ある日の、ある山の登山レポート
北海道は自然豊かな土地だけれど、何もせずに無限に持続できるわけではない。人と自然のバランスが崩れてくると、そこには様々な問題が出てくる。今年は異常なほどヒグマの目撃情報が多かったけど、それもやはりそのバランスが崩れていることの証左かもしれない。
妹夫婦が所有し、管理している山の話を以前書いた。
時々見に行ってほしいと頼まれているのだけど、これだけヒグマがたくさん出没している話を聞くと、そうそう独りでは行けないわけで、どうしたものかと考えていたら、思わぬ同行者が見つかった。
Alan Watsonさんという世界的に有名な森林学者が、学会で北海道に来ていて、北海道の森を見てみたいということになり、妹夫婦の知り合いがコーディネートしてくれた。
正直言って、自分の人生でTEDx Talkで講演するような人と知り合うことになるとは思わなかった。
でも、Alan氏は”本物”だ。30年以上の年月を費やして、世界の森林を研究している。古代カレドニアにかつて存在し、近代になって消滅した森を復活させたりもしている。30年ってひとくちに言うのは簡単だけど、真珠の養殖で有名な御木本(パールのミキモトの御木本さん)さんが養殖真珠の育成に手を付けてから全巻式の真円真珠の養殖に成功するまでもだいたい30年。途方もない歳月だ。
先日、国立科学博物館でクラウドファンディングがあって話題になった。国立の博物館なのに電気代にも事欠くなどということがあっていいのかという論点はもちろんあるけど、クラウドファンディングに出されていたリターンが実に魅力的だった。
だって、国立博物館のバックヤードツアーを館長や副館長がガイドしてくれるなんてある?昼に始まったクラウドファンディングで10万円の寄付に対するリターンだったと記憶しているが、家族が帰ってきたら相談しようと思ったら一瞬で売り切れた。
そりゃそうか。専門家を独占してガイドしてもらえる機会なんかそうそうない。決断が遅れたことを後悔したが、北海道からだと東京に出かけていくこと自体にそれなりの調整を必要とするわけで、これはまぁ仕方がない。
今回の森林見学の申込みも僕にとっては同じ感覚だ。ヨーロッパをホームにしている森林学者の目に、妹夫婦が(ほんの少しだけ僕も)情熱を注いでいる山はどう映るのだろう。とても楽しみに当日を迎えた。
いつもは午前中に出発して昼過ぎには帰路に就く。今回も同じような工程を組んでいたののだけれど、前日になってAlan氏に同行して来日していたご家族が体調不良になったとのことで、午後からの出発になった。まぁいつもは2.5時間あれば戻ってこれる山でもあるし、だいたい山に出かけるとその日一日は他のことをする余裕はないので、予定は丸一日空けてある。
最寄りの駅で待ち合わせ。僕は帯広から。Alan氏ご夫婦とコーディネートしてくれたKurt氏は札幌から。そこから20分くらいのところにある山まで車1台に乗って向かう。
道中は軽く自己紹介。彼らからいくつか質問を受けて、拙い英語で回答しながら車を走らせる。
ー山はちょくちょく行くのか。
だいたい1.5か月に1回。今年はヒグマが怖くて全然行けていない。
ー1人で行くのか。
そうだ。妹夫婦は「You are brave」って言うけど彼らは全然わかってないんだ。僕はBraveなんじゃない、君たちが行けって言うんだろっていつも言ってる。
ー笑。山は好きじゃないのか。
正直に言うと、そこまでの情熱を持って山歩きをしているわけではない。でも、僕なりに妹夫婦の情熱に敬意を持っていて、それをサポートしてあげたいという気持ちがある。あと、僕は国内の水源涵養には少し危機感がある。
ー確かに水は大事だな。日本にそこまでする人は多いのか。
おそらくほとんどいないと思う。ヨーロッパにだってそんなにはいないだろう?
ーかもしれない。すごい家族を持ったな。
Absolutely.
現地について、身支度を整えて入山。だいたい14時20分。天気は快晴。気温は21℃。Alan夫人(円=まどかという日本名もお持ちだ)は車で待機するとのこと。
絶好のコンディションだけど、前日に少しまとまった降雨があったので、おそらく滑りやすい箇所があるであろうことを伝える。事前の情報提供は何でも大事。
今年は笹刈りがまだなので、入り口付近はかなり笹が茂っている。こいつらは本当に伸びるのが早い。
いつもならさっさと登ってさっさと帰ってくるけど、今日は別。Alan氏はプロの森林カメラマンとしても活発に活動していて、本格的な撮影器具を持って入山している。何を撮影したいと思うかはAlan氏次第だから、どういうペースで行くかもAlan氏次第。
樹木の枝や葉、そして道や木々に生えているキノコ。いろんなものを見つけては立ち止まって撮影する。僕はちっともそういうのに関心が無かったけど、見る人から見れば興味深いということになる。
入り口付近はけっこう笹が生い茂っていたけど、斜面はそこまででもなかった。とはいえ、最初の1kmが一番傾斜がきつくて大変なので、Alan氏が撮影で立ち止まるたびに休憩出来て水を飲めて助かった。
要するに僕は急ぎすぎなのだ。
そういうことは人生でもよくある。目標に向かって効率よく、一直線に進んでいくのが正しくて良いこと、そういう価値観で我々は日ごろ生きていく。もちろんそれは現代のビジネスにおいて常に求められる姿勢だ。
だからといって、山歩きに持ち込むことはあるまい、という話だ。一心不乱にわき目も振らずに山を歩いたところで発見はない。ちょっとした運動になるくらいだ。
イノベーションも、シナジーも考えない。パラダイムシフトは起こすものではなくて結果的に起きたらいいなくらいなもの。山の方はSWOT分析なんて必要としていない。強みも弱みも関係なく、隣の山と競合することを考えたりすることもない。山はただそこにあるだけ。
そういうことを思いながらAlan氏の撮影風景を眺める。時々、Alan氏が「これは何という樹木だ」と尋ねてくる。カシワの木くらいは分かるけど、ミズナラを英語で何というか、僕は知らない。だからだいたい頭に「I guess」とか「Maybe」が付く。
登山のドキュメンタリーで、登山隊一行が登ってくる映像や画像があるけれど、あれってその前にカメラマンが登っているわけで、何というか、大変なお仕事だなと思う。
実は、この山に植生している樹木は妹夫婦がとっくに調べていて、僕はただそれを紹介すればよかっただけだった。
ただ、彼らのサイトはとても重いので、閲覧する方はご注意。もう少し何とかならないのかなとは思う。
Alan氏にとっては植生がとても興味深かったようで、山の南斜面と北斜面で植生がガラッと変わることなどについて、僕に説明してくれた。残念ながら「南北で違うね」というところしか僕には理解できなかったんだけど。
山の様子は特段の変化はなし。水源涵養のための保安林に指定されているので、森林局の職員もときどき回っている気配はある。
もちろん回っている気配があるのは森林局の職員だけではない。山の王もその支配の証をそこかしこに残している。
いつもは登り始めてから下山するまでだいたい2時間30分くらいなんだけど、今回は撮影に非常に時間がかけたので、全部は回れなかった。
ゆっくりなのは全然かまわないんだけど、暗くなってしまうと山の王が活動を始めるので、日が暮れる前に下山。
山から下りていくと、途中から所有者が変わって村有になる。日本の植林行政の典型で、エゾ松の単一林。
Alan氏はすぐに気づいたようで、たった一言「Mono Culture」とだけ言った。そしてもう、写真を撮ろうとはしなかった。
駅まで送って、再開を約してお別れ。人を理解するには寝食を共にすると良いとはよく言われるけれど、山歩きもなかなか人となりが出る。少なくとも、英語力は極めて低い僕が、Alan氏やKurt氏と過ごしていて、ストレスを感じたことは一瞬たりともなかった。
See you again,Alan,Madoka and Kurt. 良い一日をともに過ごせたことに感謝します。