乗っ取られてた話
あれっあのOneNoteの容量keepしたのどうなったんや?から始まる、ドジな長い話。
初めて microsoft にchat で問い合わせるということした。表示通りなら日本に家系図的につながりのある外国語を母語とする人と翻訳を通してコミニュケーションとっていたことになる。
結論からいうと microsoft の個人情報保護は固く、自らのミスで乗っ取られた場合、固いが故にアカウントにはいることもできず削除することもできない。
幸いだったのは、Onenote が出たての頃であくまで試しでしか使ってなくて今の microsoft アカウントのようにカード情報と紐付けられていることはなく、使えない。あくまで microsoft のOneNote のアカウントだけで、アカウント名に使ってた google アカウントには及んでない。あの頃くらいから認証が厳しくなっていったからなおのこと google アカウントには及んでない。ただあの頃使いまわしが多かったし、長期で全く変更してない場合があるのでれを期に変更しようかと思う。
なぜ二つのアカウントがあるのか?
OneNoteがリリースされた当時、メインで使っていた google アカウントはSNS サービスの g+ で使用していたものだった。EverNote に変わるのか?試しでインストールしてた。まだ今のようなネットの速度に変わる前で反応の遅さにストレスを感じていた。だから放置気味。しかし計画の当初 OneNote に割り振られた容量は結構大きかった。縮小する際に旧容量を望む場合はその手続きをするということで旧容量は確保した。
そうこうやってるとゲーム ingress をやることになる。 g+ と同じだといろいろまずいので別のアカウントを作ることになる。そのころ g+ は、初期の面白さから、なんか独りを感じる物へとなっていた。リアルに部屋で独りでいるより孤独を感じる・・・フォローしてる人たちがもともと勤務地などで同じ属性を持ち飲み会などでリアルに集まっていて、飲み会の度に人は特定できないのに同じ料理や乾杯のグラスが画像として溢れる。そこに自分は行くことない。疎外の意図はないけどそれ堪えた。そして疎遠になっていく。
一方、 ingress は逆に陣営毎の共有感でつながっていく。リアルな名前は知らないけど。その経緯があるから、google アカウントで接続可の場合、孤独ではなかった方のアカウントばかりを使うことになった。やがてmac派だったのに、仕事がらみでwinを扱うことになる。最初はPCを購入せずに会社で型落ちで使えなくなったものにメモリー勝手にいれて、office 365 これも普通に孤独じゃ無いほうを使った。そこには OneNoteもパッキングされている。業務で使っていたPCはシステムが98SE、Win7,win10と上がって行っても大概アップデート優先で使えなくなって購入となる。 office がアカウント的に使えなくなる。で家で風呂敷残業するにも excel word が必要となる。個人で office 365を購入して使用可能な登録マシンの一つに自分のアカウントで入れることになる。それにより、二つのmicrosoft アカウントを持ち、片方を忘れていた。
気づいたのは偶然
ちょっとした思い付きでスマホを買った。思い付きは今のリアルに付き合ってる人が知らない番号を持ちたかったから。SNSは電話番号でつながっていく仕組みになってるから、Lineやinstaの知り合い候補に次から次と出てくる。俺のpost を商談の場であげつらわれるウザさ。会社的にタブーのコードを個人の投稿でしてるとチクられる実情がウザい。
で、android だとgoogle アカウント要求されるから、休止状態の例の孤独を感じたアカウントを復活させた。そう言えば、あの容量を維持したアカウントってこのメアドに紐ついてなかったっけ?メアドをアカウントにしてるパターンなのでアカウント名そのものはgoogle のメアドへ送られて認証まではいける。パスワードあの当時のがわからないからパスワードを忘れた時をクリック。見たことのないメールに送信になってる。
迂回策はあるらしい。当時の個人情報をいれて合致とAIが判断すれば入れるが、その時って結構メンタル的に落ちてた頃で、孤独に対して忌避したかったようで、全く記録がない。パスワードそのものを書き換えられていたらお手上げ。封印するしかない。その前に消してもらうことはできないのか?
しかし、方法はどこにも案内されていない。一番下にあるお問い合わせのchatに賭けてみた。入れるのは通常使ってるアカウントから
「別のアカウントが乗っ取られてるがどうしたらいいですか」
「支払いなどに紐ついてないので削除したい」
『アカウントに入って削除するしかない。実害がなければ放置するしかない!』
「使いまわしてるのでこれを期に見直します」
そんなやりとりで終わる。
孤独のメモリアルって痛いよな!
乗っ取られた物が永久にそこにあるという認知、それを生んだのは本来つながりの舞台であるはずのSNSで感じた孤独感だった。何故リアルでなくネット空間に寄りかかったのか?それでバランスをとるしかなかった現実。それは今もである。
´nk****@xx.em-´の物になってるのは microsoft 側だけだから、google の方のセキュリティをあげていくしかない。
孤独の象徴のアカウントって自分のmac lifeの変遷と深い関りがある。
ある意味孤独とそれに続くウツの時期と重なる。唯一の情報入手手段だったし、Hulu 他の動画もそれだったし、ミラーレスで撮った画像の処理整理もそれだった。
鬱屈と生きていた頃の象徴でもある。
残り時間を賭けた未来へ
そもそもSNSと関わって孤独を感じる前までは、”己” その物だったんだよね。己の再生、止まっていた自分軸を回転させる。今度こそSNS本来のあり方の中で自分を取り戻す。残り時間ぎりぎりまで俺の人生だし。
その意味で 未来 ではなく、仕舞う ためのあがきなのだと思う。俺の本質はなんなのか?今も問う。全部俺が悪いらしいが、なら悪乗りして仕掛けるよ!
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