ベトナムの元寇バクダン河の戦い
鎌倉時代にモンゴル帝国が日本に攻めてきた文永の役と弘安の役は、元寇
と呼ばれて日本歴史上の最大の外患事件の一つである。
当時の世界帝国であったモンゴル遠征軍を日本の武士たちが撃退したことから神国神話が生まれることになった。
ただモンゴルが侵略した国は日本だけでなく、高麗や樺太やジャワや
ベトナムとアジア全域やヨーロッパに及ぶ。
このうちベトナムがモンゴル遠征軍を打ち破ったバクダン河の戦いに
ついて少し触れてみようと思う。
モンゴル帝国の支配者フビライは、1258年と1283年に陳朝(当時の
ベトナム王朝)に遠征を行い失敗していた。
しかしフビライは諦めずに1287年に3度目の遠征を実行したのである。
そこでフビライは息子のトガンを司令官に任命して、9万の兵力をもって
ベトナムに侵攻した。
トガンは昇龍を占領して意気が上がるが、ベトナムは建物や食料を
焼き払う焦土作戦を実行して対抗した。
そしてベトナムの陳国峻(チャンフンダオ)将軍はバクダン河の干満の
差を調べて河に杭を打ち込んでモンゴル軍を待ち伏せした。
ベトナム軍は巧に河にモンゴル軍をおびき寄せて潮が引いた瞬間に
身動き取れなくなったモンゴルの船を小舟の大群で襲い掛かり、全滅
させたのである。
この戦争の経験は後のインドシナ戦争やベトナム戦争に生かされ、
ベトナムはフランスやアメリカのような大国に勝利している。