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【SPIRIT of SEAGULLS】vol.3「叩き続けた先に見えた最高の景色」 岩松 永太郎('17年度卒)

「SPIRIT of SEAGULLS」とは…
多方面で活躍するSEAGULLS OBに、在籍中に感じたことなどについて執筆してもらう連載企画です。


"パウンディング・ザ・ロック(Pounding the Rock)"
「救いがないと感じたときには、私は石切工が岩石を叩くのを見に行く。おそらく100回叩いても亀裂さえできないだろう。しかしそれでも100と1回目で真っ二つに割れることもある。私は知っている。その最後の一打により岩石は割れたのではなく、それ以前に叩いたすべてによることを。」

 皆さんはこの言葉をご存知だろうか。これはバスケットボールの最高峰「NBA」で何度もタイトルを勝ち取ってきた、強豪「サンアントニオ・スパーズ」のチームスローガンである。SEAGULLS関係者なら何度も耳にした事があるフレーズだろう。陸さん(陸川ヘッドコーチ)が私たち選手に向け、何度も伝えてくれた『愛のある』このメッセージ。今でもこの言葉は私の原点であり、私の大学生活そのものだったと思っている。

「幼少期に抱いたSEAGULLSへの憧れ」

 そもそも「私」と「SEAGULLS」の出会いは、バスケットボールを初めた小学4年生の時。今でも兄のように慕っている、同ミニバス卒の前村雄大選手(’09年度卒/現・トライフープ岡山)が東海大学に進学したことをきっかけに「SEAGULLS」の事を知り、大ファンに。それ以降、私の口癖は「雄大君と同じ小林高校、東海大学でバスケットがしたい」。嘘のように思えるかもしれないが、小学4年生の頃には、東海大に進学する事を決め、友人や家族など周囲の人にも公言するほどだった。それから8年後・・・面白いことにこの目標は叶うことになる。県立小林高校を卒業した私は、2014年4月東海大学に入学した。

写真中央が前村、その上が岩松

「夢の実現と大きな挫折」

 幼い頃からの夢だった「SEAGULLS」に入部を果たした私の次なる目標は、”チームのエースガード”になること。しかし、全国各地から選りすぐりの選手たちが集まるこのチームにおいて、この目標は容易なものではなかった。特に同ポジションでの争いは熾烈で、藤永佳昭選手('14年度卒/現・千葉ジェッツ)、ベンドラメ礼生選手(’15年度卒/現・サンロッカーズ渋谷)、小島元基選手(’15年度卒/現・アルバルク東京)、そして伊藤達哉選手(’16年度卒/現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ)に寺園脩斗選手(’16年度卒/現・レバンガ北海道)など、雑誌やテレビで一度は見たことのある、各世代を代表する選手たちばかり。期待に胸を踊らせていた私の心は一瞬にして打ち砕かれ、現実を突きつけられた。

 案の定、私が1年時にユニフォームを着たのは1、2年生主体で臨む新人戦の時のみ。「苦しさ」「もどかしさ」「悔しさ」思い描いていた大学生活とは掛け離れた現実に戸惑い、逃げ出したいとバスケットボール以外にエネルギーを注いだことも少なくなかった。ただ一度たりとも「バスケットボールを辞めてしまいたい」と思うことはなかった。なぜなら、それだけ「SEAGULLS」は私にとって特別なチームであり、それと同時に「誰もがこの経験をできる訳ではない…」と、いま自分がこのチームにいること自体に、感謝できる私がいたからだ。

 ただ、現状はなかなか変わらなかった。2年、3年と時は過ぎていく一方、アップダウンを繰り返す、足踏み状態の毎日。「このままではいけない」と思いながらも、どこかで殻を破りきれない自分。そんな私を救ってくれたのは、紛れもなく周囲の仲間たちだった。特に当時アシスタントコーチを務めていた小林康法さん(’13年度卒/現・名古屋ダイヤモンドドルフィンズ アシスタントコーチ)、それから同郷の先輩でもあった寺園脩斗選手(’16年度卒/現・レバンガ北海道)、そして何より同期の仲間たち。彼らの存在は私にとって特別なものであった。在学中、陸さんが口酸っぱく選手に伝えていた「縦・横のつながりを大切にしなさい」という教え。今だからこそ、その言葉の本当の意味が分かる気がする。「つながりの深さ」これも「SEAGULLS」の魅力の1つだろう。

4年目のラストホームゲームで同期たちと

 夢の実現とは裏腹に、大きな挫折と日の当たらない陰を味わった3年間。だが、周囲の力も借り、ここから私は大きく変化することになる。迎えた4年目、私はこれまでの思いを爆発させるかの如く、コートの上で躍動した。

「愛のある言葉の本当の意味」

 迎えた最終学年、最後の挑戦が始まった。この1年は「チーム」も「私」もとにかく必死だった。周囲の期待をよそに、トーナメント(4位)、リーグ戦(9位)と結果が出ず、低迷するチーム。そんなチームに批判や罵声も少なくなかった。だが、私には一切の不安や迷いなどなかった。これまでの経験を経て、その状況すらも楽しんでいる私がいた。「何も恐れるものはない」と。

 集大成となるインカレ、私にとっては毎分毎秒が夢のような時間だった。会場の熱気、選手の気迫、そして湧き上がる大歓声。4年間の中のたった1週間という短い期間だったが、どれもたまらなかった。最終的に思い描いていた結果(日本一)を手にすることはできなかったが、大観衆のコートに立った時、初めてこれまでの”積み重ね”が報われた気がした。それと同時に陸さんがいつも私たちに伝えてくれていた「パウンディング・ザ・ロック(Pounding the Rock)」の本当の意味を理解した。

「今なお消えぬSEAGULLS SPIRITS」

 SEAGULLSで過ごした4年間は、決して順風満帆ではなかった。しかし、多くの壁に直面しながらも、その度に自分自身と真剣に向きあい、壁を叩き続けたからこそ、かけがえのない財産を手にすることができた。それは”仲間”であり、”情熱”であり、”人間性”であり、この東海大学SEAGULLSに入部しなければ得ることができなかったことばかりだ。だからこそ心の底からこう思う・・・「東海に来てやっぱり間違いはなかった」と。

 卒業後も私の歩みは止まらない。故郷に戻り1年間の教員生活、「選手」と「サラリーマン」二足の草鞋を履いて戦った「岐阜スゥープス」での2年間、そして現在。今、私はB3リーグ「トライフープ岡山」に所属するプロバスケットボール選手だ。当時の私を知る人からすると、私が今プロ選手になっていることなど、きっと誰も想像していなかっただろう。実は私もその中の一人だ。ただ、在学中から現在まで一つだけ変わらないことがあるとすれば、”私は行動する事を絶対にやめなかった” どんなに大きな岩石が目の前に立ちはだかろうとも、叩き続けたからこそ”今”があると思っている。

今なお消えぬ『SEAGULLS SPIRITS』今日も私が歩みを止めることは決してない。恩師から継承した「愛のある言葉」の本当の意味、そして叩き続けた先に見える最高の景色を知っているから。



・岩松 永太郎(いわまつ えいたろう)
熊本県出身。宮崎県立小林高等学校を卒業後、東海大学SEAGULLSに入団、4年次に副主将を務める。卒業後、教員を目指し、宮崎に帰郷するも1年で退職。
翌年、B3「岐阜スゥープス」に入団。2シーズンを戦い、今シーズンからB3「トライフープ岡山」に移籍。現在、プロバスケットボール選手として活動中。

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