かっこ悪い自分を受け入れる
前回のブログで
これしてる自分かっこいい
の基準が男としての自分を強める
みたいな話をした
でもそれをするには
これをしてる自分かっこ悪いを受け入れる
それが必要だ
そしてそれも自分なのだ
どちらも自分でどちらもあっていいもの
だからこそ
かっこ悪い自分も尊い
僕は基本的に女性的な部分強く
女々しい自分だったりがよく顔を出す
男を高めたいと思えば思うほどに
女々しい自分が出てきたりするもの
だからこそ、女々しくてもいい
それも自分だから
無理しなくていいのだ
女々しかったら嫌われるだろうか
男だったら好かれるだろうか
そんな基準で考えてるから
軸がぶれる
僕の在り方の1つに
そこに愛があれば何をしても大丈夫
というものがある
だからこそ、そこに愛があれば
どんな自分だっていい
その自分を貫いていけばいい
それだけでいいんだよね
時を淹れる人