もう食べにいけない"いつもの場所"

わたしは、昼休みによく会社の近くにある激安弁当を買いに走る。その弁当屋に向かう道中、ある喫茶店の前を通るのだが、わたしはいつも眺めるだけだった。
その喫茶店は、入り口が緑に覆われ、店内が見えるか見えないかの扉がついていて。薄暗い店内を横目に、外にもれる小さな光を、わたしはいつも眺めるだけだった。

その店の前を通るたびに、スマホのGoogleマップを開き、写真を見たりして、
「あ〜素敵な店だなぁ、いつか行きたいな。もし行ったら、コーヒー飲みたいな、サンドウィッチが食べたいなぁ」
と、イメージだけを膨らまし、そう思うだけの日々を数年送ってしまった。

10月のある日、わたしはいつものように激安弁当を求めて歩いていた。そしたら、なんということ、、、。お店ごと取り壊しがはじまっていたのだった。店の前には、解体作業のために止まっている大きなトラックと、解体作業を眺める白髪のマダムが立っていた。


「あの人はお店の人だ。いつもお店の前をほうきではいていたマダムだ」
わたしは、その店に一度も行かないまま、閉店したことを知ったのだ。

こんな悲しいことはないよ、、、。いつでもあると思うななんたらこうたらだよ。行っておけばよかった。なんなら早く行って、何回か通えたかもしれない。そう思うと本当に悲しいし、くやしい、、。

だれかがネットに投稿した写真を見て、書き込みを見て、常連さんがいたんだな。話しかけてくれるんだな。マスターとママがいたんだな。と携帯の小さな画面から、得ることができる情報で納得(?)して、一度も足を運ばなかったことをまた後悔をしている。
その小さいスマホの画面の中にリアルはあるんか??ないだろ、、、それで納得せず行けばよかったのに、、わたしもそう思う、、泣

これからは、自分が行きたいと思ったお店は、迷わず入らなければ、、こんな後悔はしたくない、と思い激安弁当を片手に通り過ぎた。

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