負けず嫌いで弱虫な私は、トイレでくつろいで浴室で泣く
人とかかわることを「煩わしい」と思うときは誰にでもあると思う。
私もそうだし、9:1(頑張って8:2)の割合で一人の時間が多くないとダメだ。
でも私の家は家族が多くて、昔から家のどこにいても家族の存在を感じられた。個人の部屋なんてなくて、兄が家を出るまで、私が家を出るまで、兄妹みんな同じ部屋だった。
一人になりたい。
いっそ孤独だと感じるくらい一人になりたかった。
そんな私のくつろげる場所は、トイレだった。
入っている間は、誰も話しかけてこない。
時間帯さえ気をつければ、ノックされることもない。
お世辞にもいい匂いだとは言えない芳香剤の香りが、私の世界を守るベールだった。
大丈夫、大丈夫、まだ頑張れる。
詰めていた息を吐き出す瞬間、漠然とそう思えた。
私は頑固で、どんなことがあっても人前では泣かなかった。
兄に怒られたとき。
喧嘩で負けて悔しかったとき。
鉄パイプがぶつかって左足を怪我したとき。
信じていた友だちが知らない他人に変わったとき。
自分で自分を殺したくなったとき。
手のひらが傷つくほど拳を握りしめて、あやまって舌を傷つけるほど強く歯を噛み締めて、耐えて耐えて最後に浴室へと駆け込む。
なんでもないフリをしながらお風呂の用意をして、急く気持ちとは反対に足取り穏やかに浴室へと身を隠す。
必死に息を詰めて、ひきつる声を殺す。
夕立のように勢いよく流れる涙はいつだってシャワーが隠してくれたから、静かな慟哭が空気を震わせた瞬間、私は安心してただの子どもに戻るのだ。
浴室の大きな鏡に映るのは、うるんで真っ赤になった目の自分。
情けない自分、弱い自分が心底嫌いだった。
湯気が充満した浴室内で、深呼吸を3回。
吐き出す息が、みっともなく震えている。
クラクラして倒れそうになると、涙の理由を忘れられた。
誰の耳にも届かないビブラートは、私が生きている証だ。
大人になって泣くことは減ったけど、どうしても無理で泣きそうになるとき迷わず駆け込むのはやっぱり浴室で、あぁ癖になってるんだなぁなんて思う。
結局涙は流れなくて、鏡に映る私は涼しい顔をしているけど、いつだってその向こうに真っ赤な目の私が見える。
大丈夫。
大丈夫だよ。
一人でいたいとき、何時間でも座りこんでいい場所を持っているから。
涙を見せられる人、拭ってくれる人はまだいないけど、自分で自分を慰める術を知っているから。
トイレにいるとほっとするのも、浴室なら気にせず泣けるのも変わっていないけど、もう大丈夫なんだよ。
何年もかかったけど、笑顔でいられる場所もちゃんと見つけられたから。
小さな私に安心してと伝えられる場所はないけど、自分を傷つけてまで泣くのを我慢することはもうないだろう。
負けることも糧にできる強かな私は、
今日もトイレでくつろいで、
浴室の鏡に向かって渾身のアルカイックスマイルをかますのだ。