ふしぎのぼうしの感想や雑記
先日ふしぎのぼうしをクリアしました!
好きポイントや思うことを思うままに書きます!
神々のトライフォースから引き継がれた2Dゼルダの面白さがギュッと濃縮されたダンジョンとアクション、そこに加えられた小さくなれるぼうし
・複数ある小さな鍵を探し最深部を目指すダンジョン
・ダンジョンで得たアイテムが攻略の鍵となり、ボスを弱らせる鍵となる。
・ひとつダンジョンをクリアするごとに行ける場所が広がってゆく
ああ、これぞ昔ながらのゼルダの伝説!と思える構造。というのも、近年のブレワイ/ティアキンは序盤の始まりの大地や空島で基本的なアイテム(能力)を全て手にして、あとは好きなとこに行くといいよ!というスタイル。その自由度の高さはもちろん魅力的なものですが、ふしぎのぼうしのように攻略を進めるごとに行ける場所が増えていくスタイルも楽しい!というのを再確認しました。
リンクはハイラル町で「ぼうや」という位置づけ。剣の修行もこれからで、習わないと剣でツボを割ることもできない(今まで当たり前のようにツボを剣で割っていたので、密かに衝撃な部分でした)。
行ける範囲の限られていたリンクが、崖を登れるようになり、泳げるようになり、洞窟を掘り進められるようになり、未知なる場所へと足を踏み入れる……冒険としてのワクワクはもちろん、リンクと共に成長する過程を楽しめるような感覚でした。
大人の自分としては、幼いリンクの成長を見守るような親のような視点と、子ども時代に戻ったような懐かしい気持ちの両方を味わえました。
ただ、アクション面で惜しかったのは、師匠からダッシュ突きや下付きを習っても全く実践で活かせていなかったこと……!これらをターナトック戦で使えたら、3Dゼルダさながらのカッコいいアクションができたように思えます。私の修行不足……!
新鮮に思ったのは、今作の目玉である、ピッコルと同じサイズになったリンクの冒険。ちいさくなったリンクの視点から観た色鮮やかで迫力のある絵調の世界、とくに絵調での「緑」の瑞々しさ、葉っぱなど植物の美しさ……絵本の中に飛び込んだような気分が味わえるのは、ゲームならではの体験のように思えます。動かせる絵本のような世界観なので、知育としても良さそうな印象。
ハイラル百科を開き、ふしぎのぼうしの開発秘話を読んでみると「ゼルダらしい世界観の中で、これまでに使われていないアイデア」というのが「小さくなるぼうし」であり、リンクのみが小さくなることで周りの地形をそのままに利用し今あるものを最大限に活かすアイデアだと書かれています。なるほど、思惑どおり……!
図書館の本を返すくだりでハイラルの町がまるでダンジョンみたいに攻略の対象となっているのも楽しかったです。ミニチャレンジのような面白さがありました。
町の方も攻略が進むとだんだんと様変わりしていったり、カケラあわせの時にNPCひとりひとりにちゃんと名が表示されていたり「生きている感」を作り込みたかったというコメントどおり、ヒトや時間の移り変わりが表現されていたのも魅力的でした。
こういった「生きている感」は時オカ、ムジュラ、ブレワイでとくに実感する美点だと思います。3Dゼルダ特有なイメージがあったのですが、2Dゼルダでもそこにこだわりしっかりと表現されていたのに感動しました!
雲の上でのアクションみたいに、2Dゼルダでありながらティアーズオブザキングダムの基盤のようなシステムを感じられたのは今だからこその部分だと思います。扇風機で大きく飛ぶこと、空中戦でボスの背中を飛び移る感覚など、今に活かされているアクションが詰め込まれていたと思います。
スカイウォードソードや時のオカリナとの繋がりをそこはかとなく感じる世界観
NPCは時のオカリナ、アイテムからスカイウォードソードの気配を感じたのもニヤリとするポイントですね。
「風のオカリナ」は時のオカリナと似た見た目ですし、「まほうのツボ」や「モグラグローブ」はスカイウォードソードに出てきました。
あの神殿やこの神殿はスカウォ時代の名残かもしれないし、まったく違うものかもしれない。
今のところ、公式によるとふしぎのぼうしはスカウォの後、四剣を経て時オカに繋がるようです。
スカウォの後は「聖地封印」と「ハイラル王国建国」を経た模様です。
それにしても、とても重要そうなことをさらりと……。
踏み込んだことについては後に書くことにします。
小国ハイラルの家庭的な雰囲気、リンクとゼルダの幼馴染な間柄
マップ上での集落は「ハイラル城」と城下町「ハイラルの町」、あとは近隣に牧場があり、リンクの住む鍛冶屋があり、ぽつぽつとヒトが点在している。ゴロン族はいるけれど、ゾーラ族は見かけない。つまり、部族がハイラル王国に統一される前の小さなハイラル……なのかもしれないと思うと、ちょっとワクワクしませんか!
もうひとつのポイントは、ハイラル王家と庶民の距離が近いところ。町の人達は王様の人柄を慕い、ハイラル王もリンクのことをよく知っているようです。
なんでも、リンクとゼルダは幼馴染。姫様であるゼルダは、お忍びで城を抜け出し気さくにリンクの自宅を訪ね、一緒にお祭りに行ったりして……おおお、可愛らしいデートではありませんか!!序盤からウキウキする部分でした。それと同時に、リンクが(プレイヤーも)ゼルダを助けたいと感じる動機がここではっきりしたように思えます。
ゼルダが盾をリンクに渡し「この盾で守ってね」と言うところも、リンクがグフーを前にして盾でゼルダを護ろうとしたところも好きポイントです。幼いながらも、しっかりと姫と騎士ではないですか…!ひゃー。
石化したゼルダに話しかけると「目を開いたまま石化している 早く助けてあげないと……」と表示されるところにも、キュっと胸が締めつけられます。まさに、ひたむきな高潔野郎の幼少期というような、リンクの純粋な気持ちがテキストのあちこちに表れているところが好きです。
リンクの祖父は腕利きの鍛冶屋。王室御用達のようで、武闘会の優勝者に与える剣も祖父が手掛けていました。初っ端から、姫とお祭りを楽しみつつ、その剣の納品するために使いへと出されます。これまでも受注や納品で城に出入りする祖父について行くなかで、リンクはゼルダ姫とお友達になったのでしょうかね。想像するとウフフとなるところです。
そうそう、エゼロに話しかけると、やたらとゼルダ姫との仲を冷やかしてくるのです!少なからず、リンクもゼルダ姫のことを話したりしているのかもしれませんね。ここは妄想が花咲くところ。
エゼロは攻略のヒントだけでなく雑談もたっぷりしてくれるようで……終盤でようやくそのことに気がついたのが惜しかったです。二周目をする時が来たら、セリフ全部回収を目標にしたい。さりげなく大事な情報が忍ばれされている。リンクの性格(髪を整えない)など、ちょっとした情報が美味しいオタクなので!
フォースとは? ピッコルとは?
かつて、世界が深い闇に呑み込まれ、魔物が蔓延る中で、空からピッコルが表れて勇者に黄金の光と剣を授けたそうです。世界が平和になった後、人々は剣を大切に祀ったといいます。それ依頼、ハイラルの町では祝祭が開かれ武闘会が開かれ、現代では優勝者にスミスの剣が与えられる……という現場から全てが始まります。
グフーの折ったピッコルの剣は、マスターソードのような見た目をしていました。が、正確にはマスターソードではなかったですね。
グフーと対峙した時にゼルダが放った光……これが所謂フォースの力なのでは? でも、この言い伝えは聖域に隠され続けていたので、誰も知ることはなかったし、平和な世では使われることもなかったのかもしれません。
伝説の要所であるゼルダ姫がフォースを使うことや、チロリアの森にピッコルの住処があることは王家の秘密となっています。たしかにフォースを求めたグフーにゼルダが狙われることを思うと、ゼルダがフォースを宿している件はあの瞬間まで知られなくてよかったのかもしれません。
スカウォでも「万物の力はいざという時のために隠すべきもの」という旨を女神の伝言として語られていましたし。女神の教えによるハイラル王家のお決まりの秘密主義も、知恵のひとつなのでしょうね……。
余談ですが、ブレワイでゼルダが放った光や、もしかするとラウルの光の力の正体もフォースだったりしないか…?という想像ができたりします。フォースは、トライフォースほど万全で万能ではない、魔を滅したり封じる光の力というポジションという感じで。ほとんど妄想ですが。
で、ピッコルとは何者だったのか??と、考えを巡らせたところ、限りなく神に近い精霊なのかもしれない……という想像に辿り着きました。これもまた誇大な妄想ですが!!
というのも、エゼロの作った願いの叶う帽子は、ほぼほぼトライフォースそのもの。太古にピッコルが勇者に授けた剣はマスターソードと似た役目を持つ。ただそこに「ガノン」がいない。終焉の者の気配もない。ので、トライフォースもなく、マスターソードもない。
今回はピッコル界(神界?)の騒動にハイラル側が巻き込まれる形で話が展開しているので、ピッコルの授けた「ぼうし」と「フォーソード」がリンクの手に渡るという形になっているよう。ガノンではない脅威に立ち向かうという点は珍しい部分だと思いました。そしてガノンがいないからこそ自由にできる部分は自由に作られているように思えます。
エゼロは、女神の力を再現しようとした賢者……という感じでしょうか。
ピッコルは、ハイリア神話からのスカウォ時代を再現しハイラルを助けてくれる神のような力を持つ精霊だったのかもしれない。そんな想像が湧きました。
そうだったらいいなという想像で補完して良い緩やかさがあるのも、ゼルダの伝説の魅力のひとつだと思います。
魔神となったグフーの姿は、時のオカリナのゴーマや夢をみる島のラスボスを思い起こすような目玉系ボスですね。ゴーマは寄生虫でしたが、夢島のラスボスは魔神的な存在だったのかもしれないと、グフーを見てよぎりました。
ゼルダの伝説における目玉模様は、シーカー族を意味していたり、ゾナウ族の第三の目を意味していたり、味方側に用いられることもあります。が、ふしぎのぼうしではグフーのぼうしやラストダンジョンの意匠として描かれているので、魔の象徴のように思えたのでした。目玉模様は、シリーズによって意味の変わる部分だな、と。
ゼルダ姫の残ったフォースとねがいのぼうしが共鳴して世界は元通りに。ステンドグラスは、のちに語り継がれる伝説となってゆくのでしょうか。
そう。ふしぎのぼうしは、神代の時代を優しい童話にしたようだと感じたのでした。女神であるディン、フロル、ネールが人間として存在していたりもしていますし。これから大きく広がり、ゴロン族やゾーラ族が傘下に入り、ゲルド族に目をつけられる前のふんわりとしたハイラル。ピッコル(神様)と共存し、魔法が普通に存在する世界。
おとぎ話のようなハイラルを旅した想い出は、小さい頃に読んだ絵本のように心に残り続けるのだと思います。
ここまで読んでくださってありがとうございます!アドバンス時代はゲームから離れていたので、今となりSwitchでプレイできて嬉しかったです!