雑記:分倍河原、パスタとサイン本
少し迷っていた。
「やる後悔」と「やらない後悔」を天秤にかける。
自分の性格を考えると、「やる後悔」を取ることはわかっているのだ。
それでも、念のため迷うのだ。自分への言い訳が必要なのだろう。
1
この日は一人だった。午前中は所用を済ませようとノートパソコンを開いた。これは所用というか趣味なのかもしれないが、iTunesライブラリを整理して満足するのだ。
録音しておいたラジオの音源を編集して、落語のみのファイルにして、iTunesに取り込んだり。60年代アメリカのバンドについて、出身州の情報を調査して、タグとして付記したりするのだ。
こんなことは生きていく上では必要ない。それでもやるということは趣味なのだと思う。
今週やっておきたかった所用が終わった頃、ちょうどお腹もすいてきたので、昼食を食べ、オルタナ旧市街のサイン本も手に入れようと分倍河原へ向かうことにした。
ここで「やらない後悔」の方は捨てた。
「やる後悔」と「やらない後悔」について考えるときにいつも思い出すのがベルリン行き夜行列車だ。
もう随分と前のこと。出張でスウェーデンの南、マルモという街に滞在していた。マルモはコペンハーゲンと列車で繋がっているスウェーデンの玄関口だ。私はその街に約2ヶ月ほどの滞在し仕事をしていた。必然的に週末にやることがなくなってしまっていた。
今はどうか知らないが、当時スウェーデンでは週末はキリスト教文化なのかお店は休みでやることがないのだ。いわゆる観光地的なところはあいているのかもしれないが。それ以外だと大きめの公園に散歩しに行って、食料品など買って帰ってくるくらいしか週末にやることがなくなってしまった。
この週末はどうしようかと考えた。そんな時、ふとスウェーデンを出たらどうなるのだろうか?と考えた。
ヨーロッパは気軽に越境できる、何もスウェーデンに閉じこもっている必要はないのだ。
少し調べていると、金曜日の夜にマルモ発、ベルリン着の夜行列車があったのだ。これはいい。ベルリンに行ってみたいと漠然と思っていたのでチケット代や、所要時間など調べてみる。
夜行列車なので、それなりにベルリンでの滞在時間も確保できそうだし、代金もそこまで高くなかったような記憶がある。同僚たちからコペンハーゲンに週末行ったという話を聞いたことはあったが、ベルリンまで行ったという話を聞いたことはなく、これはちょっとした話の種にもなるなと。
しかし、結果として私はベルリンには行かず、ホテルの近くのサブウェイでサンドイッチを買い、低アルコールのビールを買って、ホテルにこもりポケモンをやっていた。ラティオスを捕まえたのを覚えている。
ラティオスは嬉しかったが、ベルリンに行った方がもっと楽しかったのではないか。
その思いは消えることはない。
「やらなかった後悔」はこうして、何年経っても残っている。
2
分倍河原に着いたら雨模様、ギリギリ傘がなくても大丈夫なくらいではあった。傘も持っていないし目指す場所までは遠くないのでそこまで濡れないだろう。
新田義貞に黙礼し、私は複合施設MINAMOへ向かう。
お昼はサイゼリヤと決めていた。パスタ気分だったから。
本当は事前に、「分倍河原 パスタ」で調べたのだけど、1人でこじゃれた店に行くのもなんだな。読書する時間も取りたいしということで、自然とサイゼリヤに決まったのだ。
読書するならチェーン店に限る。
昼時のサイゼリヤは混んでいた。
「きのことほうれん草のクリームスパゲティ」をいただいた。パスタはつるつると喉を通る。良い食べ物だ。パスタを考えた人は一生遊んで暮らしてもらいたい。
食事もそこそこに、ドリンクバーで飲み物を用意して読書に耽る。
一人でサイゼリヤも悪くない。
群像の7月号、立川小春志の新連載をもう一度読んで、読んでいなかったエッセイをひと通り読んで読了。帰ったら解体してスキャンしてやるぞとテンションが上がる。群像は分厚いので良い、解体する楽しさがある。
食事と読書を終えた後は隣にあるブックオフへ寄る。
ここのブックオフには以前も、来たことがあり、その時に文芸誌を何点か購入した良い記憶があったのだ。成功体験があるいい店舗、そういう思いがあると素通りすることはできなくなる。
ところがこの日は文芸誌や雑誌を確認したものの、本当に何もいいものはなくて、なんというかジェネリックな品ぞろえだった。そして結局本は買わなかった。
残念な気持ちもあったのだけど、この後本屋に行くんだなと思うとブックオフで収穫がなかったことはどうでもよく感じた。
「この後本屋に行くのだから」ということで、気分が晴れたのは意外な発見だった。
3
店の外に出る、梅雨時らしい湿度を感じる。雨もまだしとしと降り続いているようだった。
目的地の「書肆 海と夕焼」はなんとなくあのあたりと把握していた。ドリンクバーで飲み物飲んだはずなのだけど、また喉が渇いてきてしまったので、道すがら自動販売機でオレンジティーを買った。
これでリフレッシュして本屋を探すぞとスマートフォンで確認してみると、もう目の前だった。
(「書肆」を読めなかったので苦労したのはここだけの話)
本屋に傘を持ち込むのはご法度だ、同じくらいに飲み物を持ってはいるのも。
湿度のせいで余計に結露したオレンジティーのペットボトルを手ぬぐいで拭ってから書店に入った。
本屋にはオルタナ旧市街先生が目の前にいた。まあサイン会なのでいるのだけど、なんとも身構える隙もなく目の前にいた。
こういう対面がどうにも苦手なので先生との会話はあまりできなかった。それでもお勧めの赤染晶子のエッセイ集「じゃむパンの日」とオルタナ旧市街「踊る幽霊」のサイン本を購入した。
サイン本を購入したのはこれが2回目だ。
一回目は新宿紀伊国屋書店で催された、伊集院光のサイン本購入会だった。
あの時は午前休を取得して新宿に向かったのだ。
確か予約とかはなく、並んだ順で人数も決まっていたはずだ。
私はすでにあった行列の一員となり、システマティックなサイン会に参加した。宛名を入れて欲しい場合は、事前に渡されたメモに記載して渡す。
伊集院光と接触する時間は一瞬だった。
目の前によく日に焼けた伊集院光がいた。
私にとっては大スターであり、隣人のようでもあり、憧れの人でもあり、感情を揺さぶられることがもうわかりきっていたので、あえて「無」になっていた。
「無」になった私はサインを記載してもらっている間に、「よく焼けていますね。」と言った気がする。これは「無になった自分」が勝手に話したことなので、管轄外だ。
伊集院光は「芸能人なのに、ゴルフ焼けでも、ハワイ焼けでもなく、自転車焼けですが。」と、ラジオから聞こえてくるあのトーンで、少し皮肉っぽく言ってくれた。
これはとてもいい思い出。
4
サイン本を購入し帰宅する。
なんだかぼんやりとしてしまった。サイゼリヤで食べたパスタが消化中だったためだろうか。
本当はもう少し、何かをオルタナ旧市街先生に伝えたかったが、どうにも言葉が出てこなかった。これは少し後悔。何か言葉を用意しておくべきだった。
PDCAをゴリゴリ回して改善すべきである。
分倍河原駅の近くにたどり着くと緑道があった。
そこには切り株とその周りにあったきのこ。
主を失ったきのこ、きのこの方がもう主になったかのようであった。
単行本とサインのようだなと思った気がするが、今となってはそれすら上手く説明できない。
分倍河原のホームにあがると、線路脇に雑草が生い茂り、列車が通過すると少し不安になるくらいに雑草が揺れていた。
サポートをしていただけたら、あなたはサポーター。 そんな日が来るとは思わずにいた。 終わらないPsychedelic Dreamが明けるかもしれません。