エピソード10
大分県湯布院
miko aetas
代表 江藤三代子
私は湯布院に嫁ぎ縁あってアトリエときに面接に行きました。
先生から3日間来てみて良ければ勤めなさいと言われ、私は今までやった事がなく、こんな仕事があるんだなと新鮮で楽しくて行くことにしました。
初日先生から工房の説明を受けた時「工房には風の神様が居るから、どういう風に仕事をすれば埃を吸わないか風の方向を考えて仕事をしなさい」と言われ、工房って神聖な所なんだなと思いました。
しかし行き始めて数ヶ月で家族が病気になりすぐに辞めることになりました。
それから10年位して、子供が保育園に行くのを機に働こうと思っていたら、アトリエときから電話があり仕事に来ないかと言われて又ときに勤める事になりました。
パートだったので月12日程勤め、初めはご飯当番と水研ぎの毎日でしたが、1年位して工房も手伝う様になりました。
先生との思い出はあり過ぎて何から書けば良いのかと迷いますが…
ある時、先生が体調を壊し年金病院に入院している時、塗装室の換気扇が壊れて塗装出来なくなり、急ぎ病院へ先生の指示を仰ぎに行きました。
先生が塗装室の図面を書いてる時、作業している人を書いてくれてましたが、その作業人の靴の形が悪かったのか、それを何回も消しゴムで消して書き直していました。
私は早く帰って塗装したかったので「靴とかどうでもいいのに、何なら履いてなくても図面に支障はない」と思いながら見ていました。
でも今思うと先生はどんな物でも形に拘る人なんだなと関心しています。
それから先生は治具の天才です。
不器用でど素人の私が直ぐに出来る様に色々作ってくれました。私の中のその最たる物が木の葉皿を接着する圧着機です。始めは大きいハタガネで閉めていましたが、私にとってはとても力の要る仕事で大変でしたが圧着機が出来てからとても楽になりました。
ときの工房が一旦閉まっている間、圧着機が使われていない事がとても気になっていました。
私は2回目は10年位勤めましたが今度は母の介護の問題で又辞める事になりました。
辞める時先生が「江藤さんは又ときに帰って来るかもしれない?」と「何故ですか?」と聞くと「二度あることは三度ある」と言われました。
その時はそんなことないわと思っていましたが、先生の言った通りやっぱりときに帰って来ました。
そして今、気がかりだった圧着機が使えてとても嬉しいです。
ですが、全て先生頼りだった私は毎日小さい壁や大きい壁にぶち当たりながらやっています。
こんな近くに木工の天才がいたのに何も学べてなかった事が情けないです。
先生は「江藤さん何しよるん?そげなこつして!」ときっと天国から心配していると思いますが、心配なら帰って来てといつも思っています。