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家とのお別れ、春からのこと、夜明けてか朝、片付け子

 個人的な夜明けを感じている。夜が明けるというよりは、自分の力で朝を設定しなおせた。陽の光とかでもなく、ただただ朝、朝きました。みたいな。いや普通にこれ書いてるのが朝だからっていうのもあるかもしれない。
とにかく何か書く気になったことで大満足しているるんるん

コーヒーにどのタイミングでミルクを入れるか悩む。最初の一口はあつあつ苦い感じで頭を起こしたいけど、ミルク入れてまろやかまろやかしてたくもある。
リハビリ、リハビリ
昨日休学の手続きを完了させた。

おはようございます!!!!!
 書くなら毎日、とかできるだけさらけ出して、とか、毎回心の中にちょっとそういう思いが浮かんでないこともないですが、近況報告くらいでいいのよっても思いました。あと、さらけ出しすぎなさの大切さも学んだような、でもやっぱりある程度はさらけ出しておいた方がいいような。そこはまだわからぬところではある。
 先月を1ヶ月前でなく13ヶ月前だよと嘘をつかれても騙されてしまいそう。それくらい、あったようななかったような、何も考えなかったらそのうち夢として消えてしまいそうなモワモワの1年だった。その間に新しく出会った人たちに普通に来週会うということに、ハー夢ではないのね、とこれもまたモワモワした気持ち。

 ああなんか気づいたら私たち、自分で稼いだお金でコンビニに行ってるよねとか、化粧品買ってるよねとか、野菜とか肉とか買ってるよねとか、あたかも歩けるようになってから普通にそうしてましたよと言わんばかりのなじみ用が異様な気もするが、実際ここ2年くらいの話なのだ。ありがとう。て話をさいちゃんとしたような気がするが、多分ひとりで考えてただけだと思う。わたしたち、って。
 お父さんやお母さんそれぞれと食事をした時に自分も出した方がいいんじゃないかとソワソワし、あ、、すんません、、みたいな感じでしれっと奢ってもらったみたいな感じになって、今までも必ず言っていた外食のあとのごちそうさまでした、がふわついたものになってしまったなーとこの前思った。自分の小さな頃を知っている人たちに、少なからず成長したり大人になったりしている自分を確認されるのがはずかしい。ただでさえ、人と関わる時のはずかしさ(わるい意味ではない)はずっとあるのに。
 私はこうやってばーっと文章を書き始める前、誰かの文章を読みまくったあとが多い。しかも、久しぶりに書いた、バーっと書いた、みたいな日は大体、見つけてしまったとある誰かの文章の文体やその内容に影響を受けて書いていると思う。それは誰かの日記とかブログとか、インスタの文章とか(これが一番多い)。

 少し別れを経験した気がする。でもまだわからない。長く住んだとは言えないが、いちばん連続して長く住んだ家と、先週のちょっと前くらいにお別れしてきた。こう書くと悲しさがあるが、悲しさは実際そんなにないような気もする。
 今回じもとに帰ったのはもう全く別の用事だったのに、ちょっと遠いこの家に結果的に毎日通うこととなった。ああそういえば今回がもう最後じゃんと気づいて、私の小学生時代の学校の工作とかを散らかしたままだったのでそこ片付けるかーみたいな感じで行ったのだが。
 そんなに時間があるわけでもなく全てに携われなかったが、最後にこれだけはしたいなと思って、お風呂そうじをした。その日、たまっていた宅配の段ボールを外で全部燃やすかということでさんざん火仕事をして燃え殻を浴びたので、じゃあお風呂入るかということで。
 住んでいた10年以上前の時点から生えていたカビはもちろん落ちないけど、記憶の中にある白さに近づいたり、カビだと思ってた黒いのはカビじゃなくて塗装が剥がれて黒がむき出しになってただけだったとか。お風呂に溜めたお湯がきれいな水色になるのはなんでかもう忘れたけど、ああ、この色ですわ、と。その後住んだ家は水色だったけど、この家の風呂のお湯だけはちょっとエメラルドグリーン、とか。浴槽はもともと広くないし自分はでかく長くなったので折りたたみ感のある入浴だったが、包まれてるみはあった。感動しながら興奮して撮りまくったちょっとギリギリの写真たちはもうほんと自分のためのものでしかないが、お風呂掃除してる映像は撮りました。いや、映像てかただのスマホ動画だが、これは映像って言いたいな、みたいな。
 家事代行のバイトだと40分くらいが大体の相場だが、なんか映像も撮りつつ2時間くらいかけて見えるところだけ綺麗にした。
 結構この家で一番思い出深いのはお風呂かもしれない。あんたとは色々あったよな、みたいな。ちょーっと天井が高くて、お風呂場と洗面所の仕切りがカーテンで、みたいなところが、今だから言えるが小さい頃は結構いやで、お湯に浸かりながらそのことについて泣いたりしていた。でもまあ今となっては、おまえとも色々あったがまあ笑い話よな、くらいのほどほどの仲の良さを確認しつつ終わりを迎えました。
  あと、お風呂場のドアを拭こうと引き戸(なのです)を動かしたらお馴染みのでかい虫がでてきて、その瞬時で懐かしさを感じることができたことにも驚きだが懐かしみのある叫び。こちらなりの処理をさせてもらって、でも最終処理はちょっとできないと思ったのでお父さんを呼んできて最終処理だけやってもらう。後日、またでてきたよとの報告が入った。
 でかい虫、でかいクモ、色々住んでてずっと慣れることはできなかったし、自分の慎重さはこいつらとの共同生活によってつちかったものでしょう、と思います。ありがとう虫たち。でもその慎重さがじゃまをするときもあんのよね、虫たち。彼らと会話したり、エイヤーと最終処理までなんなくできるような女の子だったら好きな人にも即好きって言える女になってたのではと、彼らのことはいまだに苦手なので彼らのせいにします。でもありがとう守ってくれてもいるってことよねありがとう。トイレで私の裸足の上を桟橋のように颯爽とのぼっておりて通過された時のことは忘れないです。距離感って大事なのよ。

 そんなことはともかく、家での思い出は思い出そうとすればたくさんある。新しく誰かが住むのかもしれない。わからないが、かっこよく住んでくれるだろうと思います。

 これがお別れというのかわからないが、家との別れにおいて、片付けることや掃除して綺麗にすることは、供養ってか、お別れの仕方のひとつだなと思った。私は、それで気持ちの整理がついたというかそもそも初めから整理されてなかったわけではないかもだが、
あ、実は私、整理収納アドバイザーというのになろうとしていて、やはり片付けってこういう気持ち的な面にもすごく密接なんですよ、っていうのは言えますね。片付けもだし、お掃除も。まあ掃除も片付けか。
 いやこれを宣伝するための文章みたいになってしまったが、そんなつもりはなく。ただ最初にピッと書きましたように春から休学して、片付けを極めていこうと思っております。でも最近、私って片付けは下手かもとも思っております。ものの手放しは早いが、別に収納力はもとからないのでな。だけど片付けってそれだけではないですね、なんか。片付けない、片付いてない良さ、魅力も重々承知はしておりますゆえ。もしかしたら春が来ると同時にお引越しをするかもしれませんが、その家も別に超綺麗ではないと思います。(親しい人たちをほどほどに招いたりしたいなとは、思っております。)

では!(続くといいな)

2025/01/29

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