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屋久島2日目:台風でトイレは失われる

結果的に急いで支度するなりして間に合った場合を除いて、これまでの人生で2回、寝坊による遅刻をしたことがある。

どちらも二度寝が原因で高校一年の時の女子バレーボール部朝練習への寝坊だった。
原因は体力が限界で毎日朝5時過ぎ起きの6時集合。遅刻によって顧問からは滅茶苦茶に罵倒され、先輩達に囲まれ反省の弁を強要され、チームメイト達には連帯責任を負わせた(自分達が二年生になったタイミングで顧問は定年退職になり朝練は廃止させた)。

以来おかげさまで大抵の事を「あれに比べりゃずっとマシ」というスタンスで生きてこられたものの、十分大人になった今でもたまの夢に見る程度には寝坊がトラウマだ。通常の平日は6時45分くらいに起きるのを、出張等で5時台の起床が必要な前夜は神や仏やご先祖様に祈りを捧げながらそれなりの緊張感を持って眠っている。

屋久島の二日目・縄文杉コースは朝4時の出発だった。こういう時、目覚ましのアラームを何時に設定すべきか悩む。朝食や化粧の有無にもよる。今回の場合は以下の通りだった。

  • 出発前に朝食は食べない。用意も不要。

  • 化粧は不要。短髪で帽子着用のためヘアセットも不要。

  • 朝4時に出発出来なかった場合、その日の予定は即時中止。遅れて参加することはできない。

朝練のせいで支度の早さには自信がある。
極論、目が覚めた瞬間に寝巻きを脱ぎながら服を着つつ靴に足を引っ掛けて部屋を出られる。大抵のものは現地調達できるし(実際そんなことはない)、最悪顔を洗うのも歯磨きも出先の洗面所で出来ないこともないし・・・と考えている節もある。
そのせいで眠りから覚めた後の思考が止まっていると「あとで私がなんとかするだろ」と、数十分後の自分へ全幅の信頼を寄せて二度寝しそうになる。それで実際に寝坊ということはあまりないのだが、一種の恐怖すらある。
早起きするからこそ早く起きすぎるのは危険。支度を完全に済ませて休憩するのも危険。支度ができたら部屋を出て、集合場所に着くまで座らない。

寝る前に荷物はまとめている。着替えてコンタクトを入れて顔を洗って歯磨きするだけなら、何分前に起きればいいか。
私は悩んだ挙句、3時45分前にアラームをかけることにした。

そうして朝4時、ガイドさんに車に乗せてもらい出発した。


夜明け前の真っ暗な外、満天の星空。星を見慣れなすぎて肉眼なのに本物かどうか疑わしいと思っている自分がいた

登山口へはオンシーズンの間、環境保護と人数制限のために登山バスでしか行くことが出来ない。

トレッキングの出発地点となる荒川登山口行きのバス停に5時前到着。ガイドさんからトレッキングの注意点や説明を聞き、トイレ休憩と朝食後、5時20分のバスで登山口へ向かった。

協力金を収めてもらった杉の根付け


朝食は、トレッキングをする人達のために早朝やっているお弁当屋さんで昼食と一緒に買うことができる。私はその日の気分で朝食をどの程度食べられるか大きく変わるので、前日にドラッグストアで買った薄皮あんぱんを齧った。


荒川登山口に到着したのは6時だった。バスに揺られ眠っているうちに空はぼんやり明るくなっていた。

縄文杉コース入口。トロッコのレールが奥に続いている

宿から2時間かけて移動してきたので既にそれなりの山の上だ。トイレ休憩と準備体操を済ませた。ガイドさん1人の他、自分を含む一人旅が6人で歩くトレッキングとなった。

普段ならまだ寝ている時間なのでガイドさんからいつその説明を聞いたか覚えていないのだが、先日の台風10号の影響で荒川登山口から先のトイレは全て使えないということだった。

トイレが近い方ではないが休憩含めて往復10時間の道のりで無しというのは中々ないので緊張が走った。

もちろん、10時間で全く行くことが出来ないわけではない。道中数カ所で携帯トイレが使用できるブースが設けられている。携帯トイレ自体はガイドブックからも絶対に持ってきてください!と念を押されて持ってきていた。あくまでも緊急時に使うつもりでいた。なるべく使いたくない・・・・・・

一抹の不安を抱えて、午前6時15分荒川登山口を出発。


ご来光

ここから2時間半、8kmのトロッコ道を歩いた。やや競歩のスピードを保ちながら、要所でガイドさんの解説を聞き立ち止まるのを挟みながらひたすら歩く。

これがいわゆる三岳(地酒の名前)らしい
岩が大きい
屋久猿。小さい。全く逃げようとする気配がない。


この細い線路の上を歩く

トロッコ道は舗装されているから歩きやすい。8kmと言っても傾斜の強い道ではないから初心者でも大丈夫。

そういった前情報を聞いて、正直「まあなんとかなるだろ」と思っていた。確かに大丈夫は大丈夫だったけど、トロッコ道にふたつ誤算があった。

ひとつめは、景色がいいというのは分かるのだけれど、景色を見る余裕はあまり無い。トロッコの道は思いのほか歩きにくい。トロッコの板の間や端に足が引っかからないように注意深く歩くため、多くの時間を足元を見ていた。ガイドさん+6人一列をやや競歩で歩くので、楽しくみんなで会話しながらというわけにもいかない。たまにチラチラと脇目を振って景色を見つつ無心になって黙々と歩いた。

ふたつめは、思いのほか危険ということだ。トロッコ道は細く、場所によってその道を踏み外せばすぐ崖の下という箇所もあった。特に恐ろしかったのは橋だ。何十メートルも下に巨大な岩が転がっている数ヶ所の橋には欄干(手すりのような柵)がない。
油断して一歩足を滑らせたら死!
という瞬間が結構な頻度で起きる。都度ガイドさんが「ここ気をつけて〜」と声をかけてくれるのだが、そんな、カジュアルな気をつけてでは済まない、際どい細さの橋もあった。必死だったから写真も残っていない。最低限の運動神経はもとより、高所恐怖症の人はかなり厳しいだろう。ガイドブックでは綺麗な景色と荘厳たる杉の木が褒め称えられていて、それは間違いなくそうだったが身の安全のためにも知っておきたい点だった。

数少ない橋の上で写真を取れるくらい立派な欄干


トロッコ終点、本来なら必ず行っておきたいトイレ

休憩を取り、いよいよ本格的な登山道なのだけれども、最初の階段道がとにかく急。それまでずっと平坦だったのに、突然急な階段をしばらく登る。つまり自分の全体重と荷物の分を重力に逆らって持ち上げる作業をし続ける。はたから見るとただの階段のはずなのに、正直ここが一番辛かった。ヒィヒィと言う、というより

「は〜?えっ?まじで?これがトレッキング?これが6kmずっとやるの?無理だな!え!無理無理無理ちょっとガイドさーん!ストップ!帰ります!これは無理でーーーす!!!!」

というような言葉を口から一度に出したせいで、総合的な音として
「ギャーーーァッ」
と叫びながら登った。
東京へ戻ってソファに寝っ転がりながら思い返すと、どうしてあんなにも絶望したのか不思議なのだけども、そこに至るまで既に8kmを歩いてきている。普通に体は疲れていないわけもなく、帰りも同じ距離だけ歩かなければならない。まだ折り返してもいない現実に絶望を見たのだろう。
しばらく続いた登り坂がようやく平坦になった。平坦と言っても崖の端っこの狭いスペースにしがみついている。
「息を整えましょうね」
と言って足を止めた笑顔のガイドさんに詰め寄り、「もしかしてこの感じでずっと続くんですか?!」と大きな声で聞いた。胸ぐらこそ流石に掴んでいないがこの間もハアハアハアハア言っている。誠に大人気ないが、こちらとしても前週までどっぷりデスクワークをしてきて慢性的運動不足なのだ。生命の危機は回避しなければならない。

「ずっとじゃないけど数ヶ所あります!」
朗らかな答えに、(まぁ・・・ずっとじゃなければいっか・・・)と何故か安堵していた。
どんなに心拍数が乱れて辛くても、しばらく足を止めて待てば必ず元に戻る。息が整わない時間が続くと酸素が体を回らず怖くなって不安で嫌な気持ちになるけど、心拍と呼吸が落ち着く間隔さえ自分で掴めれば、冷静なまま確実に動き続けることはできる。私はもう体育会系の女子高生ではないので、過呼吸になって息が戻っていないところに罵倒されながら背中からボールをぶつけられることもない。平和だね……

途中、幹の中に入って光がハート型に見えるウィルソン株や

ガイドブックでみた!

間を潜れるほど大きなくぐり杉、

くぐる時に屈むのがしんどい!


樹齢数千年の大王杉、

太い!

辿り着いたら着いたで「オッ!」となるのだが、それ以外はひたすら険しい道のりを進む。
気を緩めようものならトロッコ道と同じかそれ以上に滑落のリスクもある。この縄文杉コースには、トロッコ終点直後の1から縄文杉の50まで小さな札が付いていてそれを順番に辿ることになるのだが、「ずっとじゃないけど数ヶ所ある」道のりで、また「ギャーーーァッ」と叫びたい気持ちになるのを抑え、ひたすら呼吸を整えることだけに集中する。

その数ヶ所のほとんどが剥き出しの自然な獣道ではなく、人口の階段によるものだった。階段を作る必要があるだけ急勾配なのだろうと想像する。有給休暇を消化してまで何故わざわざこんな思いをしているのか意味がわからなくなり、目的も見失う。必死でガイドさんが指差してくれた最初と最後の1と50しか注目する余裕はなかった。

最初の1

いよいよ縄文杉の手前まで来て昼食を食べた。
まだ道を折り返していないが服も髪も汗でドロドロな状態で、早朝受け取ったお弁当を食べる。

さすがに美味しかった。
外で食べると味がどうこうと言う以上に、消費されたカロリーが満たされる。

水は、道の途中に何ヶ所も汲み場があって困らない。
無知なインドアなせいで、人工的に浄水されたわけではない自然のままの水を飲むことに若干の抵抗があった。山の中を通ってきてるってことは土とか砂とか混ざってないの・・・・・・?と疑っていたのだけれど、一口飲めばそれがミネラルウォーターかそれ以上に美味しいことに気付いた。まだ気温は高かったが湧水は程よく冷たくて飲みやすい。

ホースが取り付けられていてペットボトルでも汲みやすい


これはガイドさんに教えてもらったのだけれど、屋久島には土がないのだという。海底から出たマグマが冷えて固まりできた巨大な岩が屋久島。
土がないのに木があんなに生えているのはどう言うことだとも思うが、土に見えるのは岩が砕けた後の砂利で、至る所で苔がむしている。土がなく栄養がないからこそ杉の木はゆっくり成長するしかなく長生きなのだそうだ。

完全にブラタモリみたいになってきた解説を聞きながら「へ〜〜〜」と心の中で思っているものの当時はとにかく足を動かし続けるのに注力していた。
※申し開きするが、ブラタモリ自体はサブスク配信するなら絶対お金を払って全部見直したいくらい好きだ。

最後の50


そして、ついに縄文杉に到着した。


達成感がすごい

スピリチュアル的な雰囲気を感じとるのが極端に苦手であるため、パワースポットとしての有難みを説明することは難しい。何より人が沢山いて賑やかだ。ゴールデンウィークや夏休み時期に来たら、近寄るのにも30分くらい並ぶことになるのだそうだ。それに比べてかなり空いているということらしいが、それでも縄文杉の周りには多くの人で賑わっていた。

パワースポットかどうかは知らないが、ここまでたどり着くことが出来た自信と、登りの道が終わったのだという解放感には包まれることができた。いいじゃん屋久島。楽しいじゃん屋久島、という気持ちになれた。

ちなみに木が多すぎて山の外側の風景は見えないので、自分がどれくらい高いところまで登ってきたかは分からない。山の頂点に来て「やっほー!」というような快感は無い。

しばらく縄文杉を様々な角度から写真を撮ったあと、復路が始まった。全く同じ道を戻る。

下りは、登るよりも体力的には楽だった。登る時に足にかかった体重は、地球の重力が勝手に降ろしてくれる。ただ、下りの道は階段よりも山道がしんどい。四つん這いで登った道はどうしたって登るしか無かったが、下りは一歩踏み外せばそのまま滑り落ちることになる。崖の下に落ちる訳では無いが、怪我をしたり前にいる人を巻き込みそうで常に緊張感のある帰り道だった。

ガイドさんが積極的に記念撮影を勧めてくれる

そしてようやく山道が終わった後は、8kmのトロッコ道をまたひたすらに歩く。既に朝から7時間以上歩いた後、見覚えのある8kmを歩くのは、一言で言えば「修行」に他ならない。決して来たことを後悔している訳でもないのに「せっかくの夏休みにわざわざお金を払って何故ここにいるんだ…?」という虚無に何度も襲われた。
その答えは帰ってきた今も出ていない。

トロッコ道の終盤で寄り道させてもらった川。岩デカイ
アイシングのため川にふくらはぎまで突っ込んで冷やした

そういえば、トイレには一度も行きたくならなかった。全部汗として体外に出たらしく、シャツはグッショグショのベタベタだった。
やっぱりアウトドアもスポーツも好きじゃないな、と思うくせに、なんかいい感じで締めくくるように、最後の休憩で川に立ち寄りガイドさんが淹れてくれたドリップコーヒーがすごく美味しくて全て最高になってしまった。利尿作用があるからと昨日から我慢していたコーヒーだ。
悔しいけどカフェイン中毒なので致し方がなかった。


足ガクガクで夜食べに行ったトビウオの唐揚げ定食。頭と鰭を最後まで食べた方がいいと店員さんに念押される。

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