#3,4モルガン家 上・下 金融帝国の盛衰

19世紀から20世紀までの間において、国をも凌駕する金融帝国を作ったモルガン家のノンフィクション金融物語。各時代の危機、機会を捉え、時には時代を先取りし、時には時代に翻弄される様を描いた傑作。実際に金融の世界に身を置くものとしても、国内外での大きなディール、また国家存亡をかけた役割を担う場面などでの駆け引きの臨場感が半端ではなかった。大戦時の債務貸出を国に代わって手がけた1900年代前半のモルガン家無くしては、現在のアメリカの地位はなかったのではないか。それほどまでにアメリカの歴史、また金融の歴史を体現していたモルガン家の物語から、時代背景、政策、取り組みに関して簡単にまとめることにする。

トラスト
1800年代後半に鉄道会社の合同、また1900年代のUSスチール設立や北大西洋の船舶輸送を独占化する海運トラストの創設など、政府規制が現在のようにトラストを禁じる程強くなっていない頃、大きすぎる企業をモルガン家は好み、国際的なネットワークを持つモルガン家が形成を手助け、海外でのビジネスを手助けしていた。企業よりも圧倒的に銀行が強く、顧客に販売した株式が信託された信託銀行を通して議決権を握り企業を支配していた。

連邦準備制度
信託銀行各社が株や債券で投機行動に走り、リスクの高い融資にも手をつけていた1900年代前半は、鉄道株暴落に端を発した1907恐慌で本格的に株式市場は混乱に陥る。ここにて、モルガン財閥は再度ウォール街の求心力となり、緊急融資策を取り決め、舵を取って国家存亡の危機を回避していたわけだが、一国の銀行が経済活動の舵取りをする事は利益相反の可能性を起こし、また公共の利益に必ずしもならないということで、連邦準備制度が整備されていくことになる。国家とモルガン家の結びつきがこれを機に離散していくのであった。また、銀行も徐々に国家の規制下に置かれていくことになり、金融王の時代から、金融権力と政府権力が融合し、モルガン家の力は米英両国の政策でも大きな影響力を持つ時代となっていく。

グラス・スティーガル法の制定
1933年、商業銀行及び信託銀行の投機的活動が株価の暴騰と消費者保護の失敗を招いたとする反省から、銀行業と証券行の分離を義務付ける法律を制定した。(バブルの原因としては、英国がポンドの地位を保つためにアメリカの利下げを迫り、アメリカで投機熱が育ちやすい環境にあったこともある。)従来であれば、J.P.モルガンの政治力で制定を反故にするほど大きな力を持っていたが、今では解体される対象へ。選択としても、当時株式や債券の引き受けの活動が非常に乏しいことからJ.P.モルガンは商業銀行として生き残る道を選択した。不景気や活動量の減少によって一時的な収益減なのか構造的な収入源なのかを判断するのはいつの時代も困難とリスクを伴う選択であるがすでに生じた出来事がどのような影響を与えるのかを考慮しビジネスを展開することが求められることの証拠だろう。

金融自由化の波
1986の金融ビックバンを経て、金融自由化の波は英国のシティへももたらされた。それ以前は、閉鎖的だったロンドン金融市場の門戸を競争に向けて開くことになった。結果として、零細企業は一掃されることになった。銀行は手数料の低い貸出業務から、より手数料の多い企業買収事業や、トレーディング業務へと舵を取ることになった。グラス・スティーガル法が目指した銀行業のあり方が、ワークしなくなり、よりリスクを取らなければ、より大きな資金を持たなければ存続できない環境へと進むことになった。
また企業と銀行の力関係も大きく変えた。今まではグローバルなネットワークやそこからくる力を用いた提案をでき、信用力のある銀行の言いなりになっていた部分もあるが、自由化やSEC規制415など企業が銀行を選ぶ時代になり、選んでもらうために銀行がどのような提案をできるかに焦点が当たり出した時代である。

その他一言メモ
1920年代のアメリカは世界最大の債権国であり、貿易黒字がある国だったが、1980年のレーガン政権の際に減税、財政赤字があり、純借手国へとなってしまった。この間は、金融緩和政策(1910年代は英国からの要請で米国の利下げ、1980年代は共和党の減税がメイン)がきっかけとなった株式の暴騰、債務危機(ラテンアメリカか欧米か)などと類似点が非常に多く見られる。

1929年の株価大暴落の前、全くの金あまりで、金融専門家に言わせると、株価暴落など考えられなかった。投資信託を通したレバレッジの過熱、企業の財テク投資、小口投資家の参入などといった要素もある。

1930年代の大恐慌においてフーバー大統領はなすすべが無かったわけではない。減税、公共政策の実施などをおこした。しかし、ワシントン連邦準備局はヨーロッパへの金の流出を避けるために、通過供給量を圧縮した。

銀行、国家、企業の3間での力学の関係によって時代を3つに区分している。
金融王の時代、ドル外交の時代、カジノ帝国の時代
金融王の時代は、グローバルネットワークを持つ銀行が圧倒的に力を持つ時代であり、危機からの救済策から国家の起債まで引き受けられるのは金融王と言われたモルガン財閥を中心にした銀行家達。また、企業よりも銀行の方が信用力の強い時代でもあり、ビジネススタイルも、企業がこちらにくるのを待つスタイル。

ドル外交の時代
戦後のドル覇権を握るために、モルガン財閥のネットワークを駆使した時代。第一次大戦での起債や緊急債務の条件決定などにもモルガン財閥が大きく関わることになった。
一企業である銀行と国家がタッグを組んで政治力を利かせながら各国と交渉していく。各国間の緊張が同派閥内での分裂因子として徐々に育っていった時代でもあった。

カジノ帝国の時代
金融自由化が各国で進み、銀行は熾烈な競争の中、新たなビジネスを探すことを強いられた時代。
よりリスクのあるビジネスへ参入し、生き残るために、今までの由緒正しい銀行家という伝統や、立居振る舞いを変更しつつ時代に合わせた変貌を遂げていくことになる。

時代が求めていることは何かを察知すること。
大きな力を利用すること。企業の戦略だけでなく、資本構造、メンバー育成の方法を含め、今までのやり方を変えることが必要かどうかの検討もリアルタイムで行われるべき。
今のパラダイムが存続するかは関わらないことを肝に銘じること。攻める時は大胆に、危機こそチャンス。

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