見出し画像

遊具。それは自分の中に生きる子供心との決別を促すアイテム。気軽に触れると痛い目を見る。『デタラメだもの』

公園にはさまざまな遊具が立ち並んでいる。今日もあちこちで、元気よく遊び回る子供たちの姿が見られることだろう。実にいい光景だ。憂いたっぷりで日本の将来が語られる機会も多いが、そんな暗い話題はどこ吹く風。快活に遊びに没頭する子供たち。自由に遊具と戯れている。

遊具。それはまさに、子供と大人を決別させるに余りある無慈悲な審判。

できればいつまでも若くいたいものだ。その実、少年や青年と呼ばれる頃から、たいして思考が変わっていない気もしている。そりゃ、ビールも飲むし、ハンバーグやエビフライよりも、ミョウガやゴーヤなどのほうを好んで食べるようにもなった。

しかしだ、そうは言ってもまだまだ若いはず。大人になることをある種、自由からの卒業と謳う文学や音楽の歌詞。そういうものに縋れば縋るほど、自分はまだまだ若いと思い込みたい己の切なる感情に気づく。ただ、そんな儚い思いも打ち砕かれてしまう。遊具によって。

公園に立ち寄った際などに、ふざけて遊具に触れてみることがある。例えば、鉄棒。前回りをしたり逆上がりをしたり、鉄の棒を支えに、身体をクルクルと回転させて楽しむ遊具だ。どれ、昔取った杵柄。いっちょやってみるか。

ん? なんか様子が違う。なんか勝手が違う。まず気づいた違和感が、支えになっている棒の部分に、自身の腹が食い込んでいる現象。引きちぎらんとするばかりの痛みを訴えてくる。

「いやいや。そんな不可思議な現象があるかいな。きっと、お洒落に気を使い、やや大ぶりなベルトを巻いてるから、それが鉄の棒と干渉して、腹の肉が妙な具合になってるだけだし」と自分に言い聞かせてみるも、苦悶の表情。眉間には皺。額には冷や汗。痛い。

そんな苦しんでいてどうする。これは人が楽しむために設えられた遊具なるぞ。人を笑顔に変えるんだぞ。もっとお気楽能天気に楽しまんかいな。自分自身から発破をかけられ、いざ前回り。「ごふっ!」と、喉元に熱いものがこみ上げる。きっと、ついさっき食べたばかりの親子丼が急上昇してきているに違いない。危ない危ない。

ただ問題はそんなところにはない。身体が回転する際の鈍さこそが問題なのだ。あれ? 鉄棒ってクルンクルン回って楽しむものじゃなかったっけか? グルリグルリンと鈍く回転する己の身体に、愉快さのカケラもないぞ。どういうことだ。当時と今じゃ、鉄棒の仕様が変わってしまったのか?

ズドンと地面に着地する。腹にはジンジンと激痛が走っていて、重々しく鈍い身体の回転が、三半規管を刺激している。思っていたのと全然違う。軽やかさが皆無。楽しさも皆無。これは修行の一種なのか?

きっと前回りがいけなかったのだ。逆上がりは別。当時のように流麗に回転してみせてやる。ところが変わらず腹の痛み。身体を支える腕への負担。そして、鈍い回転。着地時の足裏への衝撃。三半規管への刺激。実に鈍くさい。

「こりゃ完全に当時と仕様が変わってるね。きっと現代風に設えてあるわ」と言ってのけ、鉄棒に愛想をつかす。よし、次は雲梯だ。

それはそうと、"てつぼう"と書けば可愛いものの、"鉄棒"と書くと、急におどろおどろしさが滲み出る。なにやら拷問の器具みたいじゃないの。"雲梯"にいたっては、漢字だけじゃ読むのも困難。"うんてい"だからこそ楽しげなのであって、"雲梯"じゃ何の意味なのかさっぱりわからん。

「2本飛ばしで行こうかしら。いやいや、当時のように3本飛ばしなんて離れ業をやってのけようかしらん」と、ブツブツ言いながら鉄の棒を握り身体を宙に浮かす。「あぐっ!」腕が引きちぎれる。なんだこの過剰な重力は。雲梯って、遊んでいる間だけ特殊な重力が身体にのしかかるような、NASAの宇宙飛行士の訓練を目的として開発された遊具だったっけ?

3本飛ばし? 2本飛ばし? 何をおっしゃる、前にすら進めないじゃないの。数本前進したところで身の危険を感じ、やむなく着地。このまま両の腕が引きちぎれてしまっては仕事もできないし、お金を稼ぐことができなくなる。ただでさえ綱渡りのような生活。出来心で鉄の棒を渡ってる場合じゃない。もっと真剣に生きねば。

「今のところ宇宙飛行士になる予定はないし、雲梯は辞退しておくよ」と、涼しげに言ってのけ、両腕をさすりながら次の遊具へ。次こそは老若男女、誰しもが楽しめるで有名なブランコ。

「おっ! これはいい。実にいい」。ただ座り、ただ鉄の鎖を握りしめ、ユラユラと揺れているだけでいいじゃない。リラックス効果もありそうだし、考え事をするにもピッタリだ。実に叙情的なアイテム。これは気に入った。

ぼんやりと空を見上げ、流れ行く雲を追いかけていると、あることに気づいた。ユラリユラリと揺れるブランコのせいで、三半規管が刺激され続け、吐き気を催していることに。いかんいかん、吐きそうだ。
ブランコって、荒れ狂う波に耐えながら、海の上で大量の魚を狙う漁師さんになるべく、地上にいながら船酔い慣れの訓練をするために開発された遊具だったっけ?

「今のところ漁師さんになる予定はないし、ブランコは辞退しておくよ」と、今にも嘔吐してしまいそうな弱々しい身体を引きずりながら次の遊具へ。

なるほど。ジャングルジムか。あの頃は巨大に見えていたジャングルジムも、今となっては小ぶりに見える。「こりゃイージーモードだわ」と言ってのけ、鉄の棒を掴み頂きを目指す。ははん? ここが頂上ね。余裕だわ。ドヤ顔をして地上を見下ろす。

ん? 高過ぎる。これはあまりにも高い。落ちたらケガをしてしまう。今や子供の頃のように軽やかな身体じゃない。鈍くさい図体が地上に落下してしまった日には、入院を余儀なくされることは間違いなし。ただでさえ綱渡りのような生活。いつ転落してもおかしくない。出来心でジャングルジムに登り、転落でもしようものなら――もっと真剣に生きねば。

慌ててジャングルジムから下山。途中段階でジャンプして地上へと下り立つ。「ぎゃぷっ!」と声が漏れた。足裏への尋常じゃないほどの激痛。きっと数本ばかり骨が損傷したぞ。取り返しがつかないことをやっちまった。

少年の頃の男子といえは、高いところから飛び下り、着地することが勇気の証でもあった。階段の踊り場から眼下の踊り場へとジャンプ。民家の外壁に登り、そこからジャンプ。スタッと着地し、周囲を沸かせたものだ。ところが今や、足裏の激痛に悶絶している。痛い、痛い。

そう。もはや自分は子供ではなくなってしまっていたのだ。子供どころか、既に若さすらない。だとすれば、大人になってしまったのか? いや、想像するにそれも違う。これは紛れもない、衰えだ。ひひーん。衰えてしまった人間は、ただただ公園から追い出されるのみ。遊具なんてもってのほか。使用禁止なわけだ。

自身の衰えに悔しさを感じながら酒を呷る。いつしか愉快な気分に。適度にお酒を嗜み、上機嫌で店をあとにする。あれ、そんなにも呑んでいないはずなのに、なんだか酔いがまわってきたなぁ。

アルコールによる気分の悪さに耐えながら、なんとか歩を進める。「あぁ、気持ち悪いなぁ」、ブツブツ言いながら歩いていると、ふと気づいた。これって、ブランコと同じ感覚じゃね?

そう。ブランコというものは漁師さんになるべく開発された遊具ではなく、お酒を呑み気分が悪くなったときでも気丈に振る舞える人間になるべく開発された遊具だったわけだ。

新たな発見があり再び上機嫌。地下鉄に乗り込もうと、駅の階段の途中からヒョイッと飛んでみた。着地した両の足裏には、信じられないほどの激痛が走った。

デタラメだもの。


▼ショートショート30作品を収めた電子書籍を出版しました!

▼常盤英孝のプロフィールページはこちら。

▼ショートショート作家のページはこちら。

▼更新情報はfacebookページで。


今後も良記事でご返報いたしますので、もしよろしければ!サポートは、もっと楽しいエンタメへの活動資金にさせていただきます!