#96 ローマ帝国衰亡史
今年のnoteとしては最後の一冊、最高の歴史書との誉高いエドワード・ギボンによるローマ帝国衰亡史。歴史は繰り返すことは滅多にないが韻を踏む。今後の流れを掴む上では今までの歴史の流れを読むこと、またそこから考えを醸成させることが必要である。歴史を読むことは、未来を知ろうとする行為に他ならないのである。本書はPHP研究所からの抄訳であり、機会を見つけて全訳も読破してみたい。
・ローマの征服事業は、共和制時代にすでに完了していた。これ以上の軍事行動から得られるものはほとんどないことが容易に見通されていたからでもある。
・帝国の版図を自然が恒久の防壁として定めたものと思われる境界内に限ることをアウグストゥスが諭す。
・ハドリアヌス帝にせよアントニヌス帝にせよ、帝威は守るが版図は広げないという方針を守った。
・帝威を保ったのは兵制と軍事力に帰される。武器の使用、闘うことは愛する国と守る財産とを持ち、立法への参加が義務でもあり利益であった階級の人々から次第に技術となり、一つの職業へと堕ちていった。
・恐怖と希望もここに存在している。
・奴隷であれ異邦人であれ、敵であれ蛮族であれ、長所や美点があればこれを活用することこそ名誉であると考えていたのがローマ人。
・ローマからエルサレムまでの道をたどると、4,080ローママイルの長さにわたって一条の大いなる連絡網になっていた。統治及び軍事戦略においても交通の重要性を彼らは知っていたわけである。
・繁栄の陰に衰退の歯車がある。民族的誇りや独立心、危機の到来や統率の習慣によって養われる公義的勇気がなかったのである。
・愚行、殺戮が恐怖心から生じ、五賢帝の時代後、ローマ政治は誰からみても衰退の道を辿っていくことになる。
・ディオクレティアヌス帝の才能は、卓絶していたというよりむしろ有用であったと言える。目的達成まで動じない恒心、手段選択の柔軟性、それにとりわけ他人の情動はもちろんのこと、自らの情動も自己の野心に従わせ、しかもその野心を正義や公益といった口実で繕う巧妙な術作、に秀でていた。
・キリスト教との確固不抜の精神と、キリスト教徒集団の結束と規律などがキリスト教が既存の宗教に対して大きく勝利を納めた理由として描かれている。
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