鉄道模型もプラモデルも作ったことのない私が鉱物ジオラマづくりを始めたわけ
noteの記事では先にスノードームのご紹介をしましたが、ご説明したとおりスノードームは制作と販売が難しいため、私は現在天然の鉱物とジオラマを組み合わせたアート作品をメインに制作しています。
現在(9/19~28)中野ブロードウェイ4階のギャラリーリトルハイにて開催している個展会場にもスノードームの他に210個あまりのジオラマ作品を並べていますので、今夜は私とジオラマとの出会い、そして作品に昇華されるまでをお話したいと思います。
ジオラマというと日本では鉄道模型やプラモデルの背景として主に制作されていて、ジオラマ本体が主役に据えられた作品が発表されることはあまりありません。
ガレージキットやプラモデル、模型の展示会や雑誌などでもジオラマはあくまで主役となるフィギュアや模型の背景、舞台として扱われているため、一般的なプラモデル専門店でもジオラマ用素材の売り場はとても狭かったりします。
けれど、そもそも私がジオラマ好きとなったきっかけはプラモデルや鉄道模型ではありませんでした。
私が小さい頃、父と母はよく博物館や科学館へ遊びに連れていってくれていました。お金をたくさん使わずとも子供が1日遊べて、好奇心を刺激される博物館は私にとって特別な場所や学習の場というより、家族でよく訪れた馴染みのある遊び場でした。
そんな愛着のある博物館で私が蛍石と出会い、石好きとなったお話は以前の記事で書きましたが、私には地学コーナーの他にもう一つ、博物館の中でたまらなく好きなものがありました。
それが、森林の様子や古い街並みの再現などを表すジオラマだったのでした。
最新の博物館ではあまりジオラマは流行らないようですが、昭和の博物館には大掛かりなジオラマがたくさんありました。
「江戸時代の町並」などワクワクする物語の立体化のようなもの、小さな森の断面の箱庭のようなものから、縦穴式住居や磯の潮溜り海中の実寸大模型など…博物館のそこかしこに配置されたジオラマたち。
そこにあるのは明らかな「見本」で「偽物」、本物を説明するために再現された人工の模型なのに、リアルな景色を現実の時間軸から切り取って来たかのように静かで、生命はそこに感じられないのに、生き生きとした躍動感すら感じる。
それは幼心にはとても不思議な感覚でした。
博物館の中は静まり返ってしんと冷ややかなのに、どこにも生命の影はないはずの、ガラスの向こうのジオラマこそが本当は現実で、私は誰かが見ている夢なのじゃないか、そんなうっとりするような倒錯感が私にはそこに感じられました。
誰も住んでいない賑やかな江戸の町。
生き物がたくさん配置されているのに何の命の気配も感じない森林模型。
長じて高校生の頃に杉本博司氏の「Diorama」を拝見した時にまさに、私はジオラマに「実像化してしまった架空の物語」を求めていたのだと感じました。
私にとってジオラマとは架空の物語、ひいては私が長く追い求めている「今朝見たはずの夢の物語」の具現化そのものだったのでした。
さて、そんなジオラマとの出会い方をした私は、高校生になったあたりからプラモデルや鉄道模型とは全く無縁にジオラマを作り始めました。
それは当初、ジオラマというよりは箱庭に近いものだったと思います。
主役になるべきフィギュアやプラモデルや鉄道車両のいないジオラマ作りから入る人というのは実は少数派だというのは後から知りました。
私にとってはそれは主役不在のものではないのです。なぜなら、私の夢の世界ですから、私の箱庭=ジオラマの世界では私こそが主役で、私自身は没入する際に自分の姿をその中に必要としないのですから、景色だけがそこにあるのは自然なことでした。
そうして、私はジオラマ作りを稚拙ながら楽しんでいたのですが、高校の帰りに寄ったパルコでまた、衝撃の出会いをして私のジオラマ工作は独自の方向性を得るに至ります。
それは、「GOMES」という当時パルコの館内で配布されていたパルコのフリーペーパーに連載されていたパラダイス山元さんのコラムで知った「マン盆栽」の世界です。
マン盆栽はパラダイス山元さんが「家元」となって発表されていた、プライザーなどの鉄道模型フィギュアを盆栽鉢に配置する作品群のことなのですが、このマン盆栽の素晴らしさに感激した私は、プライザーのフィギュアをお小遣いで買い求め、集めることに腐心し出しました。
元々が収集癖のある私なので、しばらくはお小遣いで買い集めてはマン盆栽的に植物の鉢に飾る事を楽しんでいたのですが、何しろこのプライザーフィギュアは大人の趣味小物らしく、精巧な作りなだけあって結構なお値段がするのです。
大人からしたらそれは大した額ではないかもしれませんが、高校生の私が集めるとなるとなかなかの金額になるので、植物の鉢に配置するとなんだかんだでなくしてしまうのが惜しい気持ちはありました。
水をやったり、手入れをするたびに、なくなったり破損したりしてしまうことをどうにか防げないかと思ううち、「石と一緒に瓶に入れて眺める」ことにたどり着いたのでした。
それは最初はジオラマとまではいかない、ただ単に好きなものを並べただけのものでしたが、長じて結婚出産を一通り終えてひと段落ついた頃、何かを製作しようという段階になって、そう言えばあの頃集めたものは、と思い起こされ、ブラッシュアップを重ねて今の作風に至りました。
コレクターとは、もう性分のようなもので、集めたがりはきっと一生治らない気がしているのですが、そういう自分であるならば、せめてすっきりと飾り、家族の目にも楽しく、できれば清潔を保ちお手入れを簡単な状態にしておきたいものです。
その上で、自分の好きなもの「全部盛り」状態を果たした「鉱物ジオラマ」は、私にとってライフワークとなるまでに至っています。
たとえプラモデルを知らない、少数派のジオラマ作家であっても、それを楽しんでくださるお客様に支えられてこうして大好きなジオラマの展示をできるのは本当にありがたいことです。
何にしたって好きという気持ちがなければ続きませんし、常に上を目指そう、向上しようというモチベーションを維持するのは難しいことだと思います。
活動開始から7年間で私は大小5500個の鉱物ジオラマ作品を作って来ているわけなのですが、そんなわけで自分の好きを掛け合わせて最強の「好きの全部盛り」を具現化した鉱物ジオラマは、作っても作っても飽きるどころかこの先どんな展開にしてゆくのか、なってゆくのか、自身が一番楽しみに制作を続けています。
若干フェチっぽいなあと我ながら思うのですが、やはり、好きなものをすきと叫ぶのは気持ちの良いことですし、それをみたお客様が「私も好きです!」と受け止めてくださった時は最高に幸せです。
この先のことは誰にも何もわかりませんが、私は年齢にも流行にも構うことなく、これからも変わらず自分の「好き」だけを見つめていこうと思っています。
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9月は相模原(東林間)と中野ブロードウェイの二箇所で展示をしています。
是非お立ち寄りください。