要約
TRPGデザイナーの小太刀右京さんがX(旧Twitter)でXカードの設計思想について呟いた内容は、事実関係に大きな錯誤がある。Xカードのデザイナー、John Stavropoulos氏の想定しているXカードの利用法と、小太刀さんの伝えるXカードの設計思想は明白に異なっており、この誤解が拡散されるとXカードを使ってセッション運営を行っているコミュニティがダメージを受けるかもしれない。
はじめに
「Xカード」とは、TRPGにおいて、セッション中に避けてほしい表現があったときに提示されるカードだ。このカードが出された場合は、参加者はその表現をぼかすか、避けることを求められる。セッションゼロ(注:セッション前にプレイヤーと話し合い、好き嫌いを探すこと)と共にXカードを使えば、より参加者すべてを楽しませるセッションができるだろう(事実、Xカードの作者はこれをセッションゼロと併用することを前提としている)。
このXカードの運用について、TRPGデザイナーの小太刀右京さんがこのように書いている。
これらの発言を見る限り、小太刀さんはXカードを「使うことが極めて重大な」「この話を続けられたら耐えられない」ようなときにのみ使うことを想定して作られていると解釈している。
しかし、Xカードの提唱者であるJohn Stavropoulos氏は、小太刀さんの発言と全く異なった設計思想を明白に伝えており、一連の発言は誤りといって差し支えないものだ。
Xカードはどのようなタイミングで使われる?
Xカードの使用例として、元のドキュメントではこのように伝えている。
3つ目の例はともかく、1-2つ目の例は「最終安全装置」というほど重大なものではない。
Xカードは「好みじゃない」程度のタイミングで使うものではないのか?
もし、Xカードが「最終安全装置」なら、Xカードの濫用は咎められるはずだ。事実、小太刀さんは
「この要素好みじゃないんだよなあ」というレベルのことに投じるんじゃなくて「もうこの話を続けられたら本当に心がつらい」という話に投入するものなんですよ」
と書いている。
最終安全装置であるXカードを使われるというのは、参加者にとっては極めて重大なことで、あまり使ってほしくないものであることは十分想定できる。では、本来Xカードをいつ、どの程度使うことをデザイナーは想定しているだろうか?
つまり、最終安全装置としてXカードを使わず、頻繁に(小さな問題に対しても)Xカードを使うことをデザイナーは奨励している。Xカードは明確に「好みじゃない」程度の発言にXカードを使ってもよいものだ。
Xカードは他人の発言が使うものなのか?
「GMが嬉々としてプレイヤーを拷問するところを想像してみましょう」と述べているように、小太刀さんの発言には「Xカードは他人の発言に向けて使うもの」と取れるものがある。しかし、実際のところ、Xカードは自分の発言に使っても良いのだ。Xカードの使用例には以下がある。
このように、Xカードは気軽に、センシティブなネタに対する反応を見るために、自分で自分に使っても良いものだ。
Xカードはゲームを完全に止めるものなのか?
小太刀さんの発言では、Xカードは「そのカードに触れる人が出た時点で、とりあえずもう一旦ゲームを中断しよう、ということなんです」というように、ゲームそのものにストップを掛けるもののようだ。では、John Stavropoulos氏はどのように述べているだろうか。
これまでの例から考えても、Xカードを使うのはどう考えても完全にゲームを止め、話し合うほど深刻なものではないケースが多い。ゲームを完全にストップするようなものではないことは明白だ。
Xカードはゲームの創造性を邪魔するのか?
これは小太刀さんの発言に限らず、複数の方が言及していたことだが、Xカードは創造性を邪魔し、ゲームを自由に楽しめなくするもののようだ。
そうなのだろうか? John Stavropoulos氏はこのように答えている。
Xカードはお互いに空気を読み合う無駄な時間を減らし、互いに描写についてアイデアを出し合い、お互いが本当に望ましいセッションを行うために使うものだ。
とどのつまり、Xカードをどうやって使えば良いわけ?
こんな感じで使えばよい。
セッション中にお互いに配慮しあって、発言が止まっているとき。
残酷描写など、人を選ぶネタをやりたいが、どこまでやっていいかわからないとき。
参加者がみんな超能力者ではなく(1人とか2人が超能力者の場合も使おう)、お互いの好みを完全に把握していないとき。
TRPGデザイナーがこういったいい加減なことを言う問題について
小太刀右京さんは、TRPGデザイナーとしていくつものゲームやインストラクションを出している方だ。しかし、このいい加減な呟きに対しては、かなりがっかりしたと言わざるを得ない。
例えばXカードについて述べたものが非常に古い資料であれば、話は別だ。錯誤があってもおかしくはない。
しかし、XカードはGoogle Docsで全体公開されている、誰でもアクセスでき、翻訳などもできる、CC-BY-3.0の情報だ。最大の問題は、検索すれば誰でも簡単に内容を把握することを、専門家が調べようともせず、誤情報を発信したことにある。
昔、TRPGにおいて「馬場理論」というものが流行り、大きな問題になったことが合った。これは、「ロールプレイを行うときに、演技をするのは間違っている」という情報を、馬場秀和氏という大手TRPGサイトの運営者が「コスティキャンのゲーム理論」を元に発信したものだ。この問題は、彼が広めた「コスティキャンのゲーム理論」の情報が全くでたらめだったことにある。馬場氏はいくつもの海外ゲームを遊んでおり、大きな発言力があったため、結果として誤解が広まり、ほかのプレイヤーを攻撃するために馬場理論を引用する、悪質なプレイヤーが増えた。
小太刀さんの発言が馬場理論と同じような「誤情報に基づく、他のプレイヤーへの攻撃」という問題のもとにならないか、私はおそれている。というのも、Xカードについて、すでに述べた通り何人かの(TRPGの)プレイヤーは「ゲームの自由な遊び方を邪魔する」と危惧しているからだ。Xカードを「極端な状況以外使うものではない」という誤解は、Xカードへのこの危惧を後押しする。結果として、Xカードを本来の設計思想どおりに使っているグループがXカードを使いづらくなってしまうだろう。また、Xカードを本来の使い方で使ったにもかかわらず、ほかの参加者が「極端な配慮を求められ、ゲームを壊された」と感じて傷つくようなことが起こりかねない。
また、小太刀さんがTRPGが好きで、今も遊んでいるプレイヤーでありながら、自分の好きなジャンルについてまるで調べもせず、誤解を広めたのも残念だ。もちろん、すべてのことについて調べられる訳では無いが、Xカードについて調べる難易度はかなり低い。なぜ、プロが簡単に調べられる、ネット上で公開された一次情報にあたりもせず、誤情報をSNSで拡散したのだろうか? プロとして、小太刀さんにはこの誤解を解く義務があると感じている。
これまで、様々な形でTRPG分野を盛り上げてきた方が、このような形で信頼を損なったのは残念でならない。
更新履歴
2023/09/04 公開