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「神話の法則」で人生を動かす。


私の人生は知的障害を持つ弟を真の意味で受け入れるできたところから始まったと思う。

運命を受け入れて人生を進めようと決断した時から急速に「人間」として覚醒していくものなのかもしれない。


あなたは「神話の法則」を知っているだろうか?


おそらくコピーライターだったら知らない人はいないだろうという法則だ。


簡単にいうと特定の「神話」に基づいた話を読んだり聴いたりすると人は感動するようにできているというものだ。


しかし、ここで勘違いが生じる。
「神話」と同じように書けいい、言えばいいという誤解だ。


この誤解をしたまま進むから大抵のプロになったコピーライターの文章はつまらない、パクリの塊のようなものが出来上がる。


むしろアマチュアの頃の方がいい文章やいい話ができるのだ。
あなたもこんな経験がないだろうか?

プロが書いた文章やお話を聴くより、友人や親、子供、の話の方が人生に深い影響を与えるという事態を。


ではどうすればいいのか?


神話は「体感」した人にしか書けないようになっている。
冒頭に書いた弟と私の話は、私の人生に起こった経験レベルの話だ。

神話において兄弟との感情を乗り越えるというのは「神」になるためのイベントの一つだ。

同じように人生において「たまたま」そのシチュエーションが用意されている人はそのイベントを乗り越えた場合、その「神力」を得ることができるようになるのだ。

しかし、兄弟がいなかったり人生が非常に平凡で愛に溢れていたらどうなるのか?
その人はそのシチュエーションが得られないので、平々凡々とした話になってしまう。

何も乗り越えてこなかった人間の話は根本的につまらない。


しかし面白くなろうとして神話を真似した「魂が入っていない」ストーリーを話すようになる。それは表面的にはいい話なのだが、メリットがないと見る気になれないし、少なくとも感動はしない。

じゃあ、一生つまらない人生なのか?つまらない話しかできないのか?

と諦める必要はない。


もし、あなたが神話レベルで自分の人生を変えたり、人の人生を変えようと思うなら

「神話」の爆心地

を確信レベルで体感することができればいい。

なぜクリエイター全般、古くは小説家や音楽家、宗教家が旅をして神話巡りをするのかというと、「神話の爆心地」には圧倒的な説得力があり、人生の奥深くに入って来るからなのだ。

その体感は「人間の遺伝子」が覚醒する体験になる。

だから私は「神話の爆心地」に行くことを強くお勧めする。

伊勢神宮や出雲大社、弊立神宮や橿原神宮に行くのもいい。
ただし、ただ行くだけでは意味がない。

大半の人には場所とともにストーリーを伝えてくれる「ガイド」がいるかいないかが非常に重要になるのだ。

来る8月9日の夜9時から、コピーライティングの神である神田昌典氏のところでコピーを書いていた峯山さんと

『なぜコピーライターは神話に行き着くのか』

という内容でオンラインセミナーをしようと思う。
ぜひ、私のLINEに登録して告知を待ってくれると嬉しい。


ではまた明日朝にお会いしましょう。
毎日連載しています。


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