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掌編 わたしは下僕

人はそれぞれ使命を果たすためにこの世に生まれてくるという。
もしそうならば、わたしの使命は下僕に違いない。

雪が降った朝、アプリから連絡が来た。
寝ぼけ眼でスマホを握りしめ、送られてきた小さな画像を凝視する。
丸くて大きな瞳。キュッと締まった顎のライン。ふっくらとしたボディ。艶がよく、若く、存在に透明感がある。プロフィールにはなんとご両親の写真まで添えられているではないか。良家のおぼっちゃまらしい。ステキ。完全にノックアウトだった。

「すぐうかがいます!」
返信ボタンを押しながら、“彼” を招き入れても大丈夫なよう急いで部屋を整え、暖房をMAXに設定して指定された場所に向かった。

あのときのドキドキ感は今でも忘れられない。
「わたしは選ばれしものだ……」下僕センサーがビンビンに高鳴っていた。

予想通り “彼” を部屋に連れて帰ってきた。
野生味ある雰囲気とは反対に彼はシャイだった。星のように澄んだ瞳で部屋を見渡し、ノソノソと壁のすみに行くとそのまま隠れ出てこない。
緊張してるのね……。あたりまえだ。さっき初めて逢ったばかりだもの。わたしだって胸が爆破しそうに動きまわってる。

辛抱強く出てくるのを待っていると、彼はモソモソと壁から顔を出し、フローリングに丸まって眠ってしまった。
すーすーと甘いそよ風のような寝息が聞こえてきた。
わたしは、勇気を出して小さな顎をそっと撫でた。心地よさそうに喉がゴロゴロと鳴る。ピンクの肉球や精巧な爪がついた手脚は、とびきりセンスのいい神さまが作ったとしか思えないほど愛らしく、尊い。

やっと逢えた。わたしが全身全霊で愛をそそげる存在がやっと現れたのだ。

もっと近くで見たい。わたしは寝ている彼のそばにピッタリとくっついた。眠っている彼の鼻を触る。冷たい。急にピクピク動く。あ、ごめん。
ああ、どうしよう。たったひと言で、かわいい、と片付けててしまうことなんてできる訳がない。
弱々しい髭も、短いまつ毛もビロードのような体毛も、生あたたかな体温も、なにもかもすべて愛おしい。その存在はわたしにとって神に近い。いや、神以上だ。宇宙だ。もう爆発だ。

決めた。わたしは今日からキミの下僕だ。
神さま、わたしを選んでくれてありがとう。

雪の日にやってきたから『おもち』と呼ぶことにした。白くてふにゃふにゃした感触も、つきたてのおもちみたい。

おもちは1ヶ月で体重が倍になった。3ヶ月目で4.5キロ。これには獣医も驚いた。
おもちはどこまでも自由だった。PC作業をするわたしの膝によじ乗り(かわいい)、構ってあげないとお尻の穴を顔に近づけて猛烈アピールをした(やめて)。こちらがどれだけ疲れていても汗だくになるまで一緒に遊んでくれるのを知っているかのように、わたしを意のままにした。

おもちはしっかりと食べ、モリモリとうんちをし、部屋中の観葉植物を倒しながら元気よく部屋中を走り回った。そのたびにわたしはいそいそと雑巾で片付け、おもちが怪我などしないよいうミニマニスト並みに断捨離し、キラキラ光るオモチャを何個も試してはそのほとんどを気に入ってもらえず潔く処分した。

朝四時におもちのお尻攻撃で起こされる寝不足気味なわたしは、それでも歓びに溢れていた。おもちと目が合うと、途端にとろけてしまいそうで「幸せってこれなんだ」胸がじーんとした。

ある朝、おもちの呼吸がおかしい。ゼーゼーと苦しそうに、喉になにかつっかえているのか背中を丸めて全身に力を入れている。けれど吐き出すことができない。躰を撫でてあげると、体温が低くなっていることに気づいた。

「おもち、どうしたの?」
声をかけても反応がまるでなく、目も虚ろだ。
ヤバい! 反射的にコートを羽織りダッシュで部屋を出た。
病院まで全力で走った。キャリーバッグの中でぐったりしたおもちが弱々しく咳を繰り返す。──だいじょうぶ、おもち。わたしが助けるよ。だから、がんばって。

走りながら頭の中がグルグルした。一体どうしちゃったんだろう。間違って何か食べたのだろうか? テーブルにピアスでも置いてあった? ネズミのおもちゃ? それともただの風邪? 
どうしよう。どうしよう。どうしよう。下信号無視で走る。考えても考えてもわからない。心臓がバクバクする。

「影が出ています」

担当医がキッパリした声で告げる。
レントゲンに写ったおもちの肺は真っ白だった。喘息で肺炎を起こし、アレルゲン反応が全身にまわった危篤状態だという。
「呼吸不全になりかけています」

眩暈がした。
どうして? どうしてこんな事が起きるのだろう。なぜ、幼いおもちが苦しまなくちゃいけないの? 紹介してもらったブリーダーさんは信頼できる専門家だし、親猫にも兄弟にも異常はみられない。

わたしが迂闊なことをしたのだろうか。モンプチかつお味がダメだったのか。高級鴨フレークだったらよかったのか。なにがいけないのか誰か教えてほしい。
それとも、わたしが猫を迎える者として失格なのだろうか。選ばれてなどいなかったのか。神さまなんて本当はいないのか──。

違う! 心の声が聞こえた。

これは試験だ。わたしは今、神さまから試されている。
使命を全うし、いのちを守りきる下僕のイニシエーションなのだ。

二時間ほど待ったのち、病室の奥で透明な酸素カプセルの中でぐったりしているおもちを遠くから見せてもらった。

「治療法はひとつです」

主治医がなにやら筒状のモノを持ってきた。ペットボトルくらいの形状の吸引器だった。喘息持ちの人間の子どもに使われていると説明を受け、猫用の薬は現段階では開発されておらず、これ以外施しようがないという。
意識が戻らないおもちは、そのまま緊急入院になった。

受付で精算し、重い足取りで病院を出た。レシートには見たこともない数字が並んでいた。
通院することになるのかな……不安の波がわたしを襲った。治療法が見つかるまで待つしかないのか。薬代はどれくらいかかるのだろう。保険に入っておけばよかった。こんなタイミングでお金の計算をしてしまう自分が情けなくて罪悪感で誤魔化した。

おもちがいない夜を過ごした。
部屋の空虚さにやりきれず一睡も眠れなかった。

わたしはひたすら祈った。生きていてくれるだけでいい。
いのちさえあれば、医療が発達して将来もっといい治療法が出てくるかもしれない。お金なんてなんとかする。わたしが全力で守るんだ。

神さまどうか力をかしてください。
おもちが生きてさえいてくれたら、他にはなにもいらないんです。


以来、おもちは喘息のひきつけを起こすこともなく元気に育ってくれている。
奉仕の身であるわたしは、徹底した猫の健康管理スキルを身につけ、喘息用の呼吸器を楽々使いこなし、気まぐれに抱っこを要求されても6キロの肢体をヒョイと肩にのせてPC作業ができるほどになった。もし、おもちに緊急事態が起こったら、彼を抱いてどこまでも走り切る自信すらある。
さすが、下僕だ。選ばれしものだ。

神さまのテストに合格した下僕の使命はこれからもつづく。
永遠にわたしの愛をそそぐのだ。

                                


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