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庭付きの古い家

 誰もいない家に忍び込むのを私が趣味にしてから、もう10年が経っていた。とはいえ、私は泥棒ではない。家の中に入っても何かを盗んだり壊したりはしない。誰かの生活の痕跡にそっと潜り込んで、楽しむのが好きなのだ。だから、私は空き巣狙いと違って、住民が少し前にいなくなったような空き家にも忍び込む。

 始まりは17のときだった。私は勢いで、隣の家に住んでいるハンサムな大学生にラブレターを書いた。しかし、土曜日の学校帰りにその家の郵便受けに投函してから、私は自分のことが恥ずかしくてたまらなくなった。家の人に見つかる前に手紙を取り返さなければならなかったから、私は家の扉を押してみた。すると、扉はすっと開いた。無我夢中で三和土に落ちている手紙を拾って視線を上げたとき、誰もいないリビングのテーブルの上に、まだ片付けが終わっていないごはんだけがおいてあるのが見えた。まるで、食べている途中に家の人がいなくなったような様子に、ざわっ、と私の呼吸が音を立てた。

 後で聞いたところによれば、その家のお父さんが昼ごはんを食べ終えて、立ち上がったときに急に倒れたらしい。悲しむ周りに口先で同調しながらも、私はとっくに隣の大学生に興味がなくなっていた。

 それから、私はずっと他人の家にこっそり上がり込んできた。引っ越しのあと時間が経たない、家具の陰が残った家から、先程まで睦み合っていたカップルの布団に体液が残った家まで。しかし、12年間で、刺激は少しづつ柔らかになりつつあった。

 だから、私は庭付きの2階建ての家に入ると決めた。その家は調べてみたところ、何年か前にそっくり家具を残して、住民はいなくなっていた。生活から少し遠ざかった家も、気分転換には良い。周囲を確認してから、私は枯れかけた生け垣の下をくぐって、家に入った。最初に感じたのは失望だった。まだ、驚くほど生々しく、生活感が残っていたからだ。

【続く】

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