後すぐに思い直します。
「いやいや、自分だってきっと学生の頃、おんなじように楽しんでたでしょ?」
大人になって、社会人として仕事をこなし、子どもを産み、
どこか自由をなくしてしまったみたいな感覚になっているけれど、羨ましがるのはなにか違う。
目の前のあの子達とはタイミングがズレてるだけで、私が今羨ましがっているあの子達のような自由な生活が、確かにあの時の自分にもあったはず。
でも、なんだろう。
過去を振り返る時のあるあるなのか、不安にもなってしまったんです。
「私はあの子達みたいに、このキラキラした一瞬を余す所なく楽しめてたんだろうか」。
しかし、早足で仕事先に向かいながら考えたのは、決して今でも叶えられないことではないんだよなということ。
おしゃれな服を着ることも、流行りの髪色にすることも、平日の昼間にゆっくり出掛けることも、やろうと思ったら「不可能」ではない。
ただ、今の仕事では私が羨ましくて着たいと思ったようなカジュアルでトレンドの服や髪は楽しめないし、かと言って仕事用と普段用に服をたくさん揃えるにはお金もないし。
そもそも仕事に家事に子どもの用事にと日々バタバタと過ぎていく日々の中で、そんな余裕なんて…。
また言い訳っぽくなってしまったけど、あの子達みたいになるには現実的に越えなきゃいけないハードルがいくつもあって。
叶えるためには覚悟や勇気もいるだろうし、努力や大変な思いもしなきゃいけないかもしれない。
そこまでしてしたいの?ということなんだと思う。
『本当に叶えたいことなら、大変だろうが何だろうが言い訳とか文句とか言ってないで、必死になってやってみればいいじゃん』。
どこからかそんな声が聞こえてきそうな気がして、結局私は隣の芝を羨ましく思っていただけなんだろうなと気付きました。
大人になり、親になり、制約が増えたのも事実。
でも、それを言い訳にして諦めていることもあるのでは?と言われたら、正直ぐぬぬ…痛いところをついてくるな…となるのも事実。
でも、無理なものは無理だし、子を育てたりお金を生み出すための体力も時間も限界はあるわけで。
本意ではないにしろ、「自分で選んだ結果」が今なんだよなぁと、突きつけられた気がしました。
※本当はこんなに厳しいことを普段から思ってるわけじゃないはずなんだけど。
仕事先に向かう自分とあの子達とがあまりにもかけ離れてるような気がして、この気持ちを思うがままに書き留めておきたくて記録してみました。
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