命の次に大切なもの・・・
この世に生を受けた以上、命は最も大切なものというのは当たり前です。そしてそれを支えるのがお金。
鎌倉以降の仏教では、修行が足りないから輪廻転生を繰り返し何度も生老病死に耐えないといけない。この世の修羅から解き放たれるためには、カネの亡者は醜悪とみなし、質素に暮らし魂を高め如来様のいる極楽浄土へと解脱するしかないそうです。
しかし私は、現世を修行の場、あの世に行くための手段とする考えには違和感を覚えます。今生きているのは奇跡と考えたい、死ねば終わりなのです。「死後の世界」について学ぼうとする人がいますがそれは生からの逃避にすぎないと思うのです。
死後の世界は、悪ければ地獄、修羅、畜生で行いが良かったなら天国だと言いますが、この世はそれらが混在した世界なのです。たしかに格差社会、ネット上の誹謗中傷と修羅で居心地が悪いですが、お金があれば安息の場所に行けるのです。資本主義をまず肯定するのです。まだ社会主義の国もありますがそれも世界資本主義の一部なのですから。
家族のため、生活のために今の辛い仕事を甘んじて受け入れるという人もいますが、私はそれを神への冒涜と考えます。ロボットができるような仕事を人間が腰を痛めてやる必要はないのです。
ところでブラック企業の社員は黒人奴隷と似ているという人もいますが、場合によっては奴隷よりもきついのではないでしょうか。映画などを見ていると、奴隷は所有物ですから自由はないにしても大事に扱ってもらえる。しかも脱走を試みます。だが、非正規労働者や工場労働者はちがいます。生産手段も土地ももたない彼らが大きな資金を持つ資本家と法的には契約を交わすのです。それはボロ雑巾扱いされることだってあるでしょう。不思議なことに、奴隷時代の黒人以上にゆとりはあるはずなのに自殺率は異常に高く脱出を試みないのです。
お金のことをもっと知る必要はありますね。先ほど述べました生産手段を持たない者とはカール=マルクスのいうプロレタリアートのことですが、今や誰もがパソコンとスマホを所持している時代です。スマホが生産手段になっていることを気づいていない人が多過ぎます。天気予報を見る、プロ野球の結果を確かめる、馬券を買うくらいしかしていないのではないでしょうか。外出の隙間に株・暗号資産・FXの取引、またはブログという知的資産だって蓄積するのは可能なのです。
いち早く茹でガエルの労働者から抜け出すことが大切です。大学あるいは高校を卒業すると就職するのが当たり前みたいに言われます。そして教わってきた我慢と協調性を活かすのが美徳とされています。創造する、 言葉は悪いですが出し抜くというのがあっても良いのではないでしょうか。今は、誰もがこれまで考えも及ばなかった資金を得る機会に恵まれているのですからね。この世にヒトを送り込んだ神の真意に答えるためにも。
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