【FGO SS】時告げ鳥と夜半の月【二次創作】4/4
はじめに:注意/WARNING
・本エントリは、「Fate / Grand Order」(以下「原作」)を原作とし、同好者の間だけで楽しむために作られた二次創作です。原作者様、他関係者各位とは一切関係ありません。
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・要素として「なぎかお」を含みます。苦手な方は閲覧をご遠慮ください。
・また、歴史上解釈が異なる事項について、筆者独自の解釈を加え創作しています。よって、歴史的な事実と相違する可能性があります。予めご了承ください。
・本編は短編小説ですが、約26,000字のボリュームであり、noteの表示性質上、エントリを分割し記事を作成します。
前回までのお話はこちらからどうぞ。
■Chapter:09
清少納言はマシュ、立香の二人を部屋まで見送った。
そして、誰もいない廊下でふと、また窓から見える、暗い、暗い空を見上げた。また、思う。
いっそ本心なんて、あの夜の帳に消えてしまえばよかったのだろうか――
「――今宵は、月は出ていますか?」
廊下の暗がりから、不意に、彼女に声がかかる。
「……びっくりした。いつからそこにいたの、かおるっち」
ふふっ、と笑いながら、紫式部は彼女に少し、歩み寄った。前髪を触りながら、どこか気恥ずかしそうに語りかける。
「会いたいという意思表示をされたので、逢坂の関を越えて来ただけです。本当に貴方の振る舞いは……、品性に欠けますね」
いきなりの悪態に、しかし悪意は微塵も感じられない。それどころか、微笑みながら――読み札の一枚を、手元に掲げる。
夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ
他の誰でもない、清少納言の遺した一首である。観念したかのような表情で、清少納言はつぶやいた。
「そこまで通じてるならさ、歌の通り、あたしちゃんの会いたい気持ち、断ってくれていいじゃん」
清少納言の一首は、端折ってざっくりと言えば、「親友がある日、ナンパのような感じで「夜遊びに行ってもいい?」という風に誘ってきたので、相手の言い訳の言質をとって「断固お断りします」と返した」という、ウィットに富んだ歌である。中国の歴史を即座に引用して返す、彼女の高い教養と知性が滲み出ており、後世の評価も高い。
それは紫式部も当然理解したうえで、こう返す。
「貴方のような意地の悪い方の言うことなんか、聞きません。それに――」
少しいじけたような素振りを、わざと見せてみる。
「私は――月をもう逃がしたくないんですから」
清少納言は、思わず息を呑む。
違ったのか。彼女は月を、自分からすぐに離れてしまう月を、恨めしく、憎んでいたのではないのか。それが彼女の本質ではなかったのか。そこだけは、見誤ったのかも、しれない。
「かおるっち、あたしちゃんは――」
「確かに、私は「枕草子」という作品を、どこかで恨んでいます」
毅然とした表情で言葉を遮り、紫式部は言い放つ。
「貴方の記録さえなければ、彰子様の中宮は、ひょっとしたら、もう少し私にとって平穏だったかもしれません。しかし実際、定子様時代の中宮は、かなりご苦労が多かったはず。それが、実際の記録は上辺だけの輝かしい生活だけ。それと比較されるのは、真っ平御免でした」
「でも、あたしちゃんは、嘘を――」
「分かっています――」
そこまで言うと、今度こそ、笑顔に涙を浮かべながら、紫式部は続けた。
「貴方は嘘など書きません。それが良い部分を切り取ったものであっても、あの生活は紛れもなく中宮の生活の欠片たち。貴方は素直にそれを書き記したに過ぎない、それは分かっています」
――気持ちをそのままぶつけられたら、と思うことは、そりゃ、たまにはあるっすよ。でもそんなの無理。絶対、無理っす。
言いながら、マンドリカルドの言葉を反芻する。
「だから、だから――貴方を、……本当は貴方ではなく、あの時素直になれなかった、私を――」
そこまで言うと、紫式部の瞳から、ひときわ大粒の涙がこぼれ出た。
「私が図書館で自分の歌を詠みあげようとしたとき、既に館内にいたんですね。あの時の気持ちを思い出さないよう、わざと子どもたちを巻き込んで、札を奪って。うやむやなまま逃げ出して。そして、私の境遇に近いところにいる彼に、その札を渡したんですね。全部、貴方が――」
早口でまくし立てる紫式部を、彼女を見つめる真っ直ぐな眼差しと、沈黙が、しっかり肯定する。
「お気遣い、痛み入ります。でも――私がそんなことをして喜ぶとでも思ったんですか!? あの後悔はずっと、私の心に残ったままなんです――私は、あの日」
もう少し、もう少しだけでも、話したかった。
もしその気持ちを、素直に伝えられたら。
――きっと、なんて面倒な女だ、と思われたでしょうね。
「――思ってないよ」
しっかりと両目で真っ直ぐに見据えたまま、今度は清少納言が切り返す。
「かおるっちに喜んでもらおうなんて、これっぽっちも思ってない。そんなの、かおるっちに失礼だよ」
普段見せない迫力に、紫式部は思わず後ずさった――正確には、自分の着物の裾を踏んだことで、気圧された自分に気付いた。
「かおるっちの後悔も、願いも、他の誰のものでもない、かおるっちのものだよ。あるとすれば――」
そこまで言って、見据えた目線を外し、嘆息ひとつを挟むと、窓の外を再び見上げる。
「あたしちゃんは、全く逆の思いをしているから、――きっと、羨ましかったんだ」
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
清少納言はある日、物忌みで暇を取り、中宮を一時的に離れていた。そうはいっても中宮きっての人気者で、定子の信頼も篤い清少納言の不在は、他ならぬ定子自身に彼女の帰還を待ち遠しくさせた。いてもたってもいられず、定子は使いを遣り、清少納言に歌を届けた。
清少納言自身は、稀代の歌人を父に持つ。だからこそ、父の汚点となることを恐れ、定子に掛け合い、一時は歌を詠まなくてもよい、という約束までこぎつけたこともある。しかし、彼女の才はそんな父をも凌駕する。小倉百人一首に編まれた彼女の歌「逢坂の関」でさえ、その場の当意即妙で返す、類稀なセンスの持ち主だった。
しかし、その日、定子から届いた歌の返歌の答えに、めずらしく彼女は窮することになる。一時避難場所の環境が少々劣悪で、普段の集中力を発揮できなかったからかもしれない。それは定かではないが、時間に追われ、彼女は素直な気持ちを歌にすることにした。今、定子様はどのようにお過ごしでしょうか――。
――昨日のお返事、少しひどいのではなくて? あなたほどの方が、と大いに悪口の種になってしまったわ。
翌日、清少納言が中宮に戻った際、定子の一言で、彼女は言葉の難しさに気付いた。素直さが、裏目に出てしまった。確かに、表現は少しばかり粗雑で、受け取り方によっては、宮のことを思い遣っていない風にも取れてしまう。
申し訳なさ。ふがいなさ。恥ずかしさ。後悔。苛立ち。
ありとあらゆる負の感情が、心の中を駆け巡り、のたうちまわり、激しく打ち付けた。ああ、思いつきのあまり、なんて悪いことをしてしまったんだろう。
当然心から謝ったし、反省もした。それでも、ひとつ不思議なことがあった。どうしてあの時、いつものように答えが出なかったのだろう。どうしてあの時、頭の中が真っ白になってしまったのだろう。
本当の気持ちをありのまま、素直に伝えることは、よくないことなのだろうか。
いっそ本心なんて、あの夜の帳に消えてしまえばよかったのだろうか。あるいは、言葉を発しなければよかったのだろうか。今から答えを探すこと自体に意味はない。もしいつかどこかで同じことがあったなら、次はまた違った結果になっただろうか。
――それでも。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
清少納言はそうした自分の汚点ともいうべきエピソードを、「枕草子」に認めている。
「それでもあたしちゃんは、後悔なんかしてないよ。確かに、あたしちゃんの軽率な返歌で、定子様を傷つけた、その事実はいくら謝ったって消えやしない。それでも――それでも、あたしちゃんは、素直でありたい、と思ったんだ」
彼女につられて、紫式部も窓の外を見る。空は暗い。月など出ていない。最初からその風景が、固定されているかのように。
「かおるっちは、あたしちゃんの遺した言葉のせいで、ずっとずっと苦しんだ。あたしちゃんを恨んで当然だよ。でも、かおるっちが素直になりたかったっていう気持ちを後悔するより、あたしちゃんはさ――誇ってほしいんだよ」
誇る――何を?
「本当の気持ちをしまい込めるその強さは、あたしちゃんにはなかった。その強さが、あんなにキラキラした物語を紡げるんだ、って、あたしちゃんはこの間初めて気付いたんだ。知ってる? リカっちってさ、挙動不審で怪しくてなんかパっとしないけど、そんなリカっちだから、この間の異聞帯では、誰よりもちゃんマスの力になれたんだよ」
そう言って、いつものように、いたずらっぽい笑みを浮かべる。
「それでも、私の思いは、本人に言えないままで――」
「……ずっと、ずっと、そうやって、思いを秘めたままにできるから、かおるっちの歌は、――キラキラしてるんだよ」
もう少し、もう少しだけでも、話したかった。
もしその気持ちを、素直に伝えられたら。
……いいえ。
伝えられなかったから、今の自分がある。
「……そう、信じても、いいん、ですね」
不思議と、涙も、それ以上の言葉も、それ以外の何も、出てこなかった。茫然と、あの時の気持ちを、思い出す。雲隠れした夜半の月のように、自分が引き止めなかったせいで去ってしまった幼馴染に、伝えたかった言葉を、封をして飲み込んだ、あの時の気持ちを。
「……あたしちゃんは、そう思う、ってだけ。いいんだよ。正解なんか、ないもん」
そこまで言い切ると、はぁーーーーーーー、と長い息を吐いて、――彼女はいきなり床に突っ伏した。
「えっ!? あの!? なぎこさん?」
紫式部の煮え切らない態度に流石に苛立ったのか、あくまで体制は崩さないまま、人差し指を突き付け、叫ぶ。
「もっと仲良くなろうぜ、って言いたいんだよ、こんのわからずやーーーーー!!!!」
「ええええええええええ」
その剣幕と、急な要求に、思わず狼狽える。清少納言はしばしそのポーズのまま固まっていたが、ふと思い出したように、その場に正座した。あまりの姿勢の良さに教育と体幹が無駄に高いレベルで同居していることが見て取れる。そして。
「メロス、あたしちゃんは君を疑った! すまない、私の頬を殴れ!」
あろうことか、頬打ちを要求した。
「貴方、平安京の人間ですよね!?」
彼女の言に、初めて厳しい指摘が入る――
――そして、――両者、破顔一笑。
ごく短い時間だったのかもしれないし、長い間だったのかもしれない。とにかく二人は、お互いの顔を見合わせるなり、ひたすらに笑い転げた。
「いや、あれだけ悪口書かれたから、執筆者を殴ったら、ちょっとはスッキリするのかなって」
「殴ったら、なぎこさんに殴り返されて抱き合う流れじゃないですか、それ」
清少納言が開いた掌を差し出す。それすら可笑しかったのか、紫式部は腹を抱えながら、差し出された掌の内側に、揃えた指を添え、そして――深く握る。
「それよりもさー、史記の話しようぜ! かおるっち、弟に恥をかかせるぐらい詳しいんだって? あたしちゃんの歌の意味もすぐ分かっちゃったみたいだしさ、ひょっとして――お主オタクですかぁ? 隅に置けませんなー! くろひー呼んでくる?」
「あの、あれはあくまで教養の一環として、ですね……。あと黒髭さんはちょっと……」
その日のカルデアの廊下に、夜半の月が咲く。その日ばかりは、静寂が訪れるのはしばらく先になりそうだった。
彼女たちが見上げた窓は間口が狭く、実はその反対側には煌々と月が顔を出し、カルデアの無機質な外皮を仄かに照らしていた。そのことを、深夜のガールズ・トークに夢中な彼女たちが知る由はない。
■Chapter:10
蛍雪の功とまではいかないが、勤勉が身を助けることは、マンドリカルドも知っていた。若気の至りの代償を身をもって知っているからこそ、彼はリスク回避に余念がない。
「敵を知り己を知れば百戦危うからず、ってね。偉いことを言った人もいるもんッス」
そう呟きながら、彼はページをめくった。そう、紫式部の歌の意味を知るべく手に取った書物には、あの天敵の歌も載っている。敵を知ること、それは自らを守ること。そう信じて、彼はページをめくり、目的の箇所に辿り着く。あった、これだ。
夜をこめて 鳥の空音は 謀るとも
よに逢坂の 関は許さじ
――夜がまだ明けないうちに、鶏の鳴き真似をして人を誑かすなんて笑止千万! 決して貴方とは逢いません!(意訳)
「リカっち、ごめーん! やっぱアンタとはやってられへんわー、なんてー! あっ、でもビジネスパートナーとしてはどう? お笑いコンビ組む? あたしちゃんがツッコミね! ほら、リカっちボケて! 早くボケて! 大丈夫、ちゃんと「いとをかしー!」って裏手ツッコミしてやるっての☆」
以上、彼の脳内で鮮明に再生された彼女の声である。多分に被害妄想を含んでいるので悪しからず。
「……やっぱ、関わらないのが正解ですかね。触らぬ神に祟りなし、って、偉いことを言った人もいるわけだし……」
誰にともなくぼやき、彼は本をそっと閉じた。
ほどなく、ドアをノックする音が聞こえる。警戒しながら、そろりそろりとドアに近づき、ロックを解除する。
「………………………………なんすか、これ」
目の前には誰もいない。ただ足元に、別の書物が無造作に置かれていた。『枕草子 現代語訳版』とある。丁寧な装丁と書物の厚みが、開かずとも名著であることを殊更に主張している。無機質な廊下にベージュ色のカバーが不自然なほどに際立つ。
「……図書館って、確か、寄贈も受け付けてくれるんすよね」
虚空にぼんやり呟く。流石に見なかったことにするのはまずい、床に落ちた書物を放っておけば周囲の目線が気になって死にたくなる、と彼の第六感が瞬時に判断すると、周囲に人影がいないことを確認し、腫れ物に触るような気持ちで持ち上げ、抱えると、そそくさとドアを閉めた。
部屋に戻り、深く嘆息をひとつ吐くと、果たして彼は困り果てた。それでも、その時ばかりは、頭を掻くことはしなかった。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「少納言には、少し言い過ぎたかしら」
彼女――清少納言に対し、返歌のフレーズを目の前で酷評し、本人に文句を一通り言って、本人が去った後のこと。中宮・藤原定子は、そう他の仕官に呟いた。そんなことはございません、あれは酷い返歌です、と周囲の誰かが返す。
「……期待しすぎるのも、考え物ですね」
定子はまだ齢二十歳にも至らぬまま、思春期の只中を中宮で過ごしていた。中宮は政治の世界、権謀術数や魑魅魍魎が渦巻く世界。そんな浮世を生きる彼女にとって、十も年上で、聡明で、面倒見もよい清少納言は、彼女の一番の精神的な支えになっていた。
「彼女は本当に、本当に素直だから」
自分が彼女にそうしたように、素直に物言いをすることは悪ではない。何よりも彼女の素直な、飾らない人柄と性格が、誰よりも定子にとって、かけがえのないものだった。
「『くらしかねける』ね。諾子らしくて、いいのかも、ね」
誰にともなくそう呟くと、定子は口の端を上げ、大げさに単衣を翻し、少し速足にその場を後にした。
連日の肌寒い風が今日ばかりは和ぎ、鳥の囀りとともに、春の本格的な訪れを予感させた。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「枕草子」は清少納言自身による随筆であるため、当然ながら、彼女の認識の外について、記されることはない。件の返歌の際、中宮定子が彼女の返歌の「暮らしかねける」という表現のどこを不満としたのか、統一された見解は、千年経った今でさえ、出揃っていない。
「アレはツンデレっていうんだぞ、ちゃんマス」
ちなみに、紫式部日記に書かれた清少納言評について、当人――正確には、カルデアの「なぎこ」はこう語る。なお、紫式部が「枕草子」から多大な影響を受けていることは、「源氏物語」における様々な引用的記述からも明らかである。心のどこかでは、彼女を尊敬していたのだろう。
そうした相反する感情は、得てして表層上、苦言を軸に記される。いわゆるツンデレである。日記での発露はその類だろう。
では、果たして、定子から清少納言への苦言の内には、矛盾する感情、すなわち好意はなかったのだろうか。
「……「わかりかねける」、なんていったら、なぎこさんは怒るでしょうか」
本人のリアクションまで想像して、思わずふふっ、と笑う。
「紫式部、まだー? 早く次の札を読んでよー!」
遠くから声がかかる。そういえば、子供たちを待たせていたのだった。ごめんなさい、今参ります、と呼びかけると、彼女は本を閉じ、司書室の外、子供が集う部屋へと足早に向かった。
司書室には、今日も「枕草子」が置かれている。