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Xカードは本当に最終安全装置なのか


要約

TRPGデザイナーの小太刀右京さんがX(旧Twitter)でXカードの設計思想について呟いた内容は、事実関係に大きな錯誤がある。Xカードのデザイナー、John Stavropoulos氏の想定しているXカードの利用法と、小太刀さんの伝えるXカードの設計思想は明白に異なっており、この誤解が拡散されるとXカードを使ってセッション運営を行っているコミュニティがダメージを受けるかもしれない。

はじめに

「Xカード」とは、TRPGにおいて、セッション中に避けてほしい表現があったときに提示されるカードだ。このカードが出された場合は、参加者はその表現をぼかすか、避けることを求められる。セッションゼロ(注:セッション前にプレイヤーと話し合い、好き嫌いを探すこと)と共にXカードを使えば、より参加者すべてを楽しませるセッションができるだろう(事実、Xカードの作者はこれをセッションゼロと併用することを前提としている)。
このXカードの運用について、TRPGデザイナーの小太刀右京さんがこのように書いている。

「もうこの描写には耐えられないのでゲームを止めるしかない」のだから、止めたい人の意志がやりたい人の意志より優先されるべきだ、というのが設計の前提なのです。そこでセッションが崩壊しても、耐えられない人の心が壊れるよりいい(PCを喜々として拷問するGMを想像してみましょう)

最終安全装置なので、「全員がうまくやる」とか「セッションを最後まで終える」とかより大事なことがある、というところが設計のキモなんですね。そのカードに触れる人が出た時点で、とりあえずもう一旦ゲームを中断しよう、ということなんです。だからその時の解は「描写してる人あきらめて」ですね。

これは普段僕が話してる「ぶっちゃけ」より上位で、トラウマや心理的タブーの関わることについて、Xカード(ダブルクロスでいうとシルバーキーカード)を出した人が説明する理由もありません。説明すること自体が心理的負担になるからです。

たぶん誤解があるんだと思いますが、「この要素好みじゃないんだよなあ」というレベルのことに投じるんじゃなくて「もうこの話を続けられたら本当に心がつらい」という話に投入するものなんですよ。残虐表現や性暴力、宗教上のタブー、差別発言などを想定しています。

これらの発言を見る限り、小太刀さんはXカードを「使うことが極めて重大な」「この話を続けられたら耐えられない」ようなときにのみ使うことを想定して作られていると解釈している。

しかし、Xカードの提唱者であるJohn Stavropoulos氏は、小太刀さんの発言と全く異なった設計思想を明白に伝えており、一連の発言は誤りといって差し支えないものだ。

Xカードはどのようなタイミングで使われる?

Xカードの使用例として、元のドキュメントではこのように伝えている。

Examples:

I described an NPC smoking. A player was trying to quit and felt uncomfortable.

We played a modern realistic horror game. Someone introduced funny elves.

I described and acted out plane turbulence. This started to activate a player and they were worried that a past trauma might be triggered. Luckily I stopped asap (we had to stop the game as well) and we did what we could to help the person in question.

使用例:
・私がNPCがタバコを吸っている描写をする。あるプレイヤーは禁煙中のため、これを居心地悪く感じた。
・モダンエイジのリアルな恐怖がテーマのゲームを遊んでいるときに、誰かが面白いエルフについて話し始めた。
・私は飛行機の乱気流を描写し行動した。これにプレイヤーの1人が強く反応し始め、過去のトラウマが誘発されるのではないかと心配になった。幸運なことに私はすぐにゲームを中断し(ゲームも中断しなければならなかった)、当人を助けるためにできる限りのことをした。

3つ目の例はともかく、1-2つ目の例は「最終安全装置」というほど重大なものではない。

Xカードは「好みじゃない」程度のタイミングで使うものではないのか?

もし、Xカードが「最終安全装置」なら、Xカードの濫用は咎められるはずだ。事実、小太刀さんは
「この要素好みじゃないんだよなあ」というレベルのことに投じるんじゃなくて「もうこの話を続けられたら本当に心がつらい」という話に投入するものなんですよ」
と書いている。
最終安全装置であるXカードを使われるというのは、参加者にとっては極めて重大なことで、あまり使ってほしくないものであることは十分想定できる。では、本来Xカードをいつ、どの程度使うことをデザイナーは想定しているだろうか?

People commonly believe that by using the X-Card to edit both content that may trigger someone and simply content that makes people uncomfortable or simply doesn't fit with the game... that it might diminish the power of using the X-Card when there is an emergency rather than a small misstep.

Generally, we've found the opposite to be true in our experience.

By using the X-Card frequently, you demystify it. You normalize it. It becomes second nature. Thus increasing the chances it will actually be used when it is needed.

The more you use it, the potentially better.

誰かのトラウマのトリガーとなる可能性のあるコンテンツと、単に人々を不快にさせるかゲームに合わないだけの小さな問題の両方をXカードを使って編集すると、緊急時にXカードを使用する力が弱まると考える人がいる。
一般的に、私の経験では逆のことが起きている。
Xカードを頻繁に使用することで、Xカードはわかりやすくなり、正規のものになる。第二の自然になる。そのため、必要なときに実際に使用される可能性が高くなる。使えば使うほど高い効果を発揮するんだ。

つまり、最終安全装置としてXカードを使わず、頻繁に(小さな問題に対しても)Xカードを使うことをデザイナーは奨励している。Xカードは明確に「好みじゃない」程度の発言にXカードを使ってもよいものだ

Xカードは他人の発言が使うものなのか?

「GMが嬉々としてプレイヤーを拷問するところを想像してみましょう」と述べているように、小太刀さんの発言には「Xカードは他人の発言に向けて使うもの」と取れるものがある。しかし、実際のところ、Xカードは自分の発言に使っても良いのだ。Xカードの使用例には以下がある。

10. “…and usually I’m the one who uses the X card to help take care of myself."
It’s not just about them, it’s also about me. We’re in this together. And it can take the edge off a potential serious topic. I will usually X-Card myself early on in the game. Say I describe a gory fight, I might say out loud, “whoa John, relax there” and lift the X-Card on myself to show everyone it’s no big deal  to use.

10. 「……そして普通、自分の面倒を見るために、Xカードを自分自身に使う事が多い。」
Xカードの問題は、参加者だけでなく、私自身の問題でもある。私達は一緒にプレイしていて、潜在的に深刻なトピックを避けるためにXカードを使える。いつも、私はゲームの序盤にXカードを出す。例えば、血みどろの戦いを描写したとしたら、「まぁまぁ、ジョン、そんなところで落ち着いて」と声に出して言い、Xカードを自分の上に掲げて、誰が使っても大したことはないと示すかもしれない。

このように、Xカードは気軽に、センシティブなネタに対する反応を見るために、自分で自分に使っても良いものだ。

Xカードはゲームを完全に止めるものなのか?

小太刀さんの発言では、Xカードは「そのカードに触れる人が出た時点で、とりあえずもう一旦ゲームを中断しよう、ということなんです」というように、ゲームそのものにストップを掛けるもののようだ。では、John Stavropoulos氏はどのように述べているだろうか。

Thank them for setting a boundary and making the game experience better for them.

Do what you reasonably can to respect their boundaries.

If you have trouble remembering what was X-Card, privately write it down for yourself.

If you make a mistake, quickly apologize, and adapt accordingly.

まずは境界線を教えてくれ、ゲームをより良いものにしてくれたことに感謝する。
境界線を尊重するために、合理的にできることをする。
何の描写でXカードが使われたのかわからないときは、書き留めておく。
間違いがあったなら、すぐに謝り、それに適応する。

これまでの例から考えても、Xカードを使うのはどう考えても完全にゲームを止め、話し合うほど深刻なものではないケースが多い。ゲームを完全にストップするようなものではないことは明白だ。

Xカードはゲームの創造性を邪魔するのか?

これは小太刀さんの発言に限らず、複数の方が言及していたことだが、Xカードは創造性を邪魔し、ゲームを自由に楽しめなくするもののようだ。
そうなのだろうか? John Stavropoulos氏はこのように答えている。

Some people hate the idea of playing with an X-Card because they fear it could crush their creativity. People who run games can especially feel threatened, especially if they have specific stories in mind.

But gaming is about interaction. It's about choices. And it's about the people playing together. No one person's feelings are more important than anyone else's.

And often the opposite happens.

By knowing people can easily flag and edit any potentially problematic content, you can be even braver with your choices. You can spend less time trying to read people (we aren't mind readers) and more time being creative.

Xカードを使うと自分の創造性を台無しにするんじゃないかと思って、Xカードで遊ぶことを嫌う人もいる。ゲームマスターにとって、特に特定のストーリーを重視して遊ぶ場合、特に脅威を感じるかもしれない。

しかし、TRPGとは参加者がお互いに作るものだ。選択について楽しむものだ。そして、人々が一緒に遊ぶことが前提になっている。参加者の誰かより、誰かの意志が重要なわけじゃない。
けれども、実際はしばしば逆のことが起きる。
だから、参加者が問題のあるコンテンツにフラグを立て、描写を編集できれば、更に大胆に描写の選択ができるだろう。他人の心を読もうとする時間を減らし(私たちは読心術師じゃないからね)、創造的になる時間を増やせるんだ。

Xカードはお互いに空気を読み合う無駄な時間を減らし、互いに描写についてアイデアを出し合い、お互いが本当に望ましいセッションを行うために使うものだ。

とどのつまり、Xカードをどうやって使えば良いわけ?

こんな感じで使えばよい。

  • セッション中にお互いに配慮しあって、発言が止まっているとき。

  • 残酷描写など、人を選ぶネタをやりたいが、どこまでやっていいかわからないとき。

  • 参加者がみんな超能力者ではなく(1人とか2人が超能力者の場合も使おう)、お互いの好みを完全に把握していないとき。

TRPGデザイナーがこういったいい加減なことを言う問題について

小太刀右京さんは、TRPGデザイナーとしていくつものゲームやインストラクションを出している方だ。しかし、このいい加減な呟きに対しては、かなりがっかりしたと言わざるを得ない。

例えばXカードについて述べたものが非常に古い資料であれば、話は別だ。錯誤があってもおかしくはない。

しかし、XカードはGoogle Docsで全体公開されている、誰でもアクセスでき、翻訳などもできる、CC-BY-3.0の情報だ。最大の問題は、検索すれば誰でも簡単に内容を把握することを、専門家が調べようともせず、誤情報を発信したことにある。

昔、TRPGにおいて「馬場理論」というものが流行り、大きな問題になったことが合った。これは、「ロールプレイを行うときに、演技をするのは間違っている」という情報を、馬場秀和氏という大手TRPGサイトの運営者が「コスティキャンのゲーム理論」を元に発信したものだ。この問題は、彼が広めた「コスティキャンのゲーム理論」の情報が全くでたらめだったことにある。馬場氏はいくつもの海外ゲームを遊んでおり、大きな発言力があったため、結果として誤解が広まり、ほかのプレイヤーを攻撃するために馬場理論を引用する、悪質なプレイヤーが増えた。

小太刀さんの発言が馬場理論と同じような「誤情報に基づく、他のプレイヤーへの攻撃」という問題のもとにならないか、私はおそれている。というのも、Xカードについて、すでに述べた通り何人かの(TRPGの)プレイヤーは「ゲームの自由な遊び方を邪魔する」と危惧しているからだ。Xカードを「極端な状況以外使うものではない」という誤解は、Xカードへのこの危惧を後押しする。結果として、Xカードを本来の設計思想どおりに使っているグループがXカードを使いづらくなってしまうだろう。また、Xカードを本来の使い方で使ったにもかかわらず、ほかの参加者が「極端な配慮を求められ、ゲームを壊された」と感じて傷つくようなことが起こりかねない。

また、小太刀さんがTRPGが好きで、今も遊んでいるプレイヤーでありながら、自分の好きなジャンルについてまるで調べもせず、誤解を広めたのも残念だ。もちろん、すべてのことについて調べられる訳では無いが、Xカードについて調べる難易度はかなり低い。なぜ、プロが簡単に調べられる、ネット上で公開された一次情報にあたりもせず、誤情報をSNSで拡散したのだろうか? プロとして、小太刀さんにはこの誤解を解く義務があると感じている。

これまで、様々な形でTRPG分野を盛り上げてきた方が、このような形で信頼を損なったのは残念でならない。

更新履歴

2023/09/04 公開

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