笛吹き道中記 音楽歴08
こんにちは。
朱鷺たたら(とき たたら)です。
わたしの音楽歴の続き第8回目のメルマガです。
東京芸術大学を入試の目標に据え、
ひたすらフルートの練習をする毎日。
芸大は入試の課題曲が矢鱈目たら難しく、
何曲も課題エチュード曲が提示されたなかから、
当日、1曲を指定されるというものでしたので、
すべての課題曲を網羅しておかねばなりませんでした。
そこで、受験志望はこの1校に絞るようにと先生からご指導があり、
一本化して集中体制に入りました。
第1次で課題曲エチュード,聴音、新曲視唱、ピアノ、楽理試験などがあり、
第2次試験ではエチュードではなく、ピアノ伴奏つきの曲を
芸大の学生さんとその場で合奏するというもの
第3次試験 面接etc
だったように思います。(やや記憶があやしい)
1次を通ると、次の試験日が提示され、数日待って試験。
そして数日後に発表。
というスタイルでしたので、
東京を離れにくい状況でもあり、
同時にいくつかの大学を受験するのはなかなか難しかったように覚えています。
わたしは受験番号がなんと1番。
1番ですから、朝一で演奏しなければなりません。
先生からの指導で、朝にいいパフォーマンスが出せるよう、
早朝からの練習に取り組み始めました。
試験時間に最高の状態になれるよう、身体を調整していったのです。
京都から独り出て来て、東京で、24時間やっているスタジオを探し、
朝の5時から2時間程度、たばこくさいスタジオで、長髪のお兄さんたちが
カウンターにいるような、いままで通ったことがないような場所へ、
ドキドキしながら通いました。
苦手のはずの聴音が大学受験でまさかの、どうも満点ではないか、と思える手ごたえに、
我が高校の聴音が鬼!といわれる所以を感じていました。
結果発表。
フルートの方かなのトの地が下へ長く伸びたように見えるときは、
受験番号1が記載されていました!
才能豊かなクラスメートがなぜか先に落ちて東京を去っていく中、
ダークホースのわたしが、最後まで粘っていたのです。
しかしながら、実はこのときわたしはもう本当に苦しくて、
受かったらまたフルート漬けの大学生活が始まる、と思うと、
どこかで逃げたい、
でも音楽しかしてきていないのに、どこへいけばいいかわからない、という
逃げ場も見つからないような気分でした。
そうはいっても、受かりたかったのは事実です。
そして、最終結果発表。
残念。
受験番号1は消えたのでした。
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