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エピソード2

大分県湯布院 
匙屋〜甲斐のぶお工房    代表 甲斐暢夫

アトリエときで修行(?)を始めたのは1996年…だったか。あるいは1993年?
自分の歳さえも忘れている。自分がこの仕事を始めて何年になるのかも分からない。
まだ数年のような気もする。

僕の父、治夫は1960年初頭に「クラフト運動」に共感し、作り手として活動を始めました。
当時、産業工芸試験所はデザインや工芸の振興に力を入れており、若き時松先生はその産工試の職員として父と行動を共にする事もあったようです。
そんな関係もあって、“クラフトの物作りを目指すのならば時松さんのところで勉強してみろ“と、僕は時松先生の指導を受ける事になりました。
当時、先輩に戸高さん、四国の甲斐さんがおりましたね。
朝は、7時出勤、館内と庭の掃除、そして朝ご飯の準備。
食事当番は交代制で、3食皆で食べます。
内弟子の職人の世界ではよくある日常です。
「掃除や料理は、段取りを身につけるのに大事な要素」だ、とよくおっしゃっていました。
最初のうちは戸惑ったものの、料理も掃除も好きだったのですぐに馴染み、加えて、大きな顔をするのも得意なので(?)やがてベテランの職人のように振る舞っていました。
それはさておき、
時松先生は教え魔、いえ、教え上手です。
失敗したり、うまく出来ないとき「どうすれば良いか教えて下さい」というと、先生は何をしていてもすぐにやって見せてくれました
我々の仕事は、数値では表しにくい、言葉では表現しにくい事が多々あります。
先生の体・手の動きを見て、言われた言葉のニュアンスを感じ取って、自分で繰り返し手を動かし続けるしか「正しい形」を身につける事は出来ないのです。
そのための分かりやすいヒントを与えてくれました。

ロクロは、“木工の華”かもしれません。
先生に「ろくろを教えて下さい」と言ってもなかなか教えてくれませんでした。
2年程アトリエときにいた中で、ろくろを教わったのは一ヶ月もありません。
しかし、今はそれで良かったのだと思っています。
ときにいる間は、技術的なスキルを身につける事ももちろん重要な事ですが、それよりも物作りに対する考え方、姿勢を学び、覚悟を決める時間だったんだ、と今思います。

先生の話の中には矛盾する事もよくありました。
それも今は、表現は違いこそすれ本質的なところは同じ事なんだな、と思う事もあります。
また、「丸くないと金が取れん…」という事をよく言っていました。
僕なりの解釈をすれば「丁寧に仕上げろ」と言う事だと思っています。
先生の作品を見て「先生の人柄がよく表れていますね」と多くの方が口にします。
使う人の気持ちを考えた、持ちやすくそして優しいデザイン。
内面の優しさが表現されているのだと思います。(ただ、性格的には激しい一面もありますが・・・)
このデザイン性は僕の父とは少し違うところです。
『形態は機能に従う』をモットーにシンプルなデザインが多く、そして、「丸い柔らかい中にもどこかに必ずピシッと鋭い線を残せ」と父にはよく言われました。
僕は、ときで勉強しながら「このままずっとときにいても良いかな・・・」と思ったりもしていましたが、先生はそんな父の息子である僕にはやや遠慮していた(距離をおいていた?)ような感じもします。
今では独立して良かった。それで良かったのだと思っています。

なんだか自分の事中心になってしましました。
これからも、時松先生の思いと父の思想を受け継ぎ精進しなければならない、と思います。

最後に先生のあるあるエピソードを・・
先生を車で送り迎えをすることがありましたが先生は道中よく居眠りをします。
そんな時、決まって寝ていないふりをするのです。
ある時、助手席の先生が突然「さっき貰ったお土産はどうした?」と僕に問いかけました。
お土産なんてもらっていないので「お土産なんて無いですよ」っていうと、「あそうか、夢やったか」って苦笑いしていた事があります。
そんなお茶目な一面もありました。

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