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背景【精神障害者として生きる】

 初めて書くため、勝手が分からないが、簡潔に自己紹介を。
 私は、精神疾患を抱えている。手帳も持っている。これらを、恥ずべきことではなく、正しく理解されて補助を受けるためのものだと思っている。
 また、少々変わった母がいたので、自身の病を受け入れる抵抗はなかった。
 むしろ、オープンにすることで、誰かの参考になればいいと思っている。

 これまでに、就労支援センターや障害者就業・生活支援センター(通称なかぽつ)、就労継続支援A型事業所(通称A型)を利用してきた。
 利用するまでに不安や不明なことが沢山あると思う。
 まだ若輩者だが、経験してきたことが誰かの役に立ってほしいと思い、ここに記す。

 そのため、少々長くなるが、バックボーンをお話させていただきたい。
 読まずに次回を読んでいただいても問題はない。ちょっと特殊な家族のお話だ。

幼少期

 田んぼが広がり夏には蛙の干物が落ちているような田舎で育った。
 物心ついたころから両親は不仲で、いつも喧嘩していた。4つ下の妹は甘ったれで基本的に喧嘩をしていた。困るのは、両親の喧嘩だ。といっても母が一方的に父にキレることがほとんどだったのだが。それに巻き込まれるのだ。
母「お父さんと話したくないから伝えて来て」
 こういった具合に。
 今思えば、父の育った家庭と母の育った家庭は全く違うので、ズレは生じるのは仕方がないが、その弊害をもろに食らわされていたのだ。
「なんでこんなにけんかするのに、結婚したんやろ?なんで離婚せんのん?」
 と、幼いながらよく悩んだ。身内によるお見合いだったこともあるんだろうなぁ、と思ったりもしたが、迷惑なのはこちらである。
 結果、家族が笑顔でいて欲しい幼少期から私はピエロになった。

母について

 母は、祖父にとって末っ子。姉兄がいる中、甘やかされて育ち、私が生まれる前に1回目の事後破産未遂を起こして祖父と父がもみ消したらしい。
 後に、自己破産未遂をプラス2回も起こした。
私「何にお金を使ってたん?」
父「ちょっと……言えん……」
 気になるやんけ。

 育児しかやることのない母は、ネットで得た謎情報を妄信し、押し付けた。
母「ゲームはゲーム脳になるからダメ!」
 「テレビは週に1時間!」
 「ネットはいいよ」
 ……どういう理論なのかは分からないが、小学生からネットに触れる機会が少ない時代、これだけはありがたかった。
 それ以外のお陰で、同級生とまったく話ができない。話題がテレビのことばかりで、輪に入りたくても入れないまま、孤立していった。

 また、育児や父方の実家などによるストレスのせいだろう。特にほしくない服を買ってくる。興味がないし宿題があるので放っておくと、キレる。そして、晩御飯がなくなる。これが死活問題だった。
「『普通』、服買ってもらったら自分の体に当ててみるとかするやん!」
 いらんし。好みのデザインじゃないし。
 一緒に選びに行っても私が着た衣服を「似合わん」と言い「店員さんが褒めてくれるのは当たり前やろ!買ってくれるんやからな!」と車の中で1時間怒られた。
 _私は、貴方の人形ですか?

 大学に入学し、一人暮らしを始めてなんと快適なのかと感動した。
 母は自分が指示したことをその通りにやらないと気が済まない。0から10の指示を出し、その順番通りにやって結果を出せ、ということなのだ。
実家で台所を勝手に使うことはできず、料理の手伝いだけだった。だが、ある日急に洗い物も、洗濯物も、掃除もさせられるようになっていった。
 ……私だけ。妹は、何もなし。
 学校で宿題を終わらせて部活から帰り、母の手伝いをして機嫌を損ねないように気を張っていた。

 大学に入学して、久しぶりに帰省した。
 母はよく分からない病気にかかって検査入院やらなにやらして、精神疾患では?と言われたらしい。
 しかし、奇行は続いていた。ガリガリに痩せた状態でダイエットをするから、元から細い指がさらに関節を目立たせていた。
 何を問いかけても返事はなく、カーペットの毛玉をつまむだけで。涙をこらえて必死に訴えても、何も届かなかった。
 精神病棟に入院していて、そこでの面会が印象に残っている。母は、他の患者に囲まれて楽しそうだった。

 私はもう、母はいない存在だと思わないと生きていけない。
 幼少期から不眠症の私は、母に「せめて早朝だけでも健康スリッパやめて、寝れない、授業中も眠い」と訴えたところ「あんたが神経質なのが悪いんでしょ!!!!」と言われた。
 ショックで、頭が真っ白になった。

 そんな母は、どうやら私が実家に居た頃からネットで深夜に通話をしていた相手と再婚して他県に居るらしい。なかなか幸せそうだった、と去年結婚した妹は、母たちとダブルデートしてきたらしい。
 ちなみに、大量の服を家に置いて行ったので、冬場の寒い日にホコリの中母の服をゴミ袋に詰めまくった。喘息持ちには地獄だった。数日後、整理された中から金目になる物だけ持って、他県に引っ越していたらしい。どこの盗人だ。
 再婚については数日前に聞いた。どうにか整理がついて出た言葉は、羨ましいだった。
 逃げたい。それができないなら、死ぬしかない。
 父に追い詰められている私にはこの二択しかなかった。だから、新天地に向かえた母を羨ましく思った。
 娘を捨てて、夫を押し付けて、自分は幸せになったんですって。

父について

 大変古風な家で育ったお坊ちゃんは、自分は子育てをやったと勘違いしている残念なおじいさんだ。
「土日に友達と遊びに連れて行ってやったやろ?」
 その準備と片付けを母がしてるんですよね。作業増やしてるんですよね。
 また、妹が妊娠したと発覚した時、「出産当時のこと教えてやったら?初めての出産で不安やろうけど、私は何も経験がないから」と言ったところ、「なんも覚えてない」と返って来たのだ。
 そりゃ母のストレスも溜まるだろうよ。母は母でストレスを浪費で解決しようとするんじゃない。

 父には妹がいる。従兄たちの父親は知らないが、祖父母のもとで育った。
そのため、祖父母への思い入れに差がある。それ以前に、母親が叔母にいびられていたのだ。それを父は見てみぬふりをしていたらしい。妹が言っていることが正しい、だからその通りにできない妻が変、と。
 価値観を理解できない化物のような父の実家。誰が帰りたいと思うだろうか。
 祖父が地震後屋根の修理をして足を骨折した。そのことで母が叔母に責められた。他にも、この家のやり方は~とか常識的に~と色々押し付けてくる。
 当然、叔母だけでなく、父もだ。なんと、無意識に。

 母のブロックで私は「逃げたい」と思ったと書いた。
 何故なら、今私はマザコンの父(60オーバー)に甘えられているからだ。
 「この時代、ちらし寿司ぐらい作れんと」と、祖母に料理を教えてもらえと強要されたことがある。私はちらし寿司は苦手だし、祖母の味は全て激甘なので好みではない。あと、一応私にも母の味がある。
 諸々の愚痴を私に押し付けてくるクセもある。先日、祖母の介護で寝不足だ(誰も頼んでないし、いつでもどこでも寝れる人)、曾祖母と祖父の相続が借金だけだからどうにかする(具体的に色々聞きたいのだが、話そうとしない)、自分より年下の人が亡くなったから終活しないといけないよね(と言って10年経った。やってくれ)、など、SMSで聞かされた。
 妹からは育児の愚痴、父からは介護の愚痴、母は逃亡。私はサンドバックかよ。愚痴でサンドウィッチにされましても。笑いものにしないとやってらんないわ!
 そんな父は現実逃避なのか、新興宗教にはまっている。10年以上めっちゃ貢いでる。妊娠中の妹と義弟を呼びつけて「今も十分幸せだと思うけど……」と熱心に勧誘していたらしい。

 いやもう、父より先に死ぬのが最善じゃね!?と思ったんですよ。
 でも、祖母の葬式があるとして。帰省するとして。あの家に。……その前に死ななきゃ、逃げさせて、逃げたい、死にたい……。
 そう、思っているのが今です。

妹について

 4つ下の妹は、世渡り上手なイメージです。『一般的』な生き方をなんの疑問も持たずにできているので。
 社内恋愛で結婚、1児の母。その数年前に会社への愚痴を3時間ぐらい聞かされたんですけどね。
 結婚式は会社関係者97%ぐらいで親族は親ときょうだい、友人が数人。披露宴とは名ばかりの、会社の飲み会に巻き込まれる。私はそのストレスで、食べ物のアレルギーを発症し、式だけ出席。披露宴の食べ物の確認が来なかったので、欠席するしかなかったんですよね……。
 式関係は、妹たちとスッタフによる不備だけで記事が書けそうなので、この程度に。

 母の再婚を私に伝える際に「そろそろいいかなって思うから言うけど……」と言われたのですが、その直前に私が言ったのは「私の骨は海に撒いて」です。どの辺が大丈夫だと思って伝えたのか。
 父を着信拒否した報告をした際には「結婚したら逃げれるやん」「名字貸してくれる人おらんの?」と言われました。実家からの逃げ道、他の家に入ること以外にないのか。絶望しかないな。やっぱ骨になるしか……?
 アナと雪の女王1が嫌いで2が大好きなのはこいつが原因だと思うんですよね。森に還りたい。


次回から

 長々とバックボーンを語らせていただきましたが、次回から

  • 大学~終活

  • 新卒で入社

  • 就労支援センター

  • 就労支援事業所A型

 でお話する予定です。
 いよいよ本題です。
 よろしければ、お付き合いください。

画像は、趣味の刺繍です。
内容には特に関係ありません。