容姿を褒められれば嬉しいものだ。が、褒められ方によっては、屈折した感情を生んでしまうことも。『デタラメだもの』
他人から見た目を褒められて、悪い気を起こす人は少ないだろう。当然、悪く言われるよりは、良く言われたほうがいいに決まっている。たとえそこにお世辞の類が混ざっていたとしても、だ。
世間的に評価される見た目を持つ男女は、常日頃から、「タレントの誰それに似ていますね」などと持て囃される機会も多いだろう。今をときめく俳優、女優、芸能人、スポーツ選手などに例えられようもんなら、さぞかしその場も盛り上がるはずだ。
はて、自分の人生において、そのような機会があっただろうかと記憶を逡巡させてみる。そんな折、あからさまに見た目を称賛されたことが、たったの一度だけあったことを思い出す。
あれは高校に入学したばかりの頃。人並みに物欲が芽生え、交遊の機会も増えたことから、お金を自分で稼ぐ必要に迫られ、これまた人並みにアルバイトを始めてみた。地元にあるスーパーマーケットの一般食品の陳列や品出しの仕事だ。人生で初めての"働く"という経験。人並みに緊張感を覚えながら、スーパーマーケットの門を叩いた。
経験がある人も多いとは思うが、新人スタッフが入ってくると、職場が妙にザワついたりするものだ。場合によっては、新人の採用が決まった瞬間から古参の方々が、「新しく入ってくる子って、どんな子かしらねぇ。若い子やったらええのにねぇ。なぁなぁチーフ、次に入ってくる子ってどんな子なん?」といった具合にザワつき始める。要するに、多少なりとも、好奇の目に晒されるわけだ。
高校入学直後に始めたアルバイトだっただけに、そのスーパーマーケット内においても最年少の存在になった。それ故、好奇の目は著しくギラついていたことだろう。そして、アルバイトを始めて三日ばかりが過ぎた頃、事件は起こった。
バックヤードで休憩をしていると、惣菜部門のおばちゃんがこちらに寄ってきて言った。「新しく食品部門に入った子やろ? みんなに紹介してあげるからおいで!」と。
人並みに人見知りな性格だったため、遠慮しがちにおばちゃんの後をついていく。すると、畜産部門やら水産部門やらパン部門やらのおっちゃん、おばちゃんたちがタムロする休憩スペースへと連れていかれた。
するといきなり惣菜部門のおばちゃん、「なぁなぁ、この子、食品部門の新人さんやねん! めっちゃ男前な子やろ? 思えへん? どんな子が入ってくるのかと思ってたけど、男前な子やから嬉しいわぁ」と叫びだした。
それに呼応するかのように、畜産部門やら水産部門やらパン部門やらのおっちゃん、おばちゃんたちも「ほんまや、男前な子やで!」と口々に言い合った。
他人から見た目を褒められて、悪い気を起こす人は少ないだろう。当然、悪く言われるよりは、良く言われたほうがいいに決まっている。それがたとえ、おっちゃん、おばちゃんに褒められていたとしても、気を悪くする理由は微塵もない。人並みに鼻の下を伸ばしていた気がする。
しかし、やや浮足立った状態の自分に、まさかのひと言が突き刺さる。「ほんま男前な子やで、高橋英樹にソックリやん」。
え? 高橋英樹? 今、高橋英樹って言ったよね? 高橋英樹といえば、古くは日活映画で活躍し、桃太郎侍などの有名作で知られる俳優さん。当時の高橋英樹の年齢はといえば、きっと60歳手前くらいだっただろう。脳内でおっちゃん、おばちゃんのセリフがリフレインする。「高橋英樹にソックリやん」「高橋英樹にソックリやん」と。
男前といわれれば悪い気はしない。有名人に似ているといわれて悪い気を起こす理由もない。だけど、だけどね、当時60歳手前の名俳優、高橋英樹に似ているといわれた高校生は、それをどのように解釈すれば良いのか。喜んでいいものか、悲しむべきか。ありったけの苦笑いを浮かべながら、その場を立ち去った記憶が蘇る。ぐぬぬ。
そういえば学生の頃は、落ち着いた性格をしていたためか、それが容姿にも反映し、実年齢よりも上に見られることが多かった。高校生の頃から、20代半ば~後半のような雰囲気を周囲に漂わせていたのは否定しない。しかしだ、60歳目前の名俳優のような雰囲気を漂わせてしまっているとは露知らず。
クラスメイトたちの中でも、異性から評価を受ける連中の多くは、どこか童顔の魅力が見え隠れし、どちらかというとアイドルのような容姿。そんな時代に、桃太郎侍に似ていると評価される始末。そんなヤツが同年代の異性から評価を受けられるはずもない。いっそのこと、時代劇俳優を目指してやろうかしらん。
実年齢よりも上に見られる容姿に異変が起こったのは、実際に20代半ば~後半を迎えた頃からだった。どうにもフケ顔の部類に入れられていたその容姿が、20代後半以降、年を食わぬ容姿にシフトチェンジしていったのだ。
高校生の頃から「20代半ばくらいに見えるね」と揶揄されてきた見た目は、30代に突入して以降も同じく、「20代半ばくらいに見えるね」と評価されるようになった。要するに、時が止まったわけだ。
フケ顔の汚名返上。フケ顔期をやり過ごした後に、まさかの童顔期が訪れた。あれほど憧れた童顔。異性から著しく評価を受けていた、童顔のクラスメイトの連中の顔が浮かぶ。「どやどや。君たちは今後、老けていく一方だけども、僕はこれから童顔期を迎えるんだからね。童顔期をたっぷりと謳歌させてもらうよ。これは一種の復讐だかんね。青春の敵討ちだかんね」と息巻いた。
それからというもの、童顔期の心地良さに浸りながら生きてきた。予想以上に長く続く童顔期は、今もなお継続中だ。しかし、ここで新たな問題が勃発する。ある年齢にもなると、童顔がデメリットに働くケースがあるのよねん。ぐぬぬ。
なにせ童顔だと、説得力に欠ける、というデメリットがある。その理由は明白だ。童顔を得たものは、それと同時に、渋さを失う。同年代の連中が渋さを増していくなか、童顔期の自分には、渋さというものが一切ないわけで。
となると、仕事の場面でも支障をきたす。ここ一番、経験に裏打ちされた提案などを差し上げる際、渋さが欠如していることで説得力に欠けてしまうわけ。相手が若手の社員さんの場合などはまだしも、偉いさん相手に提案を差し上げる際などは、どうにも迫力に欠けてしまう。
あとは、街なかで見かける素行の悪い方々と相まみえる際、一切の威圧感を醸し出せないというデメリット。容姿に渋さが備わっていたり、イカツイ見た目をしていれば、存在そのもので一喝できよう場面でも、童顔期の人間にその迫力は皆無。要するに、ナメられてしまうわけだ。ぐぬぬ。
しかし、フケ顔から脱したいと思い、ようやく手に入れた念願の童顔。童顔の恩恵だって幾許かは受けきた。そして薄々気づいているんだもの。「きっとこの童顔期は、寿命が果てるその日まで、未来永劫続くよね――」ということに。
そこで悟ったわけ。童顔をカバーするためには、オーラというものを纏うほかない。オーラというものは、見た目以上に相手に訴えかけるものがある。
そう思い、率先して破天荒な生き方をするよう志した。危うきには近づき、リスクを取って生きる人生。苦難、苦境、困難を乗り越え続けることでオーラを身に纏えると信じている。
さまざまな刺客たちと戦い続けながら人生を闊歩。善を貫き、陰謀や危機を潜り抜けては、悪を討伐しながら生き抜いていく生き様。そんな人生を歩めばオーラだって身に纏えるに違いない。ん? 待てよ? これってもしかして――桃太郎侍じゃね?
デタラメだもの。
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