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シロクマ文芸部|三月の影

#シロクマ文芸部 『三月に』からはじまるお遊び企画  1975字


三月に影踏かげふみの約束をした。
二月では陽があわく、きれいな影がでない。四月は慌ただしく、忘れ去られるからだった。

約束の日、待ちあわせ場所に着くと木蓮の蕾がふくらんでいた。産毛でおおわれた鳥の雛みたいだった。
木の下に隠れた影がこっちを覗いていた。ボクは迷い、見ないふりをしようとした。でも無理みたいだ。引き寄せられて、近づいた。声をかけようと木陰に入り、影の様子を伺った。すると影は黙って背を向け、木から離れてしまった。

だいぶ待たせてしまった。もう四月になろうとしていた。
気を悪くしているのかも知れない。謝らなくてはと想うものの、本当にボクの影かどうかわからなくて困った。誰かの影と間違ってしまったら大変だ。戻ってこれない。

ボクの影なら、多少の手持ち無沙汰があっても、じっと待っていてくれるはずだ。だから他人のかも知れないな。そう想い、立ち去ろうとすると影は、

「踏むかい?」

人懐っこく振り向いた。声だけなのに引力を感じた。誰だか知らない影にはついて行ってはいけない、そう聞いていた。 でも、ダメだ。どうしても惹かれてしまう。

風が吹き、影が現れた。跡を追った。舗装されたコンクリートの道がつづき、春の陽がさんさんとボクたちを照らしていた。本当にボクの影なのかわからないのに、どうしても重なりたかった。四月が迫っていたからだ。

角の空き地を曲がり、狭い路地を通って、住宅街を抜けた。坂道を登り、下って、離れてゆく。ボクは急ぎ足で追う。だんだんと姿を見せる後ろ姿から目を離せない。このまま帰ってもよかった。なのに、もうそれさえ考えもしなかった。影は黒々と伸びて輪郭を濃くした。

影はツバの広い、先のとんがった帽子をかぶっていた。丈の長いマントを引きずるように纏っている──スナフキンみたいだ。

影が動くごとにマントがひるがえった。草原を長く歩き、やがて一軒も家の見えない湖の前まで来た。

はじめて見る風景だった。湖面にシルクのような光沢の鳥たちが眠っていた。鳥が丸まって浮かぶ姿は水面に散りばめられた繭のように童話的だった。

「踏むかい?」

影は、ぬかるんだ水際まで降りて、湖に浮かぶ鳥たちを眺めながら言った。

「え。鳥を?」

思わず声が出た。一羽が躰を解いた。そして、蛇のような長い首をくねらせ、頭をもたげながら音を立てて大きな翼を羽ばたかせた。
逆光に映るその姿が踊っているようで、ボクは思わず息をのんだ。
束の間だった。鳥はまた元の丸まった格好に戻り、たちまち湖は静寂につつまれた。影は、踏み損ねたことを残念がっているのか、マントを閉じ立ちすくんでいた。

「どうすればいい?」

声をかけると、帽子のツバを下に向け、「いいさ」と応えた。
ボクの鼓膜の中では、まだ羽ばたきの音がこだましていた。

日向が薄くなって来た。霧があたりを覆い、ひやりとする。
あらゆるところから差していた光は翳り、のっぺりした白い空に移り変わってゆく。湖の冷たい空気はどこか澱んでいて、ボクは大きな箱に閉じ込められたように窮屈な感覚になった。
陽射しがなくなると、影の存在はいないも当然だった。本当はすぐそばにいるのだろうけれど、陽炎のようにゆらめくだけになるのだ。

青白い湖に、白い波が立ち上がった。見ると、明らかに鳥の数が増えている。
つがいのようだ。水面を覆い隠す数え切れないほどの鳥たちが、狂おしいばかりに首をくねらせ、絡ませ、恍惚となって求婚の舞を踊っている。快楽に震えるように、むしろ乱暴に、波はどこかしらで絶えず舞い上がって羽ばたきの音を撒き散らし、噴水のように飛沫を跳ね返していた。

ひとことで美しいと言ってはいけないような光景だった。ボクはめまいにも似た感覚に襲われた。

──影は、鳥たちを踏んでいるのだろうか。

とんがり帽もマントもどこにも見えなかった。
鳥の群れの向こうに、四月が浮かんでいた。ビロードのような緑が生命力に溢れているのがシルエットでもわかった。

四月まで辿りつくには、湖を越えて行くしかない。それなのにボクは、呆然と立ち尽くし、つがいの鳥たちの、遠吠えのような野太い鳴き声や、切り裂くような甲高い声であたりが揺らぐのを、ただ聴いているだけだった。

「もう影踏みは終わりにしよう。帰ろう」

ボクは見えない影に届くよう、声を張り上げた。すると影はうっすらと姿を見せた。半透明のマントの向こうに波が揺れていた。

「帰るってどこに?」

ふん、と鼻で笑うのがわかった。
影は、マントに引っかかった棘でもつまみ出すような様子でボクをあしらった。それどころか、ボクの存在を正体不明の無生物でしかないというような態度で離れ、まっしぐらに鳥の群衆へ飛び込んで行った。

水際にマントが浮かんでいた。親しんだ日常をすべてを置き去りにし、いつの間にか人生に居場所をなくした三月のボクのように。


#シロクマ文芸部  参加させていただきました。


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