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【俳句教室】虚実皮膜・俳句は芸術だ

こんにちは。
すっかりSNSご無沙汰が板についてきました🖐
俳句もご無沙汰ぎみですが何とかしがみついています。
‪٩⁝( `ᾥ´  )⁝و‬うぉぉお!!

*トップ画は、子規の句のイメージにピッタリのイラストをお借りしました。
┏○ペコッ

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2022年2月から俳句を始めて10月から俳句教室に通っています。
講座は2時間で、前半は俳句についてのお勉強、後半は受講生の句についての添削。とても学びの多い2時間です。
せっかくなので学んだことをnoteに残しておこうと思います。


●俳句は芸術だ

俳句は芸術ですから、創作なんですね。
俳句は「客観写生」と言われるので私は「目の前の風景をそのまま言葉で表現すること」だと思っていましたが、それだと「ただごと俳句」といって面白くないんですね。


柿くへば鐘が鳴るなり法隆寺  正岡子規

有名な句です。
柿は晩秋の季語。柿の出る頃は風も冷たくなってきて秋も終わりだなぁと感じます。鐘の音もなんだか物悲しい。

この句、実は法隆寺じゃなくて東大寺だったとか。
でも子規は法隆寺として詠んだ。わざわざ「法隆寺の茶店に憩ひて」と前書きまでして法隆寺で押し通した。
東大寺だと「柿くへば鐘が鳴るなり」の気分に合わなかったんだと思います。「東」に「大」ですから、なんとも明るいイメージがありますもんね。

だがしかし、
法隆寺は嘘だったのか!子規は嘘つきか!と言うなかれ。

虚実皮膜きょじつひにくという言葉があるそうです。
近松門左衛門の芸術論です。

芸というものは、実と嘘との皮膜ひにく(皮と肉)の間にあるもので、虚でありながら虚ではなく、実でありながら実ではない、そういうところになぐさみがあるものなのだ。



( `・ω・) ウーム…なんだか難しいのだけど、事実そのままでは芸術にならないのですね。(なる事もあるけど少ない)
ほんの少しの創作が必要。
しかし創作が過ぎれば嘘くさい。頭のなかで作ってる句になってしまう。
まさに皮と肉の間の僅かな隙間にあるのだと思います。



この記事を書くきっかけになった記事はこちらです👇

【クリエイターとして観客や読者にどう演出すれば楽しまれるか考えるってことは、自分を気に入ってくれる人たちへのサービスであり、生き方や考え方の共有チャンスなのではないかと思う。】
記事内より一部抜粋させていただきました。
心に留めておきたい言葉です。
(・{}・)オオー✨


最後まで読んでいただきありがとうございました。(ૢ˃ꌂ˂⁎)


袋小路 綴乃



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