『夜語り』
夜。あなたはソファに寝転がりiPadで漫画を読んでいる。私はPCに向かいせっせと打鍵している。私は手を止め、特に前置きせず話し始める。
『意外性のない出会いから』
あなたは画面から顔を上げ、物憂げに私を見る。
意外性のない出会いからありふれた別れまで、大体三か月でスムーズに進行した。彼女は大学の一年生で、彼は別の大学の二年生だった。(「若いね……」とあなた)
二人は飲み会で出会った。彼女も彼も不特定多数との酒の席は好まなかったが、友達に頼まれ仕方なく出席することになったのだ。彼女は場の雰囲気に馴染めなかった。彼も同様だった。彼女はサブカルチャーが好きだった。彼もそうだった。そして一座の他の面々は流行り物にしか興味がなかった。二人は意気投合した。(「彼は菅田将暉似?」)
話し込み、また会う約束をし、デートを重ね付き合うに至り、クリスマスの夜一緒に毛布に包まりながら雨が雪に変わるのを眺めた。
しかし別れた。(「こういうのは続かないんだよね」とあなた)
まるで、『花束みたいな恋をした』だねと泣きながら彼女はいった。そうだねと彼も頷いた。(あなたも頷いた。「大分短いけど」)
彼女は冬の街を歩いていた。少ししたら春が訪れる。しかし彼女の心は冷え切っていた。
前方から速足で歩いてきた男の肩が、すれ違う瞬間彼女にぶつかった。
男は、バランスを崩して尻もちをついた彼女を一瞥すると、「気をつけろよ」と吐き捨て、そのまま歩いていこうとした。(「なんて奴だ」とあなた) あまりのことに彼女が唖然としていると、男の肩を誰かが掴んだ。
がっちりと肩を抑えた手は長い腕に繋がっていて、更にその先には浅野忠信に似た顔がついていた。若い頃の、とここは注釈がいるだろう。(「いらないよ」とあなたはいう)
「今、お前わざとぶつかったよね」忠信はいった。
男は手を乱暴に振り払うと「なんだよ。こいつがぶつかってきたんだよ」と怖い声で応じた。だがその声は少し緊張していただろうか。相手が浅野忠信では無理もない。
「謝れよ」忠信はいった。
忠信が絡む以上、ドラマ全体がこのシーンに割ける尺の範囲でなるようになるのは必然だ。(「そうなの?」)
男は捨て台詞を残して去り、忠信の腕が優しく彼女を引き起こす。彼の力強さが彼女に強烈な印象を残す。
彼は「災難だったね」とかなんとかいい、微笑む。彼女は少しつっかえながら感謝する。(「何かお礼がしたい、と彼女がいうの」とあなたは口を挟む)
いやしないだろう。一緒にどこかでお茶とか? 彼女は内気な人なのでそれも難しい。もしかしたらかえって迷惑では?とか考えている内に彼の背中は雑踏に消えていく。
運命とはそういったものではあるが、時を同じくして彼女の行きつけの美容院が閉店してしまう。そして彼女は、失恋後ある種の儀式として髪を切るような女性はフィクションにしか存在しないと常日頃笑っていたにも関わらず(「いやこれって……台詞の盗用には抗議したい」)、感傷的な気分と自分のあり方への軽い自信喪失があいまっていつもはしない選択をする。ネットで調べると良さそうな美容院があり——モノトーンのインテリアがどことなく忠信の着ていたコートを思い起こさせた——初めての場所を利用する。
ビルの二階にあるその美容院を訪れると、担当予定だった美容師は体調不良で休み。(「これはたまにある」)平謝りする店員が替わりに連れてきたのは誰あろう浅野忠信似の彼であった。(「これはない」)
流れるBGM。
カットしてもらいながら美容師に改めてこの前の礼をいった。忠信のカットは丁寧で繊細だった。話題が豊富で楽しく押しつけがましくない語り口、彼女のとりとめもない話もにこやかに聞いてくれる。(「大事」)
自分の趣味の話ばかりしていた元彼の子供っぽさに彼女は気がつく。
(あなたの視線が痛い)
こんなものかなと受け入れていたが。(「受け入れるつもりはないぞ」)
彼女が美容院に通う間隔は以前より短くなった。いつも担当は彼を指名した。(「彼は浅野だったの?」とあなた。「それは流石に……うーん。山田とか?」と私)
客と店員という関係であることからくる気遅れもあったが、遂に勇気を出した彼女は彼を誘うことに成功し……そしてデートを重ね、未踏の大人っぽい店や(「具体名がない」とあなたは笑う)、未知の世界にエスコートされるのを楽しみ、有名巨大遊園地のホテルの窓から肩を並べて花火を見つめる次第と相成った。
しかし、付き合い始めて分かったことだが、彼もまた元彼同様子供っぽい所の残る男であり、年上であることがかえって些細ともいえる人格的欠点を許せない理由になってきた。段々に失望が募る。
というわけで二人は別れた。(「またか。それはないでしょう」とあなたはいう)
と思いきや別れなかった。(「何それ」)
ではどうすればいいのか。(あなたは一つ溜め息をつき、iPadを置くと近づいてくる。そして立ったままキーボードに手を伸ばす)
彼との関係に悩んだ彼女は、付き合いの長い女友達に相談した。幾つか年上で、魅力的なしっかり者で、それでいて何故か彼女と同じように子供じみた男と付き合っている女性だ。経緯を話し、彼と別れようと思う、というと、友達は無理もないと頷いてから、以前自分と恋人との間でも似たようなやりとりがあったといった。そしてその時どうしたかを語った。別れるのも選択だけど、もし少しでも未練があるのなら、例えばこうしてみては。
彼女は山田に(「だったよね?」)提案した。「珈琲でも飲みながら、お話ししましょう」
二人は深夜のファミレスで話し込んだ。結果どうなったかは、それはまた別のお話。
そろそろお茶にしない?