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京都のさんぽ道~きぬかけの路①

京都のさんぽ道。

金閣寺の警備員さんの家が、竜安寺さんやったなぁと思い出し、
今日のさんぽは竜安寺さんへ。

金閣寺から竜安寺へは、
衣笠山に沿ってぐるりと通る「きぬかけの路」が
観光客に大人気のさんぽ道だ。

この路は竜安寺を超え、仁和寺まで続く。
全部歩くと30分程かかる。

きぬかけの名の由来は、仁和寺を創建した宇多天皇が、

「真夏やけど、雪見をしたい」

といいだしたもんだから、
えらいこっちゃ!と
衣笠山に白い絹をかけて見せた(絹かけ)、という故事に基づいている。

小学生のころから通う通学路であったが、
沿道に建つ碑を読むまで知らなかった。

こんなとんち話だったとは。
一休さんに相談したのだろうか(*時代が違う)

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通っていた小学校はその名も金閣小学校。
きぬかけの路をそのまままっすぐ行けばイヤでも着く。

だが、同級生の家の前を通ってみようという気になって、
横道へそれることにした。


京都は町内ごとにお地蔵さんがいる。
夏のお盆(地蔵盆)のころになると、お地蔵さんの前にテントを張って
こどもたちはここで一日中遊ぶのだ。

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わたしの町内にも小さなお地蔵さんが鎮座している。
地蔵盆がはじまるときには、金閣寺からお坊さんがスタスタとやってくる。

お地蔵さんの前に、こどもたちは輪になってひしめき座り、
大きなお数珠をお経が続いている間じゅう、ぐるぐるとまわしていく。

数珠のなかでも特別に大きな珠が周ってくると、額にあててちょこっとおじぎをしてから、隣の子へまわす。

お坊さんはなんとなくちょっと怖くて、みんなちらちら見ながら、

はよう終わらんかなぁ、とか
あのおっきな珠、もういっぺんまわしたいなぁ、とかてんでに思っている。

お坊さんが帰っていくと、
金閣寺の参道へ抜ける交差した「四つ角」で野球をした。

四つ角はこどもたちの遊び場だった。
いまから思えばこんな狭いとこで、どうやって野球をしたのかと思うけれど、ここは野球もすれば、家々の前を流れるどぶ(小さな溝)では、たにしやカニも採れた。


いつも四つ角へやってくる友達も、
地蔵盆のときはそれぞれの町内で遊ぶから、
この二日間は町内の人たちだけになる。
朝から晩まで、テントと家を往復して
ビー玉転がしや、福引、水鉄砲大会や水風船鬼ごっこ、花火などをするのだから、いつもの四つ角が最高のパワースポットになる。

主役は中学生未満のこどもたち。
中高生たちは肝試しの脅かし役などを張り切ってやる。
会場は金閣寺の森。
ところが、何人ものこどもが金閣寺のトイレのところに、
ターバンを巻いた男の幽霊を見た、と言い出し、
本格的に恐ろしいものとなってしまい、翌年から会場が変わった。
(*もっと怖いことが起こって、その翌年から肝試しはなくなった)


地蔵盆のあいだは、
そこかしこが通行止めとなり、
車の通らない通りが南へまっすぐ見下ろせる。
地蔵盆の提灯が遠く、小さな路地の隅々に赤く灯って、
そこに大勢の大人とこどもの影が動いているのが小さく見えた。


京都を離れて二十年余り。
こうして歩く道々に、
幼いころの光景が重なって映る。


目的の同級生の家は見つからず、わたしはそのまま
小学校の真裏にある中学校への通学路を辿った。

そこは、道にそって川が流れていて、
川と一緒に下っていけば、まもなく学校だ。

途中、ゆるくカーブしたところで細い支流と合流し、
そこだけ突如として渓流にみられるような深い淵が現れる。
真ん中に大きな岩があった。

岩は絶え間なく水しぶきに洗われ、
表面はつるつると黒く輝き、
岩に当たって砕ける水流が、
こどもたちの心を掴んだ。

下校時には、淵をのぞき込み、どこから水がやってくるのかと、
十歩くらい離れた、反対側の細い支流へと走る。

それからまた淵へと戻ると、今度はガードレールから身を乗り出して、
泡立つ水面下に魚の姿を探した。


あるとき、いじめられていた子がブチ切れて、
透明な下敷きを振り回して、反撃に出たことがあり、
居合わせたこどもたちはこの坂道を駆け上がって逃げた。

水のごうごうと流れる音と、みんながわあわあ叫ぶ声が混じって、
記憶の底からよみがえってきた。

いま。
川はもう見えない。

上に遊歩道ができたのだ。
深い淵は暗渠となり、水の流れる音が足元から聞こえてくる。

わたしは深い淵の真上で立ち止まった。
合流してくる細い水路が見えやしないかと。


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水路はあった。

両側に生い茂る草の合間、
中学生のころに見たままの、小さな流れが落ちてきていた。

茂みの向こうはどこへ続いているんだろう。
のぞき込んでみて、
あのころと同じことをしていることに気づいて苦笑が漏れる。

やっぱりいまも流れてくるその先は、草に覆われて見えない。
板塀に囲まれた、奥ゆかしいお屋敷がすぐ脇に建っている。
そこを周って流れてくるのだろうか。

あのお屋敷の、誰も見たことのない秘密の大きな庭園から流れてくるのかもしれない。

そんなことを中学生のころのわたしは考えていたけれど、
きっと衣笠山から流れてくるのだろう。

この路はやがて金閣小学校の裏門に出て、
振り返った反対側の斜面を上がると母校の衣笠中学校だ。
中学校の正門前を通れば、またきぬかけの路へ出る。

歩を進めるごとに、時間を遡っていくような感覚を覚え、
どこかで中学生の自分に遭ってしまいそうな気がしている。

(続く)

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