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水長(みずおさ)森下光明さんの短剣

先週の火曜日、私の小学校の同僚のC先生、彼女は私が日本語教師として雇われる前まで日本語を教えていた。現在は3、4年生のクラス担任をしている。C先生は日本語での会話は難しいけれど、ひらがなと少し漢字が分かる。そのC先生から先週、今度の月曜日(つまり今日)空いてる?と聞かれた。コロナのこともあって、何も予定を入れていなかったので、大丈夫、と答えた。

実はC先生が、彼女の友達から日本の物を所蔵しているのだけれど、日本語が読めないので誰か助けてくれる人を知らないだろうかと相談を受け、私に聞いてみようと思ったのだそうだ。私は古典が好きだったとはいえ、文字、文章、漢字によっては読めるかどうかも分からないし、歴史的なことについては私は明るくないので、「読めないかもしれないけど。」と前置きをして、月曜日会う事になった。

お友達のSさんの家に着くと、ランチでもてなしていただいた。お茶、お菓子をいただいてから、さっそく鑑定?をすることになった。

布に包まれていたのは上の写真の短剣。この短剣には持ち主であろう方の名札が付いていた。木の名札には水長(みずおさ=船頭=英語だとキャプテンになるかと思う)森下光明と書いてあり、Sさんの親戚のGeoff(ジェフ)さんのお父さんがこれを日本兵からもらったと聞いている、という事だった。

これがその木の名札です。

第26第五分隊1

水長は船頭の意味(グーグルありがとう。)、そして、森下光明さんがお名前だと直ぐ分かったのですが、墨が滲んでよく読めなかったので、「第二十六誉(?)第五分隊」をインターネットで調べてみたら、この記事を発見

以下、この記事より一部抜粋。

今度は、各分隊の説明に変わる。一分隊から四分隊までは主砲分隊、五分隊が副砲分隊、六分隊が高角砲分隊、七分隊は機銃分隊、八分隊が主砲幹部、九分隊が副砲幹部、十分隊までが兵科分隊である。
十一分隊通信科、十二分隊航海科、十三分隊運用科、十四分隊工作科、十五分隊電気科、十六分隊補機科、十七分隊飛行科、十八分隊機械科、十九分隊缶科、二十分隊医務科、二十一分隊主計科、以上で終わりである。

上記の記事から、五分隊が大砲を扱うという事が分かった。もちろん、軍艦長門でなければ、違う任務を請け負っていたかもしれない。でも、もし、森下さんが軍艦長門の海軍兵だったら、その可能性は大きい。

申し訳ないけれども、本当に戦艦長門の五分隊なのか、ほかの戦艦なのか私には分かりようがなかったが、Geoffさんのお父さんはNavy(海軍)だったので、可能性はあるのかもしれない。しかし、Geoffさんのお父さんがどのようないきさつでこの短剣をもらうことになったか、詳しくは分からないという。とりあえず、持ち主の名前と彼ががどこに所属していたかが分かっただけでも、Geoffさんは嬉しそうだった。

私が持っていた知識として、短剣は護身用に使うために所持していたという事。だから、森下さんがGeoffさんのお父さんに自分を守るための短剣を差し上げるということは、それなりの関係がGeoffさんのお父さんと森下さんにあったに違いないのではないか。または、何かのお礼のために短剣を差し上げたのではないかと推測する、と私の見解をたGeoffさんたちに伝えた。

そして、家に帰ってきて、懐剣について調べてみるとウィキペディアに以下の情報を発見した。私は和魂洋才という言葉が気になった。

戦前の日本における大日本帝国海軍士官および兵学校生徒の海軍短剣と文官や警察官等の短剣は、短刀を西洋風な短剣の拵えに仕込んだものであり、和魂洋才を象徴している。
和魂洋才(わこんようさい)とは、日本古来の精神を大切にしつつ、西洋からの優れた学問・知識・技術などを摂取・活用し、両者を調和・発展させていくという意味の言葉である。 古くから使われていた「和魂漢才」をもとに作られた用語。

この短剣が戦前か、それとも戦時中に作られた物なのか分からないが短剣が日本古来の精神を礎に、西洋の技術、西洋風に誂えた、というところに森下さんとGeoffさんのお父さんの姿が重なった。

第二次世界大戦では、日本とオーストラリアは敵同士。なのに、森下さんから短剣をいただいたGeoffさんのお父さん。私が歴史関係に明るくなくて、あまり役に立たなかったけれども、一つ言えることは戦時中の敵、味方であっても、何らかの人間らしい関係が森下さんとGeoffさんのお父さんにあったはず。

もし、どなたか水長、森下光明さんをご存知の方がいらっしゃったら、ご連絡いただけますか。よろしくお願いいたします。



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