グローバリズムについてノンポリだけど考えてること
私は趣味でSF小説を書いているが、なんでSFなのかというと「科学」、特に進化生物学が大好きだからである。逆に政治、経済、外交などにはほとんど興味が無い。
これは生得的な問題で、好きなものは追求するがそうでないものはどうにも興味を向けることができないという私の脳の構造に起因しているので、それについてたとえ責められたり怒られたりしたとしても変えられないのでしょうがない。
そうは言っても、政治、経済、外交は人間社会と不可分に結びついているもので、科学や芸術も人間社会の一側面として存在していて、それらは結局「人間のやること」としてゆるやかに繋がっているわけなので、普通に生きていて考える程度には私もそれらについて考えているはずである。
ということで、選挙前だし、なんとなく考えているそれらのひとつとして「グローバリズム」についてのちょっとした内容を書いてみる。得意分野では無いので、いつもよりさらに「ただの1個人の考え」に過ぎないことをご了承ください。
どうやらグローバリズムに反対なのが保守で、そうじゃないのがリベラルというくくりらしい。GAFAMなどの巨大IT企業はグローバル企業なので、その文脈で言えば保守はGAFAM製品は嫌いになるはずだけど、ぜんぜんそういうふうには見えない。正直いって意味がわからない。
私は「失われた古代文明」みたいな話が好きで、NHKのBSで特集してるとわりと見るし、そういう展覧会も行く方なのだが、古代文明はたいてい他の社会と貿易をしている。
日本でも大和王朝が成立する前の古墳時代から海外貿易が行われていて、朝鮮半島から壱岐・対馬経由で商品のやりとりをしていたらしい。くわしくはWikipediaで。こちらは九州北部なので地方の歴史博物館がけっこう充実していてあちこちめぐるのが楽しい。
私がそういうのを見ていて思うのは、特有の土地からの生産物を売り買いする「商売」はそもそも本質的にグローバル指向なんじゃないかということだ。
ある土地で生産される余剰物をどこに持っていけば高く売れるかを考えると、近所より遠方が良いというのは当然だろう。ある商品がたくさん流通している場所より少ししか流通していない場所に持っていくと値が上がる。
しかも、ヒトは進化の過程で「言語(くわしく言うと再帰的言語、らしい)」を手に入れたので、社会の間で「情報」を流通させることができる。
だから自分たちの社会に無いナニカを別の社会が持っているという話が伝わるなら、当然その実物が欲しいということになるだろうし、そうやって貿易が発達していったんだろうなと思うわけだ。
われわれヒトは身近なものをつまらなく感じ、レア物を尊く感じるという習性を持っているようである。
バナナとかマンゴーとかパンダとかアイフォンとか北欧系美人のグラビアとか、別に絶対に生活に必要なものでは無いはずだが、それらの「情報」が流れてくると、やはり欲しくなるし見たくなるもんなのだろう。
ある商品についての情報が社会に伝えられて、その商品を手に入れるために別の社会の商人に接触すると、その商品と一緒にさらに遠い場所にある魅力的な別の商品の情報も社会に入ってきてしまう。その過程で商売はどんどん「グローバル」になっていくだろう。そのような人間の欲望がグローバルな貿易につながっていったし、それは最近になって急に始まったわけでは無くて、古代からずっとそうだったわけだ。
世界中のどこでもそうだと思うが、古くからの人間社会では土地に根ざした農耕民が圧倒的な大多数を占めていて、専業商人というのはごくわずかだったはずだ。
だから、古代の文明社会はマクロ的にみるとグローバル貿易をしていたのだが、そこに所属する大多数の農耕民にとってはそれは自分の生活の域外で起こることだったわけだ。
しかし、日本を含む先進諸国では第二次世界大戦以降あたりから急激に大多数の農耕民がサラリーマンになっていき、会社というものに吸収されていったわけだ。
会社というものが何をしているかというと、基本的に「商売」をしていると思うわけで、商売をしているからにはそれは本質的にグローバル指向なんじゃないかと思うわけだ。
なぜ最近になって急に社会のグローバル化が問題視されるようになったのかということの答えがそこにあるんじゃないかなと思う。
多くのヒトが農耕民であった時代でも彼らの社会はグローバルに貿易をしていたが、それは農耕民には関係ない事象だったし、商売によって珍しい商品が手に入るのだから社会全体としては良いことでしか無かった。
しかし多くのヒトがサラリーマンになると、彼らの所属する会社は商売をやっているので、サラリーマンは「商人」なのだ。
(ミクロ的には経営者が商人で社員は契約奴隷かもしれないが、マクロ的には商人の手伝いをしている商人の手下である。)
つまり先進国というのは国民の大多数が商人の商売国になるということであり、商売が主力であればなるべく早く大きくグローバル化している方が(それが商売の根本原理なので)有利な戦いになる。GAFAMのような企業はそれを理解しているのでそういう行動をしているが、そこに乗れない企業に所属するサラリーマンやそもそもサラリーマンでも無いようなヒト(私もわりとそう)はその流れに乗れず、結果的にグローバリズムの恩恵にあやかれず収入が少ないので不満に思うという理屈になるんじゃないだろうか。
そうなると、世界のグローバル化の流れを止めるというのはどういうことかというと、国民の大多数がまた農耕民に戻るということではないかな~と思うわけだがどうだろうか?
しかし、ネット世論的なものを私なりに解釈すると、グローバリズムが嫌な人たちは外国のグローバル企業が日本に押し寄せてくるのが嫌なのであって、高度経済成長期にトヨタやパナソニックの工場で働くようなことは「善」としている気がする。たぶん今さら農耕民にもなりたくないのだろう。だから私の解釈ではそういう人たちが求めているのは鎖国的商業社会ということになるだろうか。たぶんトランプさんとかが実現させると期待されているのもそういう社会なんだろう。
しかし、残念ながらわれわれ現生人類は再帰的言語による社会の情報化という流れの中にいて、どのような権力者であってもそれを止めることは不可能だ。
すでにいろんなネット記事で言及されていると思うが、過去の日本の高度経済成長は「金の卵」と呼ばれた団塊世代の中卒後の集団就職が原動力になっていて、今からそういう生き方をしたい日本人なんていないんじゃないかと思うし、少子高齢化なのでどっちにしても経済成長は難しい。
(少子化でもAIとかロボットとかを発展させれば~という論調もあるが、それらを発展させるのは頭の良いヒトであり、頭の良いヒトは一定割合でしか社会に存在しないので、1億人の国より10億人の国のほうがIT技術の発展に有利となる。またはアメリカの大学がやってるように頭の良いヒトを選択的に海外から誘致する方法もある。あるいは政策的に頭の良いヒトを特定分野に集中投入して発展させるという方法もある。どちらにせよIT技術も商売であり、それを発展させるヒトという資産もグローバルな競争にさらされている。
今まさに日本に起こっていることが「IT化に乗り遅れた社会が世界から見て相対的に没落していく状態」と言われているのではないだろうか?)
社会の情報化は必然的に商売をグローバル化し、ヒトの欲望があるかぎり商売を適切な範囲で止めることも不可能である。グローバリズムを止めるには新奇なモノが欲しいという欲求を抑制するしか無いが、たぶん皆さんそれは嫌だと思うがどうだろうか?
社会の情報化による弊害の一例
私の文章がヘタすぎてとっちらかった話になってるが、言いたいことをなんとなく理解していただけると大変うれしい。
ちなみに、再帰的言語が現生人類をどのように進化させたのかについての論文が以下である。
それに関連する私が書いたSF小説もよければ読んでみてください!(隙あらば宣伝!)
※例によってStable Diffusion Onlineに「Image of globalization and trade」をファンタジー風で頼んだらタイトル画像になりました。この画像もまた新奇なモノを求める人間の欲望の表れですよね。
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