41.魔剣開運透視術②
(3) トリックとしての符牒の技芸
この言い当てる技芸は、符牒というあらかじめ仲間うちで決めた隠語を使い、いかに聴衆に気付かせず正確に、見えないものを言い当てるかがポイントです。明治・大正期は書き言葉、話し言葉、語り言葉が明確に区別されており、語り言葉の芸能として詩吟、浪曲が受けていました。単語音節である日本語固有のこぶしや節回しで聞かせる芸で、この節回しや間合いに隠語を忍ばせ、当事者しかわからないコミュニケーションで物を言い当てる芸です。お客の持ち物、書いたもの(念写)をその場の状況に応じて色、形、材質などを巧みに言い当てるようにするため、多くの引き出しから分からぬように隠語を述べる職人的テクニックがあったようです。なぜ芸人がそれほどこの芸に打込めたかそれには、当時の念写や予知能力が当時の人を強く引付けた背景がありました。
(4)これぞ近代科学だ!予知能力、謎の念写疑惑
19世紀末~20世紀初頭は、科学技術が飛躍的に進歩した時代です。特に電気、放射線等の発見は、目には見えない波長や線量が学術的に立証されました。これを論拠として注目されたのが人間に脳波です。この脳波や人体のバイオリズムによって人類が解き明かすことの出来なかった謎、勘の良い人、勝負の勢い、スランプなどとの関連を立証できるのではないか?この仮説は多くの人に影響を与えました。例えば、発明王エジソンは自ら設立した研究所に多額の投資をしてその解明に当たりました。日本でこの研究に触発されたのが、東京帝国大学の福来博士(注1)です。熊本在住の御船千鶴子の念写能力の実験に成功したと発表したのです。念写とは、鉄板の箱に厳重に封印された紙に書かれた文字を見ずに言い当てるというものです。「超能力が科学的に立証された」の報は世間を驚かせました。しかし、福来博士の研究が注目を浴び、実験を繰り返すうちに調整不足や実験結果の信憑性に疑念がもたれるようになりました。これを苦に千鶴子が自殺、続く長尾郁子も急死し福来博士との関係が取り沙汰されます。学会は彼に警告を発しましたが、彼は自説を曲げず、ここに至って、世間の好機の目を集める一大スキャンダルとして話題となりました。インチキ、ペテン師の罵声浴び、彼は東大を追放されます。これを契機に大道芸透視術は、人気になりました。