条件付き現金給付に関する福祉国家日本の本音
新型コロナウィルスの影響による所得減に対して、政府は所得減の要件を満たす世帯に対して30万円の給付を実施することを決めた。給付金総額は3兆円とのことだ。
社会政策学における福祉政策に関する文脈では、日本は自由主義と保守主義のハイブリッド型と言われてきた。エスピン・アンデルセンの福祉レジーム類型論において、個人が労働市場から生活資金を稼ぐことを前提として国による社会保障支援を一定の困窮者に限定する自由主義に対して、保守主義は男性が主要な労働力となる家庭を想定した上で職域の違いはあれど比較的手厚い社会保障を提供する。例えば、年金制度では日本では公的年金(国民年金・厚生年金)と企業年金といった体制が取られていることは保守主義的である。一方で、新規学卒一括採用と終身雇用制度により特に男性が安定期な収入源となることが社会的に期待されており、失業あるいは著しく生活が困窮していない限り失業保険や生活保護による社会保障給付はない点は自由主義的である。
エスピン・アンデルセン理論のもう一つの類型である社会民主主義レジームはNordic countries(北欧諸国)では家庭の労働市場参入の有無により差別しない、できる限り普遍的な社会保障が志向されている。またフィンランドにおけるベーシック・インカムの社会実験や、スウェーデンのような手厚い就労・社会参加・育児支援といった社会投資(Social investment)が好例である。日本においても1999-2009年および2012年以降の自公連立政権において、公明党の影響があるからか、LembertやFerragina等の社会政策学者が指摘するようにハイブリッド型から社会民主主義的なベクトルが出てきているとも指摘される。
政府の新型コロナウイルス対策の条件付き給付に対して、条件無しで一律の給付にすべしという批判が至るところで叫ばれている感があり政権に対する大きな不満が溜まっているようだ。だが、少し違和感がある。
日本はそもそも伝統的に普遍的な社会保障政策といった社会民主主義に振り切ってはいない。そういったこれまでの前提を踏まえた上での政府が取り得る政策として、現政権の条件付給付は十分に想定範囲内である。それに対して国民や各種メディアの怒りの大きさには筆者はむしろ驚いている。
むしろこれは、日本において社会民主主義的な社会政策の機運がより高まり、今後の政治の一つの争点となるのではないかと考える。今回の「不十分」な給付に対する批判を反省として、日本の福祉政策を考えていくより大きな契機になるのではないかと思う。
ただし、危機における社会保障と平時における社会保障において、エスピン・アンデルセンのフレームワークにより説明が可能なのかといった疑問もある。というのも、自由主義に振り切れているトランプ政権下の米国でも手厚い給付を決定している。
むしろ、危機において当該国の社会政策の「社会度」の本音が見られるのかもしれない。そうなると、日本政府の本音は差別的な社会保障といった限界があるということなのだろうか。
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