【part1】はじめてのnote
noteを始めてみた。なんでかっていうとみんなやってるから。日々、生きているといろんなことが頭に浮かんでくる。その考えをTwitter(現:X)に書き込もうとするけど140字は狭すぎると感じてやめる。というか忘れてる。
なんもわからん、手探りで書いてる。トイレに行きたいから下書き保存はあるのかと画面右上の三つの点をタップしてみた。あった。
トイレから帰還!冷えるね。冷えるといえば気温だけど朝は寒いのに昼はバカみたいに暑い、ふざけるなとクーラーをつける日々。
それでnoteは何をどうしたらいいのだろう、こういう文もいつまで書けばいいんだろう。こうしたブログはモバゲー以来である。モバゲーはミニゲームが遊べて、中でも流れてくる肉まんに段ボールが含まれているか検品するやつが印象的だ。
当時、中国で販売されていた肉まんに段ボールが含まれていたと言う事件があった、それが速攻でゲーム化されており「仕事がはえー」と思いながらプレイしてた気がする。そしてモバゲーのゲームには決まって裏技があって、確かこの段ボール肉まんはどこかのタイミングでボタンを長押ししていると高得点が取れた。
なんかこういうのは覚えている。モバゲータウンなんて滅びた街だと言うのに。俺は覚えている。初音ミクの誕生日って3月9日じゃないんだというブログを書いたらめちゃくちゃ馬鹿にしてきた奴がいたこと。相談掲示板みたいなのでレジロック、レジアイス、レジスチル、レジギガスを使ったパーティを組みたいと書き込んだらゴウカザルどうすんだよと当時のオタクに叩かれたこと。みんなは忘れているだろうけど私は覚えているよ。
昔のことを書いてて筆が乗る。いかんいかん。実際、人間って青春時代のことを話すとドーパミンが分泌されるらしい。なんだそれ。このままだとモバゲーの話しかしないので頭を揺さぶってドーパミンをおしっことともに出す。
なんでnoteを始めたかと言うと頭のなかの考えを書きたいからだ。
前にTwitter(現:X)で江戸時代に自分の食べたものをひたすら書き記していた人がいて、それが巡り巡ってかつての食生活の記録となりそういった漫画ができたという話を見た。
↑このツイートを探したが見つからない、そもそもツイート検索の機能が死んでいて捗らなかった。情報求ム!
これを見て書き記しておくことの凄さを実感して、それから薄々とブログを書きたいと思っていたのかもしれない。この書き込みも1000年後には当時の文化を表す文献になるのかも。
そんな何かを期待して書いてる。たぶん洞穴の壁に絵を描いた原始人もこんな気持ちだったのかもしれない。何かを残すというのは生き物の本能だ、子孫がもっとも簡単で確実なだけで他にも方法があるのだろう。それが記録なのだと私は思った。
あまり書き出すと頭の中で考えていたガソリンが無くなりそうだ。できるだけ毎日続けたい。日々のことやその暮らしのなかで思ったことを書く、そうしよう、はい決まり、絶対やれよ?