ひとりの音楽家としてコロナに思うこと
未曽有の事態を世界中で体験することになろうとは。
戦争体験なく、原発事故や地震の被害からも免れ、
被害の深刻さに心を痛めても、実害を被らずにいれたわたしのところにも、
今回の感染症は身に迫ってきました。
わたしだけじゃありません。
コロナの影響ない、という人はいないんじゃないでしょうか。
真っ先に音楽やアートの業界から影響が
みんな予定が真っ白になりました。
切り捨てられて大変といえば大変ですが、もはやミュージシャンに限ったことではなく、全体で起こっていることです。
ミュージシャンにもいろいろです。
事務所などで雇用されて活動している人。
個人事業主で活動している人。
本職持ちながら活動している人。
他の人の事情は知りませんから、
自分の状況でいま起こっていることをいいます。
わたしは個人事業主です。
誰かを雇っているわけではないし、
お店を持っているわけでもないので、
月々に必ず支払わなければいけない家賃や人件費といった経費は発生していません。
自宅も持ち家なので、家賃もありません。
ただ、入ってくるものが激減して、
コロナがなければ入ってきたであろうものがいまのところ、ゼロという状況です。
そもそもコンサートの依頼はいつくるかわからないもので、
日頃からたいていお先真っ白ですが、
なんだかわからないうちにいつのまにかスケジュール帖が埋まるものでした。
収入が減った証明をしなさい、といわれても、
「来るかもしれなかったけどこなかった仕事の証明はできない」
という状況です。
人を雇っていた会社には、すさまじく酷いことが起きていて、
どうやって頑張っていけばよいのか、
わたしには想像もできません。
大きな会社ほど、倒れるときは一瞬だろうと予想できます。
売れないミュージシャンの自分にとっては、
それに比べればやや気楽で、細々とした活動がいまのところ、そしてしばらく先までできなくなりました。
ライヴハウスで演奏できなくなり、
自宅からたくさんのミュージシャンが演奏を配信するようになりました。
明日、世界が終ろうとも、いつもやっていることを、
なお一層熱心にやる人々だなぁと再確認しています。
自分はどうする?
わたしも前述のミュージシャンたちと同じようなあり方をしていますが、
自分の演奏を配信したいという気持ちに切り替えられずにいます。
というか、その活動をしなくてはならない、とも思っていません。
いろいろなことをぐるぐる考え、
見通せない先を自分が正確に見通せるとはとても思えず、
そんななかでどういう選択肢を選びたいのかが喫緊の課題です。
亡き父の残した田舎の茅葺家で、
畑を耕して、自給自足の暮らしの道を模索できるか、
オンラインで生き残る道はあるのか、
または音楽以外で生き残る道を模索すべきか、
あるいはこれらを組み合わせたらどうか、などなど・・・
そのなかでも最優先事項は、
ひとり息子をどう守って育てていくか、です。
自分の持っている条件と環境で、
選択肢は限られています。
個人の努力と才能でどうにかなる人も稀にいるでしょうが、
そんな稀な成功者のなかに自分が輝かしくエントリーできると考えるほど、
いい経験もしてきていません。
独り身だからこそできた、野垂れ死にを着地点に掲げていた若いころとは
違ってきました。
野垂れ死にを目標に
野垂れ死にを目標に?
なんだそれは、と思われるでしょうが、
売れないミュージシャンなんて、お先真っ暗です。
「いいわね、好きなことをして生きていて」と言われます。
すごく、いいですよ、ほんまに。
お先は真っ暗ですけど。
でもね、思うんです。
お先が見通せる人っているんでしょうか。
見通せてたら、生きてて楽か、といえば、
あなたは何歳でだれだれに出会って、めっちゃ幸せな結婚して、
何歳でこれこれで死ぬけど、
割合と幸せな死に方します、といわれたら?
それって幸せな人生でしょうけど、
わたしは嫌だなぁ・・・
勘弁してくれや、と思います。
なんで秘密にしといてくれへんかったん!?と思います。
絶対に死ぬのはわかってますけど、
何年の何月何日にこれこれで、とかいわんといてほしいです。
同じく、すっごく幸せなことも、
具体的に知らせないでほしいです。
好きなドラマをネットで全編観れるのにも関わらず、
結末を早く知りたくてググり、
観る気をなくしてしまったことありませんか?
そんなわけで、
もともとすべての人にとって、お先なんて真っ暗だし、
真っ暗じゃなきゃとても生きていけません。
それでも、ちょっと安心が欲しい、というのが人間だと思うんです。
わたしはその安心を得るための担保に
「野垂れ死に」を選びました。
東京のど真ん中で、20代の女性が野垂れ死にするニュースは、
それまで見たことがなかったので、
その第一号になれるかなぁ?と考えてみたのです。
(20代のころの話してますで)
売れるかどうかは運
ミュージシャンとしてやっていきたいと思った当初、
もっともっと努力してうまくなれば、たくさんの人が聴いてくれるんじゃないかと思っていました。
正直に言って、全く、そんなことないです。
もちろん、努力はすべきですが、
それとこれは比例していないという意味です。
売れるかどうかは運、です。
運を味方につけるにはどうしたらいいか?
そんなもん知らんがな。
だれか知ってる人いはるんでしょうか。
いたら教えてください。
売れようが売れまいが、
どうしたって笛を吹きたいのだから、他に選択肢がなく、
吹き続けてきたのですが、
池袋の真ん中で(なぜ池袋かはともかく)
野垂れ死にできる可能性はどれくらいあるか、考えました。
そして、それはかなり低いのではないか、と思いました。
・・・よし、これや。
可能性の低さに賭けよう!
そう思ったのです。
そうして活動してきたら、
野垂れ死にし損なって今に至りました。
つまり、賭けに勝ち続けてきたのです。
ある意味、最強でしたが、
子供ができるとさすがに野垂れ死にするわけにはいかなくなりました。
守りたいものがあると、強いのか弱いのか、よくわかりません。
賭けに勝ち続けてきたが
そしていま、野垂れ死にがちょっとリアルになってきました。
可能性の低さが、売りだったのに、
可能性が上がってきてます。
違うものに賭けないと。
賭けられるのも、身体が元気でいることを前提にしていますが、
それってずいぶん都合がいいことで、
そういうことからも、今回の事態がただならないことだと思います。
世界中の人がいま同時に、生きることに必死になっています。
自分にとって大切なものがなんなのか、が嫌でも浮き彫りになってきているのではないでしょうか。
こんな時代のただなかに生きていることに、
ある種の興奮を覚えるというと不謹慎かもしれませんが、
少し突き放して、自分をゲームのなかのキャラを見ているくらいの視点を持つことで、面白がりながら、なんとかやっていけないかなあと思います。