-旋律迷宮-
入り口にさしかかった時
果たしてここでいいのか
という不安があるように思われたが、
今となってはほぼ覚えていないので
まあ内心ではどのようにも
思っていなかったのだろう。
そこから流れてくる音に惹かれて、
さらにその源を探ったり
その後に他の人に吹聴してみたりして
動き回ることがあった。
誉められることはあったと思われるが、
半面で何それ、というように
怪訝な表情を差し出す人も多かった。
周りの人間を自己のテリトリーに
呼び込むことができるなんていう風に
思った自分の方が傲慢だったのだ。
賛否両論で、それでいいじゃないか。
そんな名称を看板にしているお店もあった。
メロディーに酔った自分なら何でもできるのではないか
と錯覚する瞬間があったようだが、
アルコールから程なくして醒まされて
正気に戻った自分がいたように、
外の世界を見遣れば
序列部隊にきちんと足並みを揃えることができる
自分もいるようだ。
近頃はもう荒んでしまったが、
祖父母の家の近くにあった
かつての人気スポット
ジャンボ迷路ではすいすいと進んでいき、
その様子はまるで水族館にいる生き物をたいして見ずに
出口までいち早く辿りついてしまうかのようだが、
いま感じる音の波にはそう簡単に抗うことができず、
むしろ以前に耳にして
さして気にも留めなかったものにまで
再度意識をくぐらせ
現在位置との関係を把握してから
満足感に浸ることがあるので、
いま自分が漂っている波にのまれてからの
海底に隠れていた龍宮城の存在を
見つけることができるかもしれないのだ。
その龍宮城にはいつかのRPGの敵で
大きな槍をもった半魚人みたいな変なのがいて
行く手を阻むこともありそうだけど、
見せかけだけで攻撃力のわりには防御力がない
なんてこともありそうだから、
気ままに構えていたって
何とかなるかもしれないのだ。
そもそも水中とか陸地とか
二つにはっきりと分かつこと自体が、
日々の暮らしにおいて
足かせになっているのかもしれない。
そんなの経済社会における話だけで十分である。
いちいち考えようとして考えているわけではなく
どうもそちらの方向へ
勝手に意識が先行するようで、
舵取りをすること自体が
結構めんどくさかったりするのだ。
春の雨
こまかにもとに
落ちにけり
そんな陳腐な調子で呟いていると、
迷宮から一瞬抜け出すかのように
感じられる時もありそうな。
以上