見出し画像

私は疲れている

日々、他人と暮らすことの難しさを痛感しています。

私は今、訳あって、ある地域のある一軒家で、自分を含めた女性4人で共同生活を送っているわけなのだけれども、これがしんどい。疲れた。わりと帰りたい。いや、結構帰りたい。

高い建物が何一つなく、広々とした空の下、緑の中で息を吸ったり吐いたりすることや、新鮮な野菜や米を好きなように調理して、おいしくいただくこと、そして虫の声と夜風の音で眠りにつくなどという、生活そのものは楽しい。とても、暮らしを味わい、生きているなあという気持ちになれます。

ただ、やはり今まで違った環境で、違った家庭で、それぞれ異なる当たり前を抱いて生きて来た人たちが、一つ屋根の下、生活を共にするというのはとても苦しいなあという感じです。

何がしんどいって、そのしんどさを共有できる人がいないのがきつい。
LINEやら電話やらで、遠く離れた友へ日々の鬱憤を話してみる、という方法もあるにはあるのだけれど、別に面白い話とかではなく、本当に鬱憤でしかない内容だから、わざわざ話すのも相手に申し訳ないなと思ってしまう。だし、こういうことって、溜め込まずに、思った時にすぐ言いたい。できればその日のうちに。でも友達の都合もあるし、そんなに思い通りにはいかないのが現実。

一緒に生活を送る人たちにも、まあ話せるっちゃ話せるけれど、同じ空間に住んでいる人に対する不満を、同じ空間に住んでいる別の人に話すのはとても危険なことだと私は思っている。無駄な争いを生む恐れがあるし、何よりお家の中をぴりぴりとした空気にしかねない。
愚痴や文句は、全く関係ない人に話すのが1番、というのは、22年生きてきた中で心に染み込んだ教訓でもある。

でも私の心の疲労はかなり限界を迎えています。
生活は楽しい。けれども疲れた。
夜ご飯を食べ、皿を洗い、洗濯物を干し、歯磨きもシャワーも済ませて、あとは寝るだけ!という状態を完成させて、寝る時間まで自室に引きこもりゆっくりとする、その時間が1日で1番心が安らぐ時間。
もう本当にこの苛立ち、鬱屈とした気持ち、心が擦れに擦れて半分くらい摩耗しているこよ今の状況を、私は誰かに吐き出さずにはいられない。

そういうときはやっぱり、おいしいものを食べながら言葉にするのが1番いいよね、ということで、
私は今朝買った、ショコラのカンパーニュというなんだかおしゃれなパンをかじりながら、日々のもやもやというか愚痴というか文句というか不満を書き殴っていこうと思うのです。

キッチンペーパー使いすぎ

キッチンペーパーって、ティッシュみたいにポンポン使うものなんですか?
キッチンペーパーの減りの速さが異常すぎて引いてる。
フライパンを洗う前に余分な油を拭き取ったり、野菜の余分な水分を吸収するために使うならわかる。
私はキッチンペーパーはティッシュよりも厚手で吸水性に優れた少し高価な紙である、という認識で今まで生きて来たので、野菜の水分を拭き取るにしても、できるだけ一枚で済ませようとかなり努力している。
もう水分吸いすぎて、拭き取るというより、もはや水滴つけてるだけじゃんって状態になるまで大切に使う。
間違えて2枚取っちゃったりしたときには少し申し訳ない気持ちになる。

のですが、
キッチン台の水気を拭いたり、皿を拭いたりするときに、キッチンペーパー使うのって常識?
私のキッチンペーパーへの態度が丁重すぎる?
いや、台拭くくらいならタオル使え〜と思ってしまう私がおかしい?
1枚ならまだしも、一度に3,4枚のキッチンペーパーを取り出してシンク周りの水はねを拭くのはちょっと理解できない。
タオル使え、タオルを。
もったいないでしょ、普通に。
そんな使い方するから、1週間に2回も100何枚入りのキッチンペーパーを買い足すことになるんだよ…4人でしか生活してないのに…。

ゴミの捨て方どうにかして

ゴミの捨て方問題!
これは育った家庭の文化の違いが最も顕著に現れる行為の一つだと思っている。

ちなみに私個人としては、

・生ゴミはできるだけ体積を減らすように努力して捨てる(そうでないとすぐに生ゴミ入れがいっぱいになってしまうから)
・野菜の皮など、大きめのものはシンクに流さずにちゃんと生ゴミ入れにいれる(そうでないとシンクが詰まってしまうから)
・「生ゴミいっぱいだしちゃったな」「シンクに大きめのゴミいっぱい流しちゃったな」という自覚のある人が、率先して排水ネットの取り替えや、生ゴミの処理を行う(自分の出したゴミは自分で片付ける)
・プラごみやペットボトル水洗いして汚れを落としてか
捨てる(そうでないと何日後かにごみ袋が異臭を放つことになるから)
・卵のパックやお得用肉のトレーなど、体積の大きい容器はちぎるなり、ハサミで分けるなりして、できるだけコンパクトに捨てる(そうでないとすぐにゴミ袋がいっぱいになってしまうから)
・とにかく、次にごみを捨てる人が、気分を害さないような捨て方をする。バナナの皮を適当にゴミ箱に放り込んだり(他人が排出したバナナの皮は、最も触りたくないゴミの内の一つ)、ヨーグルトがついたままの容器とか甘い飲料が入っていたペットボトルとか、そのまま放置したら数日後絶対に臭うだろうなみたいなものをそのまま捨ててしまったりはしない。とにかく綺麗に、コンパクトに捨てる。
・ゴミを捨てるという、みんながあまりやりたがらないことをやってくれた人には、きちんと感謝の意を伝える。

というのが、ゴミの捨て方に関する考え方。

ところが、ゴミを捨てた後のことや、自分がゴミを捨てた後にゴミ箱を使う人の気持ちを考えられない人って、いるんですね〜。
気になるのなら言えばいい、という人もいるでしょうが、これに関しては私が細かいだけかもしれないし、私の文化を押し付けるのもなんか違う気がして、仕方なく我慢している。
が、かなりイライラします。ね。

同世代との会話に飢えている

これに関しては本当に誰も悪くないのだけれど、
共に同居している方々が皆30〜40代でして。

私の生活においては、普段あまり関わることのない年代の方々だから、その人たちにしかわからなかったり、話せなかったりすることを聞くのはまあ面白いし、良い経験ではある。
私の約2倍の年数を生きているわけだから、色々アドバイスだったり教訓だったりを得られたりもして、ありがたいなと思っている。
最年少ゆえに、可愛がっていただいているし。

けれども、やっぱり同世代の人との会話でしか得られないテンポ感だったり、話題だったり、同世代だからこそ共有できる感覚っていうのは確かにあるなということを、私はこの数週間身をもって感じました…。
22年間、ずっと学校を通して、同世代の人たちとばかり過ごして来たからなおさらそう思う。

別に違う年代の人と話すのが楽しくないとか、そういうことでは決してなくて。
ただ、長期間同世代の人と話せないのがつらい、という話。
やっぱり年上の方には、多少なりとも気を使うわけだし。

この間、本当に3週間ぶりくらいにたまたま同い年くらいの大学生と話す機会があって。
ああ〜これ、私が求めていたのはこの感覚だ、と。
コミュニケーションしている…!という気持ちになってとても楽しかったことを覚えている。

ああ、20代、願わくば21〜23歳くらいの人と会話がしたい…。誰でもいいから、本当に…。

不機嫌を撒き散らすのはやめて

機嫌が悪い時に、大きな物音を立てたり、こちらに聞こえるか聞こえないかくらいの声量でぶつぶつと文句を言ったり、あからさまに態度が悪くなったり、人の問いかけにまともに答えなくなったりするのはやめてほしい。本当に。心から。
大学生とかならまだしも、貴方、40年以上も生きているのだから…。
負のエネルギーを放出して、周りの人まで巻き込むのは本当に良くないと思います。

(これが本当にきつい…不穏な空気を察知したらば、できるだけその場から離れるようにしているけれど、結構ダメージを受けている、私の心)

自分の思い通りにならなかった時に、不機嫌になるのもやめて

人のいる数だけ、異なる当たり前や正義がぶつかるのは当然のこと。
それらを擦り合わせて、妥協点を見つけ出すために言葉というものが存在しているのだと私は思っている。

それなのに、自分が正しいという強い思い込みから、その正義にそぐわない人たちを「間違っている」と決めつけて、機嫌を悪くするのは本当にやめてほしい。
しかも機嫌が悪くなるとコミュニケーションが取れなくなるから本当に困る。

考え方が違うのは、繰り返すようだけれども当たり前のことであって、そのズレを少しずつ縮めていくために私たちはせっかく言葉という大変便利なものをもっているのに、
機嫌を損ね、言葉を行使することを放棄されると、こちらはもうなすすべがなくなってしまうのですよ…。

不機嫌は諸悪の根源!!!
ウイルスのようなもの。
人にうつしてはいけないし、だからと言ってずっと溜め込んでいるのもよくない。
自分の身体や心に合った対処法を常に携えておいて、とにかく伝染させないということが大切だと思うのです。


こんなに文字数行くと思ってなくて、自分でもちょっと驚いてしまっているのですが。

最近は、どんなことでもやったことある方がいい、というマインドで生きているので、
まあこういうストレスフルな生活も、いつか何かの役に立つだろうと、おいしいものを食べて、毎日8時間寝て、自分のご機嫌を取りながら、なんとか日々を過ごしております。
大人になったなあ、わたし。

この生活も、あと2週間の辛抱なので。
無事に帰宅し、実家のドアを開けるその瞬間を待ち望みながら、今日も眠りにつきたいと思います。

明日も無事に1日を過ごせますように。

いいなと思ったら応援しよう!

toki
恐れ入ります。