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AIの出現によって世界はどう「変わらない」のか?
最近「AI」の進化が注目の的だ。
私の妻のアイさんのことではない。確かにアイさんも注目されているけど、AIの進化がかなり注目されている。
これの火付け役とも言えるお絵かきAIやChatGPTが話題になっていて
「これから文章はChatGPTが書く時代だ!」
くらいのことを言っている人が多発している。
つまり、
「人がいる意味がない」
的な発言をしている人が多い。
さて、これが意味をするところはなんだろう。
かなり近い事象で、産業革命の時に
「機械が人間の仕事を奪う!!」
と言って手工業をしていた労働者が機械を壊してまわるテロが起こった。
まあ、結局どうなったのかというと我々の生活は豊かになった。
そして、手工業者は工場労働になる人もいればマイスターとして尊敬されてそのまま高級品を作る人にもなった。
要はそういうことだと思う。
AIによって、大量の知的産業の工場的な生産をしている人たちはいなくなる、かもしれない。
誰かの文章をパクるだけの人間もいなくなる、かもしれない。
誰かの絵を真似して書くだけで尊敬されることはなくなる、かもしれない。
どんな時代も、何かの発明は誰かの仕事を奪うものだ。
正直言って、役所で書類チェックする仕事こそAI化されるべきだと思うが、多分それはめちゃくちゃ遅くなるだろう。
なぜならば反対運動がすごいからだ。
まずは、AIを使うことに積極的な先端事業からこの波がスタートする。
そして精神がアナログな業界はもしかしたら50年先になるかもしれない。
ただ言えるのは、今後AIが監視する社会になると思いきやAIを監視する社会になるのは間違いない。
なぜならば、AIが有用かどうか、というのは使う人間が決めることだからだ。文章にせよ絵にせよ、機能としてのAIは優れてはいるがそれを優れているかどうかを決めるのは人間だ。
つまり、「価値観」という感受性をとても大事にしなければいけなくなる。
AIが文章を出してきたり絵を出してきた時に
「いいね!!!」
と言える感性の方が大事なのだ。
能力が高いかどうか、で評価される時代はもしかしたら終了するかもしれないが将棋界はプロがAIにボロ負けしているのに藤井聡太の出現で活気を取り戻していて、羽生さんとの対決に一喜一憂している。
AIとAIの対決が世界頂上決戦なのに、少年と大人の対決に夢中になっている。それはなぜなのか?
マシーンの方がボールを早く投げられるのに大谷翔平のボールに一喜一憂するのか?
それは、我々の感性がそう言っているからだ。
いよいよもって「感性」の時代が到来していると言えるだろう。
感性なんていう「目に見えない変わらないもの」へのアプローチが試されている時代になっているというだけなのだ。