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【2022.1.18】鏡を見なくなったことと「ほしい」を先延ばさないこと

最近、鏡で自分の顔を見なくなった。マスク生活でひげを剃る機会がへったから、ひげを剃らない日は鏡を見ない。とくに、休日は外出するしないにかかわらず、まじで見ない。他人から自分がどう見えるのか、あまり気にしなくなったのだろう。それこそ、学生時代はニキビができてないかどうか、うぶ毛が目立ってないかどうか、細胞のひとつひとつまでなめるように見ていた。
自分という存在を客観的に見られるようになったのはいつからだろう。調べてみたら、鏡の起源は人類の誕生と同じくらい古いらしい。鏡のなかった時代は、周りから自分がどう見えるかとか、そんなことを気にしない人が多かったんだろう、なんてことを想像する。外見をあまり気にしないことについて、いっしょに歩く妻には申し訳ないとは思っている。
少し前まで、わたしは周りの目を意識してTwitterをやっていた。「いいね」がもらえると嬉しいから、「いいね」を貰えそうなツイートを意識していた。でも、いつからかそれにつかれた。アホらしくなった。書きたいことを書き、言いたいことをツイートしようと思った。だからこんな、周りから見たらどーでもいい日記を書いたり、くだらないツイートをしたりするようになった。まぁ、いまでも全く意識していないといえば嘘になるが、ストレスはほとんどなくなった。そりゃ、「いいね」が貰えればもちろん嬉しい。けど、貰えなくてもなんとも思わない。書きたいことを書いて、自己満足。もちろん、いつもツイートを見てくれる人、反応してくれる人には感謝してます。

図書館に行って本を5冊借りた。貸出期間は2週間。平日は仕事なので、まず読みきれない。こんなに借りるつもりはなかったのだが、何ヶ月も前に予約した本がちょうど同じタイミングで自分の順番になってしまった。借りた本の中には、予約した当初は興味があったものの、今はそれほどでもない、という本もある。興味があるときに買って読んでおけばよかった。
変化の早い時代だからか、わたしが飽きっぽいだけなのかはわからないが、人の興味や熱量というのは移ろいやすい。きのうの日記で「未来の自分に期待しない」と書いたが、それに近い感じ。いま、喉から手が出るほどほしいものがあったとしても、未来の自分が同じように喉から手が出るとは限らない。だからほしいものは先延ばしにせず、ほしいと思ってるときに買ったほうがいい。歳をとるにつれ、この「ほしい」という感情はどんどん消えていく(と想像できる)。ほしいものは我慢しすぎないことが大切だ(もちろん資金管理も大切)。
とはいえ、何ヶ月も待ってやっと借りられたのだ。せっかくだからちょっとくらいは読んでみよう。

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