行きたい時に、トイレに行く①
皆さんには座右の銘があるだろうか?
僕にはある。
それが、
「行きたい時に、トイレに行く。」
というものだ。
偉人の名言でもなければ、何かの作品に登場した言葉でもない。
僕の今までの人生から、自然と形成された言葉だ。
はじめてのnoteでは座右の銘に至るまでの簡単な経緯を書きたいと思う。
これを開いてしまった人は、ぜひ最後まで読んでいただけると大変嬉しい。
僕は現在28歳の男だ。
小さな頃から、お腹が弱かった。
小学生時代 〜行けないトイレ〜
小学生の頃の記憶を辿ると、僕はトイレを我慢していたあの苦しい時間を思い出す。
小学生というのは、うんちという言葉が大好きであるにもかかわらず、誰かがうんちをすることは許さない生き物だ。
僕の友達も例外ではなく、小学五年生まで学校で大便器の個室に入ったことはなかった。
1時間目からお腹が痛かったこともあったし、給食中や下校中にトイレに行きたくなったことは何度もあった。
その度に冷や汗をかきながら、家まで我慢をし続けた。
あの時の寒気と、お尻の汗は今でも鮮明に思い出せる。
小学五年生の時の放課後に、一度だけ、誰にもバレないように外の和式トイレでうんちをした。
濡れたトイレの地面で、半ズボンを脱ぎ、地面につかないように頑張って浮かせた。
いつもウォシュレットを使っているから、紙だけでどのくらい拭けばよいのか分からず、何度も何度も擦った。
薄暗いトイレの中で、赤く染まるトイレットペーパーを見つめた。
しゃがみ込む態勢がきつく、足腰はプルプルした。
それが小学校で初めてしたうんちだった。
その時になんとなく思ったことを覚えている。
「これからずっと、毎日トイレを我慢して生きなきゃいけないのかな」と。
それはその時の僕にとって、終わりの見えないトンネルのように思えた。
中学生時代 〜行けるようになったトイレ〜
中学に入ると、小学生ほどうんちという単語に心躍る同級生は減る。
僕自身もトイレに行けるようになった。行けるようになったと言っても、授業中に抜け出すことはできない。
好きな女の子がいる教室で、手を挙げ、「トイレに行ってきます」と言うのは、思春期の青年には厳しかった。
冷や汗をかき、進まない時計を何十回も見て、授業の終わりを待った。
時間は永遠のようだった。
学年の使うトイレにはいけなかった。当時学校が少し荒れていて、個室の上から水をかけられる可能性があったからだ(今思えば意味がわからないが)。
勝手に頭の中でタイマーをセットして、
「60、59、58、、、」と時間を数えながら、別棟のトイレまで走った。
タイマーをセットすると、そこまでは我慢できるような気がする。
もちろん気のせいなのだが、おすすめなので、皆さんが今度トイレを我慢するときがあればやってみて欲しい。
デメリットは、タイマーを設定することで、その時間が切れた場合、我慢する気力も切れる可能性があるということだ。
とにかく、休み時間であれば日中にトイレに行ける。僕は、中学校に入り、少し息がしやすくなった。
高校受験を控え、夏からは大手の塾に通った。
そこでは、2時間ぶっ続けで授業があり、僕のお腹との相性は最悪だった。
熱の籠った授業をする講師に対して、「トイレ行きます」の一言は言えなかった。
5分しかない休み時間で、雑居ビルの階段にある、狭いトイレに座れた時の安堵感は僕が忘れることのできない感情の一つだ。
塾の授業は我慢すれば終わる。トイレに座れれば勝ちだ。
問題は、受験だった。
試験というものは時間制限が決まっている。高校入試になると、時間制限もシビアになり、1分1秒がとても大事になる。その中で、必要な得点を取らなきゃいけない。
どちらか片方ではだめ。お腹も試験もどちらもクリアする必要があった。
結果として僕はストッパに頼った。
ストッパを知っているだろうか。下痢止めのストッパだ。
僕はそれを5教科あるテストのそれぞれの直前に飲んだ。計5錠。
ストッパは1錠でも効き目が強い。5錠は用法容量を完全にオーバーしている。
その時の僕の発想は、
「お腹の中で止め切ればいい!!!」
というものだった。
結果、僕は晴れて、志望校に合格した。
ちなみに、薬の効果で体内の水分はほぼなくなっていて、舌が真っ白になっていた。
皆さんは用法容量を守りましょう。
高校時代 〜1個のウォシュレット〜
高校に入るとトイレに行く抵抗はほぼなくなった。
どうしても授業中に行くことだけはなかなかできなかったが、授業外であれば迷わず行った。
高校にはたった一つだけオアシスがあった。
うちの高校は学年8クラスが一つの階に集結している。
男子だけだと、学年で160人くらいいた。
大便器の個室トイレは5つあった。
その中で、たった1つだけがウォシュレット付きの洋式トイレだった。他4つは和式。
洋式のウォシュレットは僕にとって神様だった。
僕はそのトイレばっかり使っていた。あるとき、使った回数を計算すると、
全部で1000回を超えていることに気がついた(1年間である)。
各学年の階に、1個ずつ洋式ウォシュレットがあるので、3年間で計3000回は使っただろう。
つまり1日に3回くらいは使っていたのだ。僕の思い出は教室よりもあの1㎡に詰まっている。
僕を含め、他に2名、その洋式トイレを愛用するメンツがいた。
授業が終わり、速攻でトイレに走ると、扉が閉まっている。
僕は当然、そのトイレが開くのを待つ。相当切羽詰まっている時以外、和式便器は使わない。
扉が開き、出てくるのは決まって、NくんかIくんなのだ。
僕は密かに「ウォシュレット御三家」と呼んでいた。
もちろん、僕が一番使ったのは間違いない。
そんな僕の愛する高校のトイレだったのだが、三年生の12月、トイレ工事をするというお達しが学校側から生徒に告げられた。
僕は激怒した。
生徒の教室がある棟のトイレが全て使えなくなる。
2階、3階、4階のトイレがそれぞれ同時に使えなくなり、3学年男子総勢500名で4個の個室を争うことになった。
しかも、大学受験前の大事な時期である。
生徒の90%以上が一般入試を受ける進学校で、受験前にトイレの倍率が上がるのは耐えられなかった。
僕は人生で初めて校長室に乗り込んだ。
「そんな工事は夏休みにやれ」
「10分の休み時間に4つの個室を取り合うのは地獄になる」
「センター試験演習(休憩時間が5分で5教科7科目を行うもの)なんかさせるな」
大人の論理をまだ知らない僕は泣きながら、校長先生に向かって思いの丈をぶつけた。
僕の中にあるのは、小学生の頃から積み重ねてきた我慢の日々だった。
トイレに行くことの恥ずかしさと戦い続けてきたことが、僕の性格を作り上げていた。
たくさんの涙が出ていた。
校長先生は2時間、話を聞いてくれた。
目を真っ赤にしながら教室に戻った僕を半分の生徒が笑いながら受け入れ、半分の生徒が少し引いていた。
校長先生は、工事先と調整をしてくれたのか、1週間だけ工事のスタートを遅らせてくれた。
そうして、なんとかやり切ったセンター演習の結果を携え、受験に臨んだ。
僕は見事、
全てに落ち、浪人が決まった。
浪人時代 〜トイレとの戦い〜
浪人した僕の志望校は東京大学文科三類だった。
近場の駿台予備校に通った。
駿台は授業50分、休憩10分を繰り返す授業構造になっている。
駿台のトイレは少なかった。
個室が4つしかない。
当時の浪人生は8、9割が男だった。全部で500人くらいはいたと思う。
受験のストレスも相まって、僕のお腹の調子はどんどんと悪くなっていた。
1日に15回以上大便器に座る身体だった。
つまり、睡眠時間を除けば、約1時間に1回トイレに行く必要がある。
僕は全ての休み時間に個室へ走った。冗談抜きに全てである。
500人で4つのトイレを奪い合う。
高校がトイレ工事をした時に起きた非日常が、駿台では日常だった。
トイレを争い続ける日々は東大に届かないE判定の模試結果を見ることよりも、
僕の心を蝕んでいった。
とても暑い夏のある日だった。
僕はまた授業中にトイレに行きたくなった。しかし、いつものごとく我慢していた。
便意とは、波である。
便意の強さは波のように高い時もあれば、低い時もある。
だから、我慢すれば、いつか過ぎ去っていく。
そう思い、我慢していた。
その時、脳の中の何かが、切れた。
「なんでこんなに苦しい思いをして我慢しているのだろう」
僕は手を挙げ、トイレに行った。
トイレを終え、その足で、クラス担任の元へ行った。
クラス担任は、若い美人な女性だった。
綺麗な女性にトイレのことを知られるのは18歳の僕でもまだ嫌なことだった。
でも、その日は違った。
「もうトイレ我慢したくないので、やめます」
僕はそれだけ言った。
教室へ戻り、荷物をまとめ、教室を後にした。授業は続いていたが、どうでもよかった。
帰り、川を眺めた。感情がなかった。
何時間もボーっと眺め、飛び込もうかなと思った。
小学生の時に感じた終わらないトンネルの存在が再び、僕の前に立ちはだかったように思えた。
でも、僕は東大に行きたかった。
東大で野球がしたかった。
その夢だけが僕を支えていた。
僕は予備校を変えることにした。
代々木ゼミナールに変えた。代ゼミでは映像授業だけを受けた。
映像授業であれば、授業中でもトイレにいける。
僕は、川を眺めたあの日に決めたのだ。
「行きたい時に、トイレに行く。」と。
世の中に意味はない。人が生きることには意味がない。
だからどうということでもない。
誰かにいじられるとしても、
好きな女の子が同じ空間にいても、
授業の最中だとしても、
誰かがブチギレていようとも、
僕はトイレに行く。
「行きたい時に、トイレに行く。」
それが絶望が続く長いトンネルの中で、僕が見つけた一つの光だった。
〜続く〜
ここまで読んでいただきありがとうございます。
コメント、スキ大変嬉しいです。
東大受験終了までは必ず書きます。
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