TTL65 Well-being コトハジメ
well beingコトハジメー道徳の授業の構想を通してー
筆:TTL メンバー 東迫有美
①well beingー私の問題意識ー
well beingって何?どうやらSGDsの次のグローバルアジェンダの一つになるような注目度の高い概念であるらしい。気づけば、世の中にはSGDsという言葉が溢れていて、今では一般的な概念として受け入れられている。
しかし個人的には、SDGsという言葉が先行しすぎて、自分のなかに十分落とし込めていない感覚があった。well beingが次の時代をつくっていく重要な概念ならば、言葉が先行する前に自ら問い立てて考えてみたい。
well beingって何なのだろう?
②well beingの訳は「いい感じ」?
well beingの訳や解釈は多くあるが、誰もが確認できるという点と、この言葉の起源である点からWHO憲章の健康の定義を起点に考えてみたい。「身体も心も社会的にもすべて完全に満たされた状態が健康である。」心の状態が身体に影響を及ぼしたり、社会的安定が心の余裕感を作り出したりすることを思えば、「からだ、こころ、社会」が「完全に満たされている」状態が確かに「よい状態」であると言える。だが「すべてが完全に満たされた」状態であることが必要なのだろうか?
私の介護体験を事例に考えてみたい。祖母は脳出血によって半身麻痺、高次脳機能障害、要介護5となった。自宅での介護は、医療福祉スタッフ、行政、周囲の人々など様々な社会的要素に支えられていたが、祖母も私たち家族も身体的、精神的要素が「完全に満たされていた」わけではない。ベッドから車椅子への移乗(訪問看護さんの華麗なケアにいつも感動していました)や衛生管理、栄養管理、痰吸引や酸素濃度チェック。そして「目を離したこの一瞬にもしかしたら…」という恐怖が心を常に不安にさせていた。夜も何度も起きてケアをしていたので、体力的にも不安定だった。
しかしその日々は、とてもあたたかな素敵な時間であった。祖母のお気に入りは、リアル孫の手。私の手を見つけて握ったらそのまま離してくれないのだ。車椅子への移乗(ハグをするような形になる)では、そのままハグの姿勢から私を掴んで離れずにいる。離れるのが嫌だとごねる。これが超絶かわいい!!歯磨きを拒否する祖母との攻防も、一緒にお茶を飲む時間も、愛しい存在が確かにそこにいることで幸せな時間となった。
私の事例の場合は、幼少期から祖母と同居していたことや、家族に医療の知識がある人がいたことなど様々な条件が偶然整ったことが大きく影響している。状況も環境も様々ですべての介護の現場に当てはまるとは言えないが、幸せだったという解釈が成り立つ事例があったことは事実である。
幸せは「すべてが完全に満たされている」状態そのものではなく、解釈や判断によってつくられるのではないだろうか。「よい」と「感じられる」こと、つまり「いい感じ」がwell beingなのだろう。言葉や定義の「よい」と感覚的な「よい」の両面から考察することで、well beingの輪郭が見えてくるのではないだろうか。
③道徳の授業(中学2年)ーwell beingの視点で自分を見つけるー
◎知る
WHOの定義をベースに大まかな意味を整理した。生徒には自分が考える「よい状態」をふせんに書かせ、それらを整理して、自分のなかにある「よい」を可視化させた(Well being flag)。さらに道徳の教材を複数読み比べることで、確かに「こころ、からだ、社会」が揃って「よい」状態が成り立っているが、「からだ、こころ、社会」が「完全に満たされた」状態でなくても活き活きとした日々を過ごしていることに気づかせた。
※参考文献
前野隆司、前野マドカ『ウェルビーイング』(日本経済新聞出版)
◎考える
日本という風土に根付く感覚として、昔話や古典『竹取物語』『万葉集』(浦島子)、『百人一首』、日光東照宮(未完成)を例に挙げながら「ゼロ」に戻す感覚があったことや完全、完璧ではない状態を良しとする感性が存在していることを確認した。和歌には散る桜や紅葉に自らの哀愁を重ねて詠んだものが多くあり、さらに現代の名曲にも散りゆく桜が歌われている。満開の咲き誇った桜よりも、散りゆく桜を選び取るのはなぜなのだろう。
私たちには、完全に満たされたことを良いとする感覚(やったー)と、満たされたいないからこそ期待する感覚(わくわく)の両方あることをまとめとした。
※参考文献
石川善樹、吉田尚記『むかしむかしあるところにウェルビーイングがありました』(KADOKAWA)
◎気づく
自分のものの見方や価値観は他者(家庭、地域、社会、時代など)との関わりのなかで形成されていること、年齢や経験によって変化するものであることを確認した。また「わたし」は1人だが自分を取り巻く場は複数あり、それぞれの場における良いがあることを整理した。生徒には「1つではない、普遍ではない」という気づきをもってもらいたいと考えた。
Action2「わたしのwell beingキーワード」
(1)ある「場」を設定し、自分が良いと思うのはどんな状態かを具体的に3つ書き出す。
(2)その3つの状態に共通するキーワード(a)を見つける。
(3)(1)とは別の場を設定し、2つ目のキーワード(b)を見つける。
(4)キーワード(a)(b)に共通するキーワードを見つける。
(5)グループで共有する。
「仕事」「部活」「介護」などの場における自分のキーワード(a、b)から、自分を貫くキーワードを見つけるワークである。
今回のTTLでのワークで、Action2のポイントはキーワードを出すことだけではなく、共有することであることを発見した。参加者の皆さまからは言語化することで自分自身の考えを認識できたという感想とともに、対話を通して他者の考え(自分にはない発想やものの見方)を知って面白かった、話が広がったというという感想をいただいた。
キーワードから人となりが見えてくる、相手のことがもっと知りたくなる。このような他者への好奇心が人間関係を構築していくのだろう。そして他者との関わりの中で、改めて自分という存在を捉えることができるのではないだろうか。キーワードをどうやって導くかという点ばかりを意識していたので、この発見は大きな学びであった。(ありがとうございました!)
④まとめ
この授業は2024年の春に構想を始めた。夏休みに完成したものの、修正、変更を繰り返して…秋に完成。そして冬に実践発表。長く追いかけたテーマであった。土台になっているのは、これまでのTTLや対話、人との繋がりのなかで得た気づきである。繋がりは新しい何か生み出す力なのだと感じた。前例ないものをつくるのは苦しかったが、それ以上に楽しい時間であった。
今回の道徳の授業で生徒たちは「well being」という新しいコトバに出会った。これから先、彼らは自分の進路や生き方と真正面から向き合う場面がやってくるだろう。そこがステージ1である。ステージ0としての今回の授業が、生徒たちの土台の一部になってくれたら、とても幸せである。