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もう限界と感じた瞬間に開くページ
私の中で もう限界 と感じた瞬間に開く 心の中の大事な瞬間のページがある。
長男の育休中は 子育ての悩みを誰に相談すればよいのかわからず
とても孤独を感じていた。
外出しようとは思っても移動中に泣いたら不安なので、子どもと二人き
りで部屋に閉じこも日々が続いていた。常に いつ爆発するかわからない爆弾を抱えているような不安と焦り。
唯一、部屋を出るのはマンションの一階にあるポストに手紙を取りにいく時のみ という日々。
ポストから手紙を取り出してふと「今 ここで子どもを置いて 一人でこの
まま出かけちゃったらどうなるのだろ」と思う。夫が帰ってくるまで誰にも気が付かれず、顔を真っ赤にして泣き続ける長男の映像が浮かび、そんなことできない とまた自宅のドアノブを開く。寝る→食べる→おむつ替え→お風呂→寝る。規則正しく繰り返される日々。今、世界で巨大爆弾が落とされるから緊急避難せよ という通知が来ても知らされることなく この日々を漂っているような、完全に社会から遮断された気持ち。巨大な宇宙の中で、息子と二人漂う宇宙船に乗っている気分。過去も未来も、どこに進んでいるのかもわからない日々。
そんなある日、ポストに手紙を取りにいくと、散歩帰りの一階住む大家さんとすれ違う。
大家さんは、先祖代々この地域に住んでいる80代のおばあさんで、今は毎日の散歩が日課。
「こんにちは」と当たり障りなく挨拶をすると
「暑くもなく寒くもなく丁度良いお天気ね」と突然、話しかけられる。
久しぶりの家族以外との会話に驚いた私は「暑くもなく寒くもなく丁度よいですね」とオウム返しに答える。そして、ふふふっと笑いあって部屋に帰った。
暑くもなく、寒くもなく、ちょうど良いお天気
ってなんなの。それって最高じゃん。
肩の力が抜けた何とも言えない解放感でいっぱいになった。
その日を境に、大家さんと毎日のように会話をするようになりが、息
子は大家さんのことを「大家さんのおばあちゃん」略して「おおばば」と呼ぶようになった。
夕方、家に帰る階段の途中ぐずると、「あらあら、泣きたいのね。泣きたいよね。これ今作ったおにぎり、美味しいからもっていって」と扉を開けて、おにぎりをくれた。あつあつのおにぎりをほおばり、泣き止んだ息子は自分で階段を上り始める。息子が階段で泣くたびに、くりごはん、ふきの煮物、
卵サンド、など季節に合わせたおいしいごはんを 扉からそっと渡してくれる。
泣き止まない息子に絶望している世界から、そのたびに、私は温かい現実の世界に戻り、「おいしいね、おいしいね。」と息子と話しながら、いただいたごはんをもりもり食べて、その瞬間を生き延びた。おおばあばが 手渡してくれるごはんは いつも温かく涙が出るほど美味しい。おにぎりって、卵サンドって こんなにおいしい食べ物なの?と思ってしまうほど、味のバランスが絶妙でおいしい。特に おはぎが最高で、ちょうどよい甘さで 永遠に食べていたくなるおいしさである。
息子が走り始めたころ、1階に足音が響くのではないかと心配になり、おおばばに相談すると
「子どもの足音って、大好きなの。大人の足音とは違うのよ。
生きるんだ!て、前向きな音なのよ。
だから聞いているだけで、私も元気になるの。嬉しいから、たくさん聞かせてね」
と言ってくれた。
ただ生きているだけで、元気を与えられる子どもという存在。それを育てている自分っていいのかもしれない。それをいいね って言ってくれる人がすぐそばにいる。それだけで、もう充分。もう大丈夫、自分はやっていける、生きよう!その瞬間 お腹の底からパワーがわいてくるのを感じた。
息子が小学校に入る前に、引っ越しが決まり、息子はおおばあばに手紙をかきたいといった。便箋を自分でえらび、習ったばかりのひらがなで一生懸命かいていた。そこには ひらがなで大きく
「おおばあばへ ほんとうのかぞくみたいだったね。ありがとう」
と書かれていた。
赤ちゃんとばかり思っていた息子。息子もたくさんのことを感じて 今日までやってきたのだね。その内面の成長に 心がいっぱいになった。
私は、息子に、「ほんとうだね、雨の日も風の日も 保育園行きたくない日の、どんなときも 声をかけてくれたよね。栗ごはんに、おかかのおにぎり 本当においしかったよね。」と話し、泣きながら手紙を封筒に入れた。
誰よりも近くでみていてくれたおおばあ。家族以上に 家族だった。おおばあばが そっと渡してくれる栗ごはんやおかかのおにぎりは、おおばあばからの「生きるんだ!」というメッセージだったのだと思う。それを私はしっかりと受け止め 力にかえていく。
あれから3年。息子は3年生になり、友達もたくさんできた。私も、新たな引っ越し先で友人ができたし、地域にもなじんできた。
けれども、おおばあばと過ごした濃厚な交流はない。あの奇跡のような日々が 遠く懐かしい。時折感じる 孤立と絶望の瞬間、あの日々のページを開く。あの栗ごはんとおかかのおにぎりの味を思い出す。
そしておおばあばからの 「生きるんだ!」のメッセージを受け取る。