浄法寺漆の奥深さに魅せられた塗師
IWATE PRIDEとは
岩手で活躍する”人”にスポットを当て、魅力を伝えるコンテンツです。さまざまな角度から、大切な”人の想い”を伝えていきます。(本コンテンツの前身は、2020年~2023年まで岩手県と協働で行った「いわてプライド」です。当時掲載した記事を織り交ぜながら更新しています)
お話しを伺った方
滴生舎 塗師 今村有希さん(2021年取材)
漆の魅力にとりつかれ岐阜県から移住
二戸市浄法寺町の滴生舎で塗師を務める今村さんは、岐阜県の出身だ。東京のデザイン事務所で働いている時に浄法寺の漆器と出会った。
「地元で採れた漆を地元で塗るものづくりと、誰もが使える日々の暮らしの道具としての漆器づくりに惹かれました」
そう語る今村さんが「塗師になりたい」と浄法寺町に移住してきて、2年半が過ぎた。1年目は雪の多さに驚いたが、行き届いた除雪に「さすが雪国」と感心した。きれいな空気と美味しい食べ物、そして地元の人たちが「よく来たね」と暖かく迎え入れてくれたことが、なにより嬉しかったと笑顔を見せる。
滴生舎には彼女のように移住し、職人として活躍するスタッフが少なくない。漆に魅せられた人々にとって、良質な漆の産地として名高い浄法寺町は憧れの場所だ。
かつてウルシの木は暮らしを支える存在だった
実は国内で使用されている漆のうち、国産漆はわずか3%に満たない。平成27年に国宝・重要文化財の保存修理において国産漆を使用する方針がとられて以降、需要は高まったものの漆の産地自体が少なく、供給が追いついていないのが現状だ。浄法寺町では、そのわずかな国産漆の約70%を生産している。
時をさかのぼること江戸時代、盛岡藩ではウルシを活用した産業が重要な財政基盤の一つを担っていた。樹液である漆は塗料に用いられ、その実はロウソクの原料になるなど、当時の生活必需品を支える大切な資源となっていた。
そのためさまざまな政策がとられ、木を増やすため石高に合わせてウルシを植える本数が定められたほか、漆を採る作業は「漆掻奉行」のもと、厳重に管理されていた。岩手に限らず、かつては日本各地に広がっていた漆の産地。ウルシは決して珍しい木ではなかったという。
しかし、時代とともに陶磁器やプラスチックなど安価で扱い安い素材が流通しはじめ、漆の需要は次第に減っていった。特に漆掻きは、厳しい山の仕事でなり手も少ない。漆の採取をやめてしまった地域も多く、それと比例してウルシの木も減り、産地もまた減少していったのだ。
一滴一滴を根気よく大切に集める漆掻き職人
漆掻き職人の仕事は、6~11月にかけて行われる。樹齢15~20年のウルシの木に、カンナで横一文字の「辺」と呼ばれる傷を付け、そこからにじむ樹液(漆)を一滴ずつ採取する。
1本の木から採れる漆は200ccほどで、ベテランの職人は1シーズンにおよそ400本のウルシを掻く。横で見ている分には簡単そうだが、実際にやってみると、なかなかどうして上手くはいかない。傷が浅ければ樹液はにじまず、深すぎれば木を枯らせてしまうため、絶妙な力加減が必要になるのだ。
樹齢や季節、天候などによって採れる量が変化することや、一日中、山に入って作業する厳しさから、漆は木の生命の一滴であると同時に「職人の血の一滴」と言われた時代もあった。
多くの地域で漆掻きをやめていったにも関わらず、なぜ浄法寺町では受け継がれていったのか。
それはこの土地にウルシの木が育ち、良質の漆が採れたからだろう。その一方で、北国の山間部でほかの産業を生み出すのが難しかったことや、広大な田畑が得られなかったことなどの背景もある。
厳しい土地だからこそ一度手にした漆掻きの技を捨てられず、生業として選んだ人が多かったのではないかと考えられる。
先人から受け継ぐ奥深い漆の世界
こうして職人たちが集めた漆は精製され、塗りの作業などに用いられる。特に浄法寺漆は粘りや透明度、乾燥後の硬さなどから、国内最高級といわれるほどだ。
その漆を7回に渡って塗り重ね、美しく丈夫な漆器を作り上げるのが浄法寺塗だ。神亀5(728)年の開山と言われる天台寺の僧侶たちが、日々使う器に漆を用いたことが起源とされており、現在も日常の風景に馴染むシンプルなデザインを中心に作られている。
実際に浄法寺塗りの漆器を手に取ってみて驚くのは、その暖かさだ。ふんわりとした柔らかい感触と、手にすっぽりと収まる心地よさ。触れた瞬間、不思議とほっこりした気持ちにさせてくれる。
今村さんは、「漆器は使い続けるうちに艶が出て、自分だけの器に育てることができます。使い心地の良さはもちろん、変化を楽しめるのが漆器ならではの魅力。一度使ったら離れられません」と言って笑う。
塗師になった今も漆への興味は尽きず、なかなか習得できない技があるからこそ面白いと語る彼女。かつて浄法寺町の人々が守ってきた漆は、今もなお多くの人を惹きつけてやまない。先人たちが築き上げた浄法寺塗は今村さんのような現代の職人へ、そして未来へと確かに受け継がれていく。
撮影:佐藤到