4. 江戸時代その一、こんな者だよ、大道芸人


 江戸時代の大道芸人は、香具師(やし)または、乞胸(ごうむね)と呼ばれていました。香具師とは、おりなどの路上や露店で物を売るついでにパフォーマンスしていた物売り芸人をいい、最初は薬や香など売っていた薬師(やし)が語源になったようです。乞胸は江戸の辻などで、歌舞音曲のパフォーマンスして金銭を乞うた見世もの芸人をいい、最初、胸を叩き興を得ていたとか、合棟(ごうむね)と呼ばれる長屋に住んでいたとかが語源になったようです。乞胸はこの路上パフォーマンスと門付けと呼ばれる玄関先の演技で金銭を乞うだけで、今のようにイベントのステージに立つことは、難しかったようです。この時代のステージ(寄席)は、師匠や座主に認められ限られた寄せ芸人に限られ、祭りのイベントも香具師のみの閉じた社会だったからです。
江戸時代は厳格な身分制度があり、その身分ごとに職業、礼儀、服装などが決められていました。乞胸の管理は、穢多(えた)・非人の階級を采配する矢野弾左衛門の配下の浅草非人頭・車善七が当たり、更に芸能賤民乞胸頭・山本仁太夫がいました。この時代、飢饉で食えず農村から出て来た無宿者、生計が成り立たなくなった町人が多く、これらの貧民を管理、市中の治安を守る必要がありました。このため、乞胸が路上でパフォーマンスするためには、鑑札というものが与えられ市中で勧進(かんじん) *1することを許可しました。
*1:勧進とは、仏教の教えや寺への寄進を民衆に説くこと。後に神仏の霊を迎え祈願することも意味するようになる。当時、歌舞音曲は非生産的、無価値とされていたため、勧進の名目で鑑札がゆるされました。
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