#11 マネーの進化史 by ニーアル・ファーガソン

ハーバード歴史学教示が著したマネーの進化を世界通史でまとめてくれている書籍。貨幣の誕生から、銀行制度の発達、保険の発明、ヘッジファンドの興隆と2008年の金融危機までを追い、バブルとその崩壊、また各時代における金融の変革を歴史をまとめて教えてくれる名著。モルガン家やThe Power of Goldなどを通して、金融史への理解を深めてきたが、改めて気付かされたこと、また現状の金融勢力図への理解を更に深める手助けをしてくれた。金融に携わるもの、またこれから金融に進む人へもお勧めの一冊。

・貧困は、強欲な金融業者が搾取した結果として生じたものではない。むしろ金融機関が不足していたため、つまり銀行が存在したからでなく、逆に銀行が身近に不在だったために貧しさが助量されてきた。

・機会の平等は存在するのかしないのか、という問題。情報収集の成果が、今ほど大きい時代はない。金融知識が乏しければ、成果は丸切り望めない。

・金融危機の時期や規模を正確に予測することは、全ての予言の中で最も困難だろうということ。金融システムは極めて入り組んでいて一筋縄では行かない、ある意味では混沌とした状況にあるためだ。
マクロ経済の理解には時間を割く必要があるが、予測することは多くの困難を伴うし、ましてそれに伴った投資活動をすることがどこまで適切か改めて慎重な考慮を必要とすることを思い出させてくれる節。

一攫千金の夢からの抜粋

・スペインは十字軍などにおける巨額の遠征費など征服にかかる膨大な費用を賄うために銀を掘りまくったが、そのために銀の価値が下落した。つまり、他の商品を買う際の購買力が落ちてしまった。ヨーロッパでは1540年代から1640年代の間に価格革命が起こった。それまで300年間に渡って上昇傾向を見せなかった食品の価格が、著しく高騰した。イギリスでは、16世紀から、100年間で7倍となり、初めてのインフレを経験することになった。またインフレの結果、生産的な経済活動に励もうとする意欲が湧かなくなる。(ナイジェリア、イラン、ロシア、ベネズエラなどがその状況を示しているか。)

・14世紀の初め頃、イタリアの金融界はフィレンツェの御三家、パルディ、ペルッツィ、アッチャイウオーリー家に支配されていたが、王家への貸出で三家とも没落した。一方でその後台頭してきたメディチ家は金貸は強大な権力を持ちうることを示している。メディチ家からは、二人の教皇、二人のフランス王妃、3人の公爵といかに権力を振るっていたかがわかる。
メディチ家興隆の要因としては、中世の時代が進むにつれ、商取引の資金を確保する手段としての為替手形が普及していったこと。事業資金になりうる払い込み債権をいくらか割り引いた額で売買をすることでさやを取っていた。小さなクレジットリスクの積み重ねになるわけだが、規模の大きさと、何よりも事業内容の分散によって、資金が焦付くことを避け、複数のパートナーシップより利益を上げるビジネスモデルを構築した。

・17世紀の3つの傑出した金融機関には、多種類の通貨と外国コインの口座引き落とし、振替業務の導入を世界で初めて導入したアムステルダム為替銀行、預金準備銀行の体裁を取り入れたストックホルム銀行、そして発券権を独占的に持ったイングランド銀行の登場が挙げられる。

人間と債券の絆からの抜粋

・イタリアの都市国家が抱える債券が大きくなるにつれて、都市国家間との戦争を繰り広げるための資金が必要になった。その一助を担ったのが債券市場の発達。また北ヨーロッパにおいて、年賦を受け取る権利の売買も市場の形成に大きな影響を与えた。

・ロスチャイルド家の興隆は、イギリス国債の値段が戦争の帰趨によってどのように変動するかを俊敏に見抜いたネイサンの手腕によるものであると言っている。だが実際は、ナポレオンの大陸封鎖令を掻い潜り、ヨーロッパの至る所に張り巡らされたネットワークによるもの。そして、正確な情報をいち早く入手し、大胆な取引をする神経を持っていたことによる。
ワーテルローの戦いののち、イギリス勝利の知らせは、彼らが追加で運んでいた金を無用のものに変え、大きな損失に直面しうることになった。しかし、ロスチャイルドは大きく割引された額面で取引されていたイギリス国債を大量に購入し、持ち続けることで利益をあげた。

・アメリカ南北戦争時、南部連合の軍事的な努力が実ならかったのは、工業生産力と人力不足だけでなく、深刻な資金不足の為でもある。戦争初期に中央集権的な制度がなかったため、起債によって軍資金を賄っていたが、限界があった。ロスチャイルドへ資金を頼んだが、受け入れられなかったという背景もある。

バブルと戯れてより抜粋

・オランダは、バンダ諸島からイギリスを、マラッカからポルトガルを退散させたことによってVOCがクローグ、ナツメグの交易を独占し、有利な事業展開を行うことになった。戦争は貿易なしでは遂行できないし、貿易も戦争なしではできないとはよく言ったものだ。

・スコットランド人ローは、オランダの金融業界において、東インド会社とアムステルダム為替銀行の関係(株式を担保にローンを組む仕組み)に見せられ、のちにフランスで株式会社であり発券銀行でもあるバンク・ジェネラー  る(フランス銀行)会社を作ることになる。実権を握るために、税は全てバンク・ジェネラールの紙幣で支払われなくてはならないという法令を交付した。ローは紙幣を増刷して貨幣の供給量を増やし、巨大な税の徴税という面倒な負債と貿易を独占する会社を作った。これは世の中で初めてのバブルに発展した。

・ローは株券に対して40%の配当を支払っていたが、これを維持するためには、株価の上昇が不可欠であった。国民は王立銀行から、王立銀行の株券を購入するためのローンをバンク・ジェネラール紙幣で受け入れた。株価が急騰するのは時間の問題となり、市場には投機熱が蔓延った。

帝国からチャイメリカへより抜粋

・投資家は偏った先入観を持って行動するだけでなく、彼らの先入観に基づいた行動が実際の相場の将来に影響を及ぼす。このことから、市場は将来を正確に反映するという考えが生まれるのだろうが、しかし正確には将来のできことが現在の予測に反映されているのではなく、現在の予測が将来の出来事に影響を及ぼしている。

・認知したものと現実の間には相互に再起的な関係があり、そのために最初は自己強化のプロセスに始まるものの、やがて自己破綻につながる暴投と暴落のプロセス、要するにバブルに至る。トレンドと5回から成り立ち、両者は再起的に相互作用している。

・2000年初頭、中国はなぜ約20倍も豊かなアメリカに金を貸したがるのか。それはごく最近まで、中国の巨大な人口の雇用を維持するための方法が、浪費性向が高いアメリカ人に製品を輸出することだったからだ。この関係を維持するために、中国の通貨である元が、ドルに対して強くならないようにする必要があった。そのために中国は元を売却してドル保有高を高める財政政策を行ってきた。結果として、中国の輸入品がアメリカのインフレを抑え、賃金を抑えた。それが低金利環境をもたらし、住宅市場の過熱の一助となったとも言われている。

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