"Dara" LJLを成長させた功労者と、eスポーツチーム・Rampageの死
胸糞が悪すぎて思い出したくもない事件だが、何年経った今でもふと脳裏をよぎることがある。
何故あんな結末になってしまったのか、どうにかならなかったのかと。
Daraについて
League of Legends(LoL)への理解が浅かった頃の私は、サポートというポジションはADキャリーの傍を離れないものだと考えていた。
ナミを使ってADキャリーの後方でひたすら回復を施し、たまにQの水泡を敵に当てて仕事した気分だ。
本来は前に出てプレッシャーを掛けるべき所なのに、ADキャリーを盾にして後方支援し続けるという、典型的な弱腰サポート。
金魚の糞みたいなサポートばかりしていたので、フィールドを縦横無尽に駆け巡るDaraのサポートに衝撃を受けた。
相方のADキャリーと足を鎖で繋がれたような動きの私と違い、Daraはミッドにもジャングルにもトップにも顔を出す。
サポートの名が表す通りチーム全体を支援していた。
味方を抱擁する様から、韓国語で母を意味する「オムニ」と呼ばれている。
サポートの定位置であるボットレーンの遥か遠くで戦闘が起きたとき、待ってましたと言わんばかりにDaraは最高のタイミングで現れる。
神出鬼没の立ち回りに「どこでもDara」という異名が付いた。
世界大会のRift RivalsでDaraは八面六臂の働きぶりを見せた。
後方支援型のルルでありながら敵を次々に倒していき、味方が仕留め損ねた敵はリデンプションで遠隔から始末。
結果的に7/1/3というおよそサポートとは思えないスコアとなり、キルを味方に譲るべき所を横取りしすぎたため、次のようにコメントした。
「めっちゃキル食べてすみませんでした。次からはメンバーたちにあげて勝ちます」
Daraは殊勝な男であった。
彼自身の力によって勝利に導いたときも謙虚な姿勢を貫く。
韓国からの助っ人外国人だが日本語は堪能で、ファンに向けて日本語で語りかける様には愛着が湧いてくる。
柔らかな物腰と優しい口調も相まって多くの視聴者に愛されていた。
Daraに限らず韓国からやってくるプロゲーマーには毎度感服させられる。
来日してしばらくすると、いつの間にか日本語で受け答えし始めるのだ。
日本語が話せなくても通訳でインタビューは可能だが、やはり「応援ありがとうございます」だけの日本語でも嬉しくなってしまう。
なんでも韓国語と日本語は文法が似通ってるらしく、比較的覚えやすい言語とは言われるものの、それにしたって習得スピードが尋常じゃなく早い。
関係者からよく聞く話だが、韓国のプロは語学やSNSの使い方に至るまで注力しており、職業プロゲーマーとしての視座の高さに驚かされるのだという。
ネットとサブカルチャーが合わさる場所では、いわゆる嫌韓的な思想が流れていることが珍しくない。
日本のプロリーグであるLJLは韓国人の割合が高く、であるなら韓国をよく思わない観客から悪意が飛び交うのではないか、と懸念されるかもしれない。
実際にはそんなことはなく、試合やインタビューでの真摯な姿勢に感銘を受け、助っ人外国人の彼らに敬意と親しみを持つ観客ばかりだ。
ネットで排外主義を身に着けていくとき、実在する人物と会う経験が抜け落ちて、想像上の外国人を憎んでしまう恐れがある。
「敵対的で尊敬できない外国人」という虚像をDaraのような韓国人選手が溶かしてくれたのだと思う。
確かな成績と信頼を得たDaraのインパクトは強く、韓国人の助っ人を国内に引き入れる動きが加速した。
チームの要となるポジションを韓国人選手で補強し、選手とコーチから韓国式の戦術を取り入れていく。
今でこそLJLは日本と韓国の結び付きが当たり前の光景になったが、その礎を黎明期に築いたのがDaraである。
RampageとN氏について
2016年の8月、私は品川駅の紀ノ国屋で弁当と飲み物を用意していた。
飲み食いしながらの見物というのは格別で、これからプリンスホテル高輪で行われるRampage対DetonatioN FocusMeの決勝戦に向けて色々と買い込んでいた。それにしても惣菜から菓子まで値が張るスーパーだった。
会場に入るとLoLに登場するキャラクターや建造物が目に飛び込んできた。
一気に非日常へと連れて行かれる。
今まで足を運んだLJLの会場は収容人数が300~500人程のイベントホールで、これでも十分広いスペースだと思っていたのだが、今年は更に規模が拡大している。
決戦の場は10レーンの50mプールよりも少し広いくらいの空間だ。1000人は優に入るだろう。
横長の空間を活かそうとしたのか、通常は一つのゲーム画面で観戦する所を、トップ、ミッド、ボットの三画面が横一列に映し出されていて面白い。
会場の作り込みがレベルアップしていくのを肌で感じた。
成長しつつあるeスポーツの最前線に立っていることに気持ちが高まる。
さて肝心の試合だが、RampageとDetonatioN FocusMeの組み合わせは面白くなることが確約されている。
両者は優勝争いを繰り広げてきた強豪チームだ。
平時の試合中継でも「DFM vs RPG」の伝統の一戦には多くの観客が押し寄せる。
今はRampageとの関わりを振り返りたいので試合の詳細は割愛させてもらうが、結果はRampageの優勝だった。
かねてよりDetonatioN FocusMeを贔屓する私がこの優勝を嬉しく思ったのは、少し前にRampageと接触していたからである。
決勝戦の1ヶ月前、銀座でライブイベントが開催されることになり、Rampageが出演するというので見に行った。
会場はモノトーンカラーの高級感溢れる商業施設で、本格的な音響機材やバーが備えてあり、音楽と酒を楽しむにはもってこいの場所だ。
通常のゲームイベントとは雰囲気も客層も異なる空間の中、Rampageはそこでeスポーツの世界を垣間見せる趣旨で呼ばれている。
開演時間が近づいたので入場しようとした所、財布がポケットから見付からない。
クレジットカードでいいかと受付で尋ねると、現金払いのみだという。
会社の机に財布を入れっぱなしにしていたことを思い出し、今から取りに戻るわけにもいかずATMを求めて走り出そうとした矢先、受付の者が声を掛けてきた。
「支払いは後でいいですよ」
有り難い。今日はこのイベントのためにさっさと終業してきたのだ。
軽く礼をしてから入場し、登壇中のN氏の話に耳を傾ける。
N氏はRampageの創設者だ。
海外でポーカーのプロを目指していた経歴の持ち主で、「ポーカーの稼ぎをチームに使ってくれ」と選手にせがまれ私財を投げ打った人物である。
N氏やDaraのトークショウを楽しんだ後、後回しにしていた入場料を支払おうとした。
「代わりに払っておきました」
Rampageの事務所らしき人が言う。
私がRampageへの強い関心を見せていたからか、特別な計らいをしてもらった。
更にN氏は選手を全員呼び集め、私に記念写真を撮る場まで設けてくれた。
Paz、Tussle、Roki、Meron、Dara……6年経った今でも空で言える。Rampageの歴史を作ってきたメンバーだ。
彼らの真ん中に私は立ち、楽しい一夜の締め括りとして写真を撮った。
ライブも決勝戦も終わって日常に舞い戻ったある日の朝、湘南新宿ラインのグリーン車でRampageに送る文章を打ち込んでいた。
この世で最も苦痛な時間の一つが通勤電車であるので、たいして収入に余裕がない身でありながらグリーン車の利用は欠かせない。
先日の特別な計らいに対する感謝の気持ちから、身銭を切ってRampageを応援したいと思い、世界大会のツアーを提案した。
格闘ゲームでは世界大会のツアーを旅行代理店が企画し始めていて、Rampageも世界大会の観戦ツアーを企画してはどうかと進言。
ツアーの予定はないとの回答を得たが、今後何かしら企画が立ち上がればすぐにでも購入する心持ちでいた。
世界大会の初日がやってきた。
開催地がブラジルのため、Rampageの初戦は日本時間で朝9時からだ。
私が新宿のオフィスビルでちょうど始業する時分。
その会社に就職するまでは、定職に付かず不定期なアルバイトの生活だった。
いよいよ腰を下ろして生活することを決心し、人生初の正社員としてソフトウェアテストの研修中である。
しかしRampageの試合が気になって気になって仕方がない。
当然研修どころではなく、ノートパソコンの隣に私物のタブレットパソコンを立て掛け、あたかも研修用に使っている体で配信サイトのTwitchを開く。
するとベトナム代表・Saigon Jokersとの集団戦が始まっていた。
音声は出せないから映像とチャットで状況を把握し、固唾を呑んで見守る。
Tussleが敵のADキャリーの懐に飛び込んで瞬殺した。
そのまま味方は一人も倒されずに集団戦を勝利。
バレないように、静かにガッツポーズした。
N氏は応援してくれたファンのために「e-sports Festival with Pro GamingTeam」という企画を立ち上げた。
プロゲーマーとファンがパーティで交流するという催しである。
私は社交の場がいたく苦手で、飲みの席は極力避ける人生を送っている。
参加申込ページと長いこと睨めっこしていたが、同好の士とLoLを語らう機会など滅多に訪れないので、参加することに決めた。
会場は秋葉原のe-sports SQUAREという施設で、高性能のゲーミングパソコンが並び、レストランや配信設備も併設されている。
名札を受け取り席に座ると、ホストとして対面にEviがいた。
7th heavenの選手も合同で参加しているからで、私は自分の作ったLJLのハイライト動画を見せるなどして、Eviに色々と話を聞いてもらった。
更にはEviと通話しながらLoLまでした。
いつも独り言を呟きながらLoLしている身としては、ただでさえボイスチャット付きのLoLは刺激的なのに、Eviの指示まで含まれているのだから楽しくないわけがない。
第二部になるとEviは酒に酔ったのかホスト役で疲れたのか、机につっぷしている。
第一部で随分と楽しませてもらったし、ここはそっとしておこう。
辺りを見回すとRokiがテキーラだったかの強い酒を飲んでいて、DaraとTussleは女性ファンと談笑していた。
社交の場にはN氏も同席していた。
年配の男性がN氏に向かって話し掛けている。
そのとき耳に入ってきた次のフレーズが、妙に印象深く頭に残っている。
「eスポーツにまともな大人が少ないけど、N氏はしっかりしてるよ!」
後の事件を知ってから振り返ると、笑いたくないが嫌でも苦笑してしまう言葉だ。
また別のトークイベントでN氏と同席する機会があり、声を掛けられた。
「e-sports Festivalにいらっしゃいましたよね」
認知されている。
私は行き付けの店で顔を覚えられると気が重くなるタイプだが、このときばかりは悪い気がしなかった。
というより、嬉しかったのだ。
Rampageが出演するイベントに足繁く通い、Rampageの試合を動画編集してYouTubeに投稿する。
Rampageが生活の一部である私にとって、オーナーに顔を覚えてもらったのは一ファンとして鼻高々だった。
これからもRampageはDetonatioN FocusMeと熾烈な戦いを繰り広げ、リーグを代表するチームとして活動していくのだろう。
会場から立ち去るとき、ふとそんなことを思った。
Daraの引退
2018年の5月、伊豆諸島の一つである神津島に私は来ている。
渋谷で参画中のネット銀行のプロジェクトが難航していて、残業続きで単調な毎日に飽き飽きしてしまった。
Webライター・ヨッピーの神津島を勧める記事が気になっていて、大型連休に良い気分転換だと思って神津島へ行くことにした。
東京の竹芝桟橋から船で発とうとするも出航時間を過ぎてしまい、自分の計画性の無さを自嘲しつつ、調布飛行場まで向かった。
セスナ機の揺れに恐怖しながら神津島へと着陸。
神津島と言えば天上山ということで登山口まで行ってみるものの、山を登る予定はなくサンダルに素足だったので、これは大事を取って諦めた。
なんでも神津島は明日葉という植物が特産物らしく、明日葉ピザや明日葉のおひたしなどを味わった。
名所の赤崎遊歩道にも足を運ぶ。
入り江に作られた遊歩道には海に飛び込めるジャンプ台が設置されているが、飛び込む気にはなれず、木で作られた道を散歩した。
真下の海水浴場を眺めつつ歩いていると、過酷な労働環境による陰鬱とした気分は徐々に晴れていく。
神津の海と山と食べ物とが私の精神を健やかにしていった。
赤崎遊歩道の入口の柵に寄りかかっていると、スマートフォンに一件のプッシュ通知が飛んできた。
私は「Yahoo!リアルタイム検索」というアプリを日常的に使っていて、キーワードに「LJL」を登録している。
キーワードを含むツイートが話題になるとプッシュ通知が飛んでくるので、気になった私はそのツイートを開いた。
https://twitter.com/LoLDara/status/991921243023593472
何が書いてあるかは理解できたが、突然の結末を頭が理解することを拒んだ。
療養中に起きた青天の霹靂に、すぐさま事態を飲み込むだけの準備は出来ていない。
取り戻しつつあった穏やかな精神は一瞬にして吹き飛び、混乱したまま事態の詳細を確かめに掛かった。
明るみになった事実は目を疑うものばかりだ。
Daraが日本で生活するために必要な在留カード、それを渡すように脅迫され、外出しようとしたら追いかけられ、怒号を飛ばされたのだという。
何より信じ難い事態は、極悪非道な手口でDaraを傷付けたのがRampageだということ。
主犯格とされる人物にはRampageのマネージャーと、N氏の名前があった。
私は気持ちの持って行き場を悩んだ。
仮にDaraから搾取する悪人が門外漢であれば、迷うこと無く怒りの鉄槌をそいつに振り下ろせる。
流行りのeスポーツに目を付け、選手を食い物にしようとする素性の知れぬ者だったら、Daraだけを想ってそいつをバッサリと斬れる。
しかし目下犯人とされる人物はあのN氏である。
2012年にRampageを設立し、自らもLoLを長らくプレイしてきたN氏。
腱鞘炎によってパフォーマンスが低下し、迷惑になるからとチームの脱退を伝えてきたMeronに対し、「そういうことはこっちで考えるから、悩んでないでまずは病院に行け」と返したN氏。
腱鞘炎を治すために手首のクッションや椅子に気を配るよう指導し、最終的に完治させている。
選手の健康を気遣っていたRampageと、「風邪になったら給料少なくするからね」とDaraに言い放ったRampage、一体どちらが真の姿なのか。
あるいはRampageは変わってしまったのか。
なんでこうなったんだ?
DetonatioN FocusMeとRampage、伝統の対決をこれからも見続けられると思っていたのに。
私は夢想する。あったかもしれないRampageの理想像を。
RampageはDaraという名選手だけでなく、SonicLogicという名ストリーマーも抱えていた。
素行不良で契約解除になってしまったが、彼は後にストリーマーとして大成する。
昨今はZETA DIVISIONの様にプロゲーマーとストリーマーが一緒に在籍し、互いの活動を後押しする動きが活発だ。
Daraが出場するLJLを、SonicLogicがミラー配信する。
そんな風にLoLを盛り上げる体制を築けていたら、Rampageは理想的なeスポーツチームとして日本を代表する存在になっていたかもしれない。
逸材は揃っていたのだから。
だがそんなことはもう考えるだけ無駄だ。
私は逡巡する。果たしてN氏たちに悪意はあったのか。
在留カードの取り扱いに関する事務的な知識が欠けていただけで、別に悪意はなかったのではないかと。
RampageとDaraのコミュニケーションに齟齬が生まれたせいで、存在しない悪意をDaraに感じさせてしまったのではないかと。
私が真実を確かめたがるのは、N氏に悪意がないことを信じたいからに他ならない。
迎えた結末はどこから見ても最悪だ。
それでも彼に悪意はなく、不幸な行き違いが事件の原因であったなら、救いのない結末に一抹の救いを見出だせる。
しかしいくら考えた所で真相は闇の中。
救いのある真実が掘り出されたとしても、救われるのはRampageを捨て切れない私の心だけ。
Daraの心が壊れ、LoLを引退した事実は決して覆らない。
2018年11月30日、RampageはLoL部門を解散した。
壊れて失われたものは二度と返って来ない。